PERSONZやfringe tritoneなど多面的に活躍する本田毅のソロ・プロジェクト『Effectric Guitar』のエクストラ・バージョンと言うべき新たな試みである『Effectric Guitar Sessions』が始動する【註:5月4日に開催予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため中止となりました】。エレキギターとエフェクターを駆使して奏でられる従来のソロ・ライブに加え、ゲスト・ミュージシャンとのエフェクティブなセッションを通じて生まれる化学変化の妙を楽しむのがコンセプトだ。記念すべき第1回目のゲストは、本田が初代ギタリストを務めたThe Roodysのボーカル&ギター、秋村恵丈。本田とは40年来の盟友であり、昨年のPERSONZ結成35周年ライブで両者がアコースティック・デュオとしてライブを行なったことも記憶に新しい。今回のセッションはそのデュオ・ライブを格段に進化させ、両者が深めてきた親交や歳月が如実に表れるものになるという。この競演を前に、出自であるロフトをこよなく愛する2人にセッション会場であるLoft X Koenjiで大いに語り合ってもらった。(interview:宮下雄一&椎名宗之 / photo:moo)
出会いはローディーのアルバイト現場
──この度は我がLoft X Koenjiで本田さんの新たな試みである『Effectric Guitar Sessions』の記念すべき第1回をやっていただけるということで。
本田:去年の6月に新宿ロフトで行なったPERSONZの結成35周年ライブの中でメンバー各自のソロ・アクトがあって、僕はアキボー(秋村)とのアコースティック・デュオをやったんですけど、それが凄く面白くて。Roodysのライブにゲストで弾かせてもらうことはこれまで何回かあったけど、2人で一緒にやるのは20年以上振りで。あの日はアコースティックでありつつもちょっとだけエフェクターを持ち込んで、Roodysの曲を少し広げてアレンジしてみたのが面白かったんです。それでいま自分がやっている『Effectric Guitar』の形を踏襲しながら、お迎えするゲスト・ミュージシャンの音楽を僕のギター・スタイルで色付けできたら面白いものになるんじゃないかというのが『Effectric Guitar Sessions』をやろうと思ったきっかけです。その1回目はやっぱりアキボーがいいなと思って。
──両者の付き合いはかれこれ何年になるんですか。
秋村:もう40年近いよね。19、20歳くらいからの付き合いだから。最初に会ったのは1981年くらい?
本田:それくらいかな。出会ったのはローディーのアルバイト現場だったよね。
──お2人ともアナーキーの事務所だったミュージック・プランターズに所属されていたんですよね。
本田:入り方は別々だったんですよ。僕は母親の紹介で、音楽事務所のアルバイトということで入って。そこがアナーキーの現場が多くてね。
秋村:俺はアナーキーのライブをよく観に行ってて、ルイードでのライブが終わってカウンターで呑んでたらベースの寺やん(寺岡信芳)がこっちに近寄って来て、「キミ、格好いいね。ローディーやらない?」っていきなり言われて。「ライブをタダで見させてあげるから楽器を運んでくれない?」って。毅はもう事務所にいたけど、俺は最初はただのお手伝い。その後、事務所の専務から「ウチに入らない?」って誘われて入ることになったけど。
本田:一時は同じ事務所で働いていたよね。最初は六本木で。
秋村:俺が入った時は赤坂だった。そこで毅と机が隣り合わせでさ。
本田:最初にアキボーと会った頃は現場の仕事が大変でね。そのうち自分でも音楽をやっているという話をアキボーから聞いて、「何か一緒にやらない?」と話を振ってもらって、それで一緒にバンドをやることになった。
秋村:事務所で机が横だったからそんな話になったのかな。
本田:きっとそうだよね。好きな音楽の話をしたのかもしれない。現場はバンドをやっている人が多かったし、自ずと一緒に何かやりたくなるしね。僕は大学の音楽サークルにも一応入っていたんだけど、一緒にバンドをやりたくなるような人はいなかったし、バンドに対してやる気も失せていたところだった。だけどロフトとかで本物のプロの現場を目の当たりにするとわくわくするんですよ。それでまたバンドをやりたいと思っていた時にちょうどアキボーが誘ってくれたんです。
──その頃、秋村さんはすでに新宿ロフトのスタッフだったんですか。
秋村:ロフトとミュージック・プランターズの掛け持ちでした。昼にミュージック・プランターズへ行って、18時前に帰って、それからロフトへ行って朝の4時まで働いてた。大変だったですよ。アナーキーがロフトでやる時はロフトの人間なのに事務所側の仕事をして。アナーキーがツアーを回ると、俺はロフトからバスに乗せられてたな。
“Rudies”を“Roodys”という表記にした理由
──そんな経緯を経て、1982年にThe Roodysが結成されるわけですね。
秋村:最初はバンド表記が“Roodys”じゃなくて“Rudies”だったんだよね。不良少年のスラングである“Rude Boy”の“Rudies”。それを毅が“Roodys”にしようと言い出して。
本田:なぜかと言えば、僕らがローディーの仕事をしていたから(笑)。最初はもう1人、リードボーカルが別にいたんです。アキボーと僕がギターで。そのリードボーカルもミュージック・プランターズにちょっといて、3人がローディーをやっていたから“Roodys”がいいんじゃないかと思って。
秋村:「『Rude Boy』という映画があって、それはCLASHのローディーからの目線で描かれた作品なんだよ」って話を俺がしてね。
──過去のRooftopを紐解くと、Roodysのロフト初出演は1982年11月20日のようですが(BLOODとの対バン)、秋村さんがロフトのスタッフだったのでオーディションはなしで出演できたんですか[註:当時の新宿ロフトは新人バンドのオーディション審査をしており、最初はまず昼の部からのスタートだった]。
秋村:オーディションはなかったですね。当時の店長だった山崎さんに「お前、バンドやってんだろ? デモテープ持ってこいよ」と言われたので聴かせたら、「まず昼だな」って言われて。それで確か昼の部に2回くらい出たのかな。そのライブを観てくれた山崎さんに「良かったよ。じゃあお前、夜はいつから出る?」と言われて、とんとん拍子で夜の部に出ることになったんです。こっちとしては、エッ! もう夜の部に出ていいんですか!? って感じで(笑)。
秋村:全然でしたよ。だけど後で聞いた話では、山崎さん自身もギタリストで、毅のギターが凄くいいと褒めてくれてたみたいなんです。
本田:その時に言ってくれれば良かったのに(笑)。
秋村:あの人は本人には言わないからね。それからは月一ペースで夜の部に出させてもらいました。当時、ロフトに出るのは夢のまた夢だったので凄く嬉しかったですね。企画をやれと言われて、Night-Knightと2組で『LONDON TIMES』というタイトルのシリーズ・イベントを月一でやったりして。
──本田さんはその頃からエフェクターを多用していたんですか。
本田:Roodysで初めて大きいディレイを買って、使い始めていましたね。曲によって思い切りディレイを掛けたりして。
秋村:やってたね。当時、ディレイを使う人って毅か布袋(寅泰)ちゃん、(内藤)幸也くらいだったと思う。
本田:あと、下山(淳)さんだね。
秋村:俺は初めて毅のギターを聴いて「なんだこれ!?」と思ったよ。凄く独創的で、それまで聴いたことのない音だった。
──お2人で共作したことはあったんですか。
秋村:それは完全に別作業でした。
本田:バンドなのでアキボーが作ってきた曲をギター・アレンジすることはありましたけどね。逆に、僕の曲にアキボーが歌詞を付けてくれることもあったし。
我がことのように嬉しかったPERSONZの活躍
──結局、本田さんはどれくらいRoodysに在籍したんですか。
秋村:期間としては短いよね。
本田:うん。1年くらいかな。
──本田さんはJILLさんにヘッドハンティングされて、のちのPERSONZとなるNOTHING PERSONALを1983年に結成するわけですが…。
秋村:レギュラーでロフトに出ていた時、あれは楽屋だったのかな、毅から「実はこういう話があるのでバンドをやめたい」と言われて。俺は「ああ、別にいいよ」と。
──随分とあっさりですね(笑)。JILLさんに「ちょっと待ってくれよ」みたいな気持ちはなかったんですか。
秋村:全然なかったです。JILLちゃんもロフトの呑み仲間でしたから。一度限りの人生、誰しも皆やりたいことをやったほうがいいし。JILLちゃんからは「ごめんね、アキボー」と言われましたけど、いざこざは全くなかったです。
本田:アキボーとの関係性も変わらなかったしね。僕がRoodysを抜けた後はギタリストがちょくちょく変わって、その度にライブを観に行ってたし。
秋村:幸也に弾いてもらったこともあったね。毅がJILLちゃんとバンドを始めてからも「お互い頑張ろうぜ!」って感じでしたよ。毅は毅で自分の可能性を追ってたし、俺たちは俺たちでロフトでプロと対バンしたりしてたし。
本田:PERSONZの前段階の頃はまだ(渡邉)貢も藤田(勉)くんもいなくて、ドラムとベースがプロの方だったんです。初めて腕利きのミュージシャンたちと一緒にプレイすることで自分がさらに上手くなったと錯覚したり(笑)、彼らは懐が深いので僕のエフェクターを使ったアイディアも受け入れてくれて、そういう部分で純粋な面白さがあったのは確かです。当時はちょうど、MISSING PERSONSみたいに女性ボーカリストの後ろで3人が好き勝手なことをやるバンドが格好いいと思い始めていた頃で。
──本田さんとJILLさんがバンドを組んだ頃、秋村さんはもう新宿ロフトの店長だったんですか。
秋村:うん、店長でした。1983年くらいかな。でも店長だったのはほんの数カ月で、俺がやめた後にNOTHING PERSONALが出始めたんですよ。PERSONZがよくロフトに出ていたのは蟹江(信昭)が店長だった頃ですね。当時、蟹江からよく電話が来たんですよ。「秋村さん、いいよー、PERSONZは!」って。
──秋村さんの店長時代がそんなに短かったとは意外でした。
秋村:その前にずっと副店長をやってたんです。店長の山崎さんが全然店にいないから、俺が2年くらい仕切ってたんですよ。オーナーの(平野)悠さんから「お前、肩書きを作れ」「副店長って名刺を勝手に作れ」とか無理やりなことを言われて(笑)。
──秋村さんはその後のPERSONZの活躍をどう見ていたんですか。
秋村:それは我がことのように嬉しかったですよ。毅もJILLちゃんのこともよく知ってたし、貢もAUTO-MODでよくロフトに出てたしね。布袋ちゃんから貢を紹介してもらって仲が良かったから。親父が倒れて俺が熊本に帰った後も、PERSONZがツアーで九州へ来た時はみんなと会ってたし。
本田:なぜかアキボーの地元の八代にも行ったよね。
秋村:打ち上げの後に八代まで拉致して、馴染みの小料理屋で呑み直したりね(笑)。
ありきたりのことをやりたくないのは毅の影響
──その後、90年代にお2人でライブを何度かやられていますよね。
秋村:毅とのユニットは3、4回やったか? 西新宿のロフト(1992年11月、1997年4月)とシェルター(1993年9月)、あとラママ(1993年10月)。
本田:僕がPERSONZをやめて、いろんなことをやろうとしていた時期ですね。セッションもいろいろしたいし、スタジオ・ミュージシャンの仕事もしたいと思っていた頃で。ロフトでは原島くん(スマイリー原島)のバンドでギターを弾いたこともありました。アキボーとのユニットはどっちから声を掛けたんだっけ?
秋村:毅だよ。ロフトで企画をやらないか? ということで。当時の店長はシゲ(小林茂明)だったかな。客がパンパンに入ってさ。
本田:Roodysの曲もちょっとやったけど、カバーが多かったよね。あと無謀にも僕が唄ったりして(笑)。
秋村:「本田毅が唄います」って言うと客がどよめくんだよ(笑)。毅のオリジナルもやったよね? 「歌詞書いてよ」って言われて書いた記憶がある。
本田:ああ、そうだったかもしれない。とにかくいろんなことを試してみたくて、その中でも一番信頼の置けるアキボーと一緒にやってみたかったんだと思います。アキボーは歌が強いから、一緒にやると楽しいんですよ。自然と身を任せられると言うか。
──去年のロフトでのアコースティック・デュオもとてもリラックスした雰囲気でしたしね。
秋村:JILLちゃんは「漫才みたい」って言ってたんでしょ?(笑)
本田:うん。全体的に見ると漫才みたいだって(笑)。
──ところで、バンド・ブームのさなかにRoodysもメジャー・デビューの話が舞い込んできたと思うのですが、どうだったんですか。
秋村:九州に帰った頃にいろんな所から話が来ましたね。だけど「曲を変えろ」だの「詞を簡単にしろ」だの「メンバーを変えろ」だの、そんな話ばっかりで。
本田:そういう時代だったよね。何か一言、余計なことを必ず言われる。
秋村:BLUE HEARTSが流行ると「BLUE HEARTSみたいな曲は書けないんですか?」とかね。別に書けるけど、なんで俺がやんなきゃいけないんだよ? って。俺はこういう性格だから、そういうことを言われるとムカついて「お前、帰れ!」と言うだけでしたけど。当時は同郷のMODSの森山(達也)さんに凄く可愛がってもらってたんだけど、俺はドンタンドンタン…みたいなありきたりの速いロックじゃなくて、もっといろんなことをやりたかったんですよ。それは多分、毅の影響なんですよね。毅はホントに幅広い音楽を俺に聴かせてくれたし、お互いの趣味が合ってる所もあったけど違う所は全く違う感じで、毅からは「エイドリアン・ブリューって知ってる? ちょっと聴いてよ」とかいろいろ教わったんです。あと、ロフトにいたのも大きかったですね。バーカウンターの棚にあるレコードを片っ端から全部聴いたから。そんなこともあって幅広い音楽をやりたかったので、レコード会社が求める音楽とは合わなかったんです。
本田:僕もアキボーから「ALARMはいいぞ」とかいろいろ教わりましたよ。そういうのが新鮮で、趣味が一緒じゃなかったのが逆に良かった気がします。
秋村:ウチの今のギター(TAKEO)も、小型本田毅って言ったら毅に失礼だけど、俺が毅みたいなギターを要求するからそうなっちゃう。本田毅のDNAがウチのバンドにはずっと残ってるんだよね。
本田:TAKEOのギターは凄くいいよ。スケールが大きくて。
秋村:とにかく毅から受けた最初の衝撃が凄かったからね。なんてギターを弾くんだよ!? と思ったし。布袋ちゃんともやっぱりちょっと違ったしね。
毅は絶対に世界に打って出るべき!
──本田さんがロフト時代にその存在を意識していたギタリストは、やはり布袋さんや下山さんだったんですか。
本田:そうですね。ライブは必ず観に行っていつも凄いなと思っていたし、他のギタリストとは違う、聴いたことのない面白い音を出していましたから。
秋村:ちょっと話が逸れるけど、当時のロフトに毎晩いた人たち…KEITHに(石橋)凌、JILLちゃん、アナーキーのメンバー、(高橋)まことさんといった人たちが酔うとセッションになるわけですよ。豪華だよね。凌が唄って布袋ちゃんがギターを弾いたりするんだから。
本田:ステージがそこにあるからね。楽器も揃ってるし。
秋村:そうそう。「楽器出せ!」って言うとPAが用意してくれるし。照明ができる奴もいるし、そりゃその場にいたお客さんはたまらないよ。
本田:お客さんも少し残って呑んでるからね。お得だね(笑)。
秋村:むちゃくちゃお得だよ(笑)。そんな中で布袋ちゃんはエフェクターもないのにいろんなことをやるから、ホントに恐ろしい才能だと思ったね。あの“セッション”はロフト好きな人なら知ってるだろうけど。
本田:いいね。今度の『Effectric Guitar Sessions』と繋げた?(笑)
──さすがですね(笑)。本田さんにとってRoodysは自身の原点と言えますか。
本田:それは間違いないです。みんなそうだと思うんですけど、最初に出たライブや最初に自分たちでいろいろ考えた時のことって忘れないじゃないですか。僕もそれは当時の曲も含めてよく覚えていて、去年ロフトでアキボーとアコースティック・デュオをやった時も相当昔の曲なのに「そうそう、これこれ」みたいな感じですぐに思い出せたんです。やってみて凄く楽しかったし。
秋村:俺も去年のロフトは凄く楽しかったな。本田毅の横で唄うのは、歌唄いにとっては大変なプレッシャーだと思いますね。だってこれまで錚々たる唄い手と一緒にやってきたわけじゃないですか。そりゃこっちもギュッと気を引き締めないと呑み込まれますよ。そういう側面もありつつ、毅と一緒にステージに立つこと自体が凄く楽しいんですけどね。プレッシャーもあるけどリラックスもできるという、言葉にするとおかしいけどそんな感覚があります。
本田:去年のロフトはPERSONZの35周年企画で、お客さんも超満員だったんですよ。そんな所に僕らが唐突に出てきて、アキボーはちょっとしたアウェイ感があったと思うんです。だけどそんなことに臆せず堂々と唄えるのはアキボーしかいないと改めて感じましたね。喉もハートも凄く強い。猪口才なボーカリストならあの場に呑み込まれていたんじゃないかな。
秋村:俺も最初はステージに出てアウェイ感バリバリだなと思ったけど、お客さんの顔を見た途端に凄く楽しくなっちゃってね。
──しかもお2人の出番は花魁姿のJILLさんがお座敷仕様のライブをやった後で、あの空気を変えるのは至難のわざだったと思いますが(笑)。
秋村:あれは出にくかった(笑)。参ったもんな、この後かい!? って(笑)。
本田:そのお詫びを今度のライブでしようかなと(笑)。
──ちなみに、秋村さんは本田さんの『Effectric Guitar』を聴いてどう感じましたか。
秋村:いやもう素晴らしすぎますよ。と言うか、世界に聴かせるべきだと俺は本気で思ってます。俺も最近英語で唄うようになったのは、海外でアルバムを出したいからなんですよ。でも俺なんかより前にまず本田毅が世界に認められてほしい。サウンド一つを取っても俺にとって本田毅は世界一のギタリストですから、なんでお前が世界に行かないんだよ!? と思いますね。海外にはインストを受け入れる土壌があるわけだから、絶対に世界に打って出るべきですよ。それくらい『Effectric Guitar』は素晴らしいアルバムでした。
本田:嬉しいですね。面と向かって言われると恥ずかしいけど(笑)。
秋村:いつも呑みながら言ってることじゃん(笑)。
2人の歩んだ長い年月が音や歌に出ると思う
──話を伺いながら、ますます『Effectric Guitar Sessions』が楽しみになってきました。
本田:ぜひ期待していてください。去年アキボーとやった時はお互いにアコースティック・ギターでしたけど、今回はフルセットの状態でエフェクターをたっぷり使うので。どんな曲をやるかはこれから考えます。
秋村:これはヤバイですよ。アコースティックじゃなく本気で来るわけだから潰される(笑)。今度こそ波に呑み込まれるかもしれないけど、それを全部はじき返してやるくらいの腹積もりで俺も臨みます。
本田:アキボーにはいろいろとやってもらおうと思ってます。
秋村:エッ!?
本田:エレキもアコギも。だって弾けるんだからもったいないじゃないですか。遥か昔のリードボーカルがいたRoodysみたいに、ギターとギターで敢えて唄わないのも面白いかもしれない(笑)。
秋村:うわー、それじゃ俺、後ろを向いて弾くわ(笑)。
本田:だけどボーカリストの弾くギターって格好いいんですよ。普通のギタリストにはないタイム感で弾くのが面白いし。ジョン・レノンのリズム・ギターって独特で格好いいでしょ?
秋村:なるほどね。俺もGEORGEからよく言われるよ。「アニキ、なんで裏で入るの?」って。「いや、歌がこうだから」としか言いようがないんだけどさ。
本田:あと『Effectric Guitar Sessions』に関して言うと、この新たな会場であるLoft Xで新たな試みをやってみたいというのもあるんです。ここのレセプション・パーティーに参加した時、内装が昔のロフトみたいでいいなと思って。ここで何かやれそうなことがあると思ったんです。
秋村:ここは昔のロフトの匂いがするよね。バーカウンターとステージの距離感やステージの高さも近いし。西口のロフトって、客席から見たステージと、ステージから見た客席が全く違う景色なんだよね。ステージに立つと右手にカウンターが見えて、段を境に上から見てる人、下で見てる人全員に囲まれてるような圧迫感があってゾクッとする。
本田:確かに見られてる感は凄くあったよね。
秋村:あの感覚はロフト特有のものだよ。カウンターの所に布袋ちゃんやまことさん、KEITHとかがズラッと並んでるのが見えて、それはやりづらかったけど(笑)。まぁそれはともかく、このLoft Xもお客さんが入ると西口のロフトと同じような雰囲気になるんじゃないかな。ああいう空気感っていいと思う。
本田:これぞライブハウス、って感じのね。僕もアキボーもここでライブをやるのは初めてだし、『Effectric Guitar Sessions』という試み自体も初めてだし、初めてづくしのライブをぜひ観に来てほしいです。あと、僕らの古い話を聞きたい人たちもぜひ(笑)。
秋村:それじゃまた漫才みたいって言われちゃうよ(笑)。でも2人が歩んできた長い年月が音や歌に出ると思うから、そういうのを感じてもらえたら嬉しいよね。