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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】ひょうたん(2004年8月号)- 結成から十余年、待望の公式音源を遂に発表!!  

結成から十余年、待望の公式音源を遂に発表!!

2004.08.01

eastern youthの二宮友和が本体と並行してこれまで滋味に活動を続けてきたバンド"ひょうたん"が、結成から12年を経て遂に、遂に、初のオフィシャル音源を発表する。昨年、ライヴ会場で無料配布されていたデモCD-R〈宇宙の傍らで〉に魅せられた人ならば必ずや満足するだろう、温かみのある本当にいい歌が揃ったミニ・アルバムだ。  激しく展開するメロディは屈折していながらポップ感に溢れ、酒でノドが焼けたかのような塩っ辛い二宮の歌声と相俟ってとてつもない叙情性をも醸し出す。まるで"ひょうたんで鯰を押さえる"ように、その実体を追えば追うほどぬ らりくらりと遠のいていく彼ら独自の世界。それを紐解くべく、バンド初の公式インタビューをここにお届けしましょう。(interview:椎名宗之)

バラバラな面子の放し飼いが面白い『音楽牧場』

──まずはざっとひょうたんの歴史を振り返りたいと思うんですが。結成は1992年だからかれこれもう12年経つんですね。
 
二宮友和(g, vo):そうですね、ええ。最初は奥平と2人で。
 
奥平厚志(b, cho):地元の愛媛で、中学生の頃から二宮とバンドを一緒にやってたんです。で、東京に出てきて『また(バンドを)やろうよ』と。しばらくドラムを探していたところに、二宮の家に林が居候でやって来て。ドラムを叩けるって言うから、じゃあやろうよ、と。
 
──'92年というと、ニノさんはもうイースタンに加入されてますよね。
 
二宮:そうですね。eastern youthをやり出して半年後くらいにこのバンドができるようになったと思います。
 
──ニノさん自身、イースタンの時とは随分と勝手が違うと思いますが。
 
二宮:ええ。ベースを弾く時はしっかり奏でるっちゅうか、そういうことを意識してますけれども、ギターを弾いて唄うのは爆発力じゃないけれど、どんなに抑えた曲でもそういうところにやっぱり意識が行くもんだと思いますね。
 
──林さんが加入する前は、お2人でどんな感じの音楽をやっていたんですか?
 
二宮:もっと判りづらい音楽っていうか、プログレッシヴっぽい感じのものでしたね。覚えてるのは、3曲カヴァーしたんですよ。ディスヒートとプライマス、それとキング・クリムゾン(笑)。
 
──“ひょうたん”を名乗る前、そもそものバンド名が“夏の日の午后”だったんですよね。
 
二宮:そうなんです、最初は。
 
──じゃあ、今やeastern youthの代表曲である「夏の日の午後」はここから採られたわけですね。
 
二宮:そうみたいですね。字がちょっと違いますけど。“夏の日の午后”だと何か抜けが悪い気がしたんですよ。前衛的でもないですけれども、そういうイメージの音楽をやりたかったこともあって、バンド名がピンと来なくなりまして。それで、リアリティのある名前にしようと…
 
──“リアリティのある名前”で“ひょうたん”ですか?(笑)
 
二宮:はい(笑)。
 
奥平:バンド名を変えても、特に何の支障もありませんでしたね。
 
──'93年頃から高円寺や新宿でライヴ活動を始めて、プロフィールによれば当時のライヴは「抜けの悪いことこの上なし」だったとのことなんですが(笑)。
 
二宮:ライヴハウスのブッキングに出ることが多かったですね。引っ込み思案なもんで、いろんなバンドとコミュニケーションを取るのができなくて。趣旨のはっきりしたライヴも自分達ではなかなかできなかったですね。(奥平に)タイプ的にはどんな人達とライヴやってたかな?
 
奥平:割と激しい感じの音楽とブッキングされたりしてたような気がする。
 
二宮:ちょうどアメリカン・ハードコアとかの時期だったし、ミクスチャー寄りのものとか、それにルインズとかちょっとフリーキーなタイプの人達が多かったですね。
 
──“ひょうたん”に改名した'95年には5曲入りデモテープを制作されてますが、これはどんな感じの音源だったんですか?
 
二宮:その頃の音源は…今よりももう少し気合いの入った感じだったと思うんですけど(笑)。今度のアルバムに入ってる〈円い月〉も入ってたんですよ。アレンジは全然違いますけど。
 
──'96年には自主企画ライヴの『音楽牧場』をスタートさせてますね。
 
奥平:2回ほどしかやってないんですけどね(笑)。親しい連中や自分達が一緒にやってみたい人を呼んで。
 
二宮:面子はバラバラだけど、その放し飼いっぽいのが面 白いんじゃないかと思って『音楽牧場』って付けたんですよ。一番最初は高円寺の20000Vで、SAP、ONE TRAP、ピラネージっていうまるでバラバラな感じで。その次は西荻窪ワッツで、VOLUME DEALERS、BACKET-T、KILLING JERK。KILLING JERKは漁港のヴォーカルがベースをやってたバンドで。いや、ヴォーカルじゃないや、船長ですね(笑)。
 
──それが'98年から4年間、なし崩し的に活動休止期間に入ってしまい…。
 
二宮:ええ、諸々の事情により(笑)。
 
林 康雄(ds):僕のほうは子供ができたりとかしていろいろあって…(笑)。お金がどれくらい掛かるかも判らなかったし、“どうしよう、どうしよう”って(笑)。
 
──活動再開はどんなことがきっかけで?
 
二宮:…何となく、ですね(笑)。“もっとできるな”って思ったんですよ。イースタンという母体はありつつも、もっと音楽の中に身を置きたいと思うようになって、“もうできません!”っていうくらいできる限りやりたいと思って。
 
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