リハーサルも録音も全部「UEN」だった
──今回、過去のデモ音源を改めて聴いてみて如何でしたか。
奥平:その頃自分らが好きだった音楽が音に表れているなと思いましたね。
──たとえば「悪い癖」(1995年)の頃は演奏も粗く歪んでいて、ニノさんの歌も必要以上にがなっていますよね。
二宮:なんせ当時のライブハウスにはがなって唄う人しかいなかったので、そうしなきゃいけないのかな? と思っていたんですよ(笑)。
──ちょうどその頃のイースタンユースを彷彿とさせる唄い方でもあるなと感じたんですが。
二宮:ああ、インスパイアされた部分があるんだろうなとは思いますね。
──当時のバンド名でもあった「夏の日の午后」と「秘密」(共に1993年)を聴く限り、当初はインストを主体とした音楽性だったんですか。
二宮:今よりはインストの割合が多かったですね。「夏の日の午后」と「秘密」が入っているカセットには歌入りの曲もあったんですが、今聴くとあまりにヒドいので、今回は外させてもらったんですよ(笑)。
林:そればかりは墓場まで持って行こうということで(笑)。
二宮:ただ、このインストの2曲は今聴いても凄くユニークだと自分でも思いますね。アレンジも構成も面白いし、当時はドラムとベースのリズム・パターンが軸で、その上にギターを貼り付けていくような感じで作っていました。
──レゲエのリズムをフィーチャーしつつ、如何にもひょうたんらしく転調に次ぐ転調を繰り広げる「夜の散歩」はファンキーな要素もあって、今聴いても凄く格好いいですよね。
二宮:録音中にちょっとレゲエっぽいものをやってみたいなと思って。でも、本場のレゲエみたいにオーセンティックな感じにはならなかったんですよね(笑)。
林:「なんでこうなっちゃうんだろうね?」って当時は思ったよね。どうあがいても泥臭い感じになっちゃうって言うか。
二宮:まぁ、自分らなりのノリは出ていると思うんですけどね。
──ひょうたん流ヘヴィ・ブルーズと言うべき「なんもない」(1998年)も、今まで埋もらせておいたのがもったいないぐらいの出来ですよね。
奥平:ライブでもめったにやらなかった曲ですね。今日は久しぶりにやりますけど。
二宮:「なんもない」は一度活動休止する直前ぐらいに出来たんですよ。何度かライブではやっていたんですが、音源としては発表しなかったんです。活動を再開してからは基本的にミニ・アルバムに入れた新しい曲をメインにライブをやっていたので、この曲は外れてしまっていたんです。今はまたフラットな感じでやれるようになりましたけど。
──今回はマスタリングも3人で立ち会ったんですか。
二宮:僕が代表して立ち会いました。マスタリングをしてもらった中村(宗一郎)さんに何かリクエストするようなことは一切なくて、聴いてみてちょっと気になるところがあったら直してもらうような感じでした。でも、そういうのもほとんどなかったですけどね。
──ところで、アルバム・タイトルの『UEN』と言えば西荻窪にある老舗のスタジオですけど、このスタジオがひょうたんのホームグラウンドだったことから命名されたんですか。
二宮:20年間ずっと「UEN」に入っていましたからね。他のスタジオに入ったこともありましたけど、ほとんどがあそこで。練習だけじゃなくて、自分たちの手で録音したのも全部「UEN」だったし、ずっとお世話になりっぱなしだったんですよ。
林:スタジオの中で飲み食いができるのも良かったんだよね。タバコも吸えるし。
二宮:昔は必ずビールを持ってスタジオに入っていたしね(笑)。
奥平:そうやってダラダラとリハをやり続けたまま今日に至るっていう(笑)。
──最後のアルバムのタイトルを馴染み深いスタジオの名前にするって、ビートルズの『アビイ・ロード』みたいですよね。
林:友和君が『UEN』を曲名とアルバム名にしようって言った時は僕もいいなと思ったんです。僕らは「UEN」ありきだったわけですから。最初は「UEN」の会員証をジャケットにしようと思ったんですよ。結局は看板の写真になりましたけど。
──スタジオからすればいいPRにもなって喜ばれるんじゃないですか?
奥平:いや、僕らにそこまでの影響力はないですよ(笑)。