メロン記念日が今月19日、晴れてデビュー10周年を迎える。昨年は様々なバンドとコラボレーションを果たし、グループとしてもこれまで以上に飛躍した1年だったように思う。一時は「次がない」と宣告されたこともあった彼女たちだが、「そのおかげで10年続ける根性が養われた気がする」と村田めぐみも語っているように、ハロー!プロジェクトの中では異色の存在でありながらも独自のスタンスを築き上げてきた稀有なるグループだと言えるだろう。
1999年8月、オーディションで運命的に出会ったこの4人が、それから10年もの間メンバーが入れ替わることもなく、喜びや感動、挫折を共に味わった結果、より固い絆と結束力を共有して今に至る。その10年という節目にリリースされる"ロック化計画"の集大成的作品『MELON'S NOT DEAD』には、これまでの、そしてこれからのメロン記念日がギュッと凝縮されているのだ。
10周年を迎える彼女たちは今、何を思い、何処へ向かおうとしているのだろうか──。(interview:椎名宗之/text:やまだともこ)
メロン記念日4人だけの10周年じゃない
──デビュー10周年を迎える今の率直な気持ちから聞かせて下さい。
柴田あゆみ(ナチュラル担当):振り返ってみると10周年というのは大きな節目だと思いますけど、長かったという感じはしないんです。最初の頃は何もかもが初めてのことだらけで月日が過ぎるのが早かったんですが、15歳から25歳という多感な時期をメロン記念日として過ごせてことを誇りに思いますし、改めて10年って凄いなと思います。
斉藤 瞳(セクシー担当):まさか10年という記念日を迎えられる日が来るなんて...って、途中で思ってしまう時期があったので、その数字を変わらないメンバーでお祝いできることに感謝です。10年と言っても、うまくいかない時期もあって、その時期を含めるとよく10年生かしてもらえたなという気持ちもありますね。"ロック化計画"に対しては、10周年に向けての大きな道筋を作って頂いたとも思いますし、10年の間にいろんな人たちが私たちを支えて下さったわけで、決して自分たちだけの10年じゃないですよね。いろんな人たちの思いが詰まった10年という意味で言えば、メロンの10周年と言うよりはみんなの10周年になるんじゃないかなと思います。
村田めぐみ(メルヘン担当):私はもうすぐ29歳になりますけど、20歳になってからほぼメロン記念日でやってきて、人生の中でも20代って大事な時期で、良い仲間に出会えたなって思います。同級生は素敵な男性に運命的に出会ってますけど、私は運命的にこのメンバーと巡り会っているんだなって。
斉藤:うん、ホントにそうだよね。
村田:これだけ長い時間を掛けて何かに打ち込んだこともなかったし、私の人生の中でも大きな収穫ですね。
大谷雅恵(ボーイッシュ担当):10年は数字にすると長いですけど、あゆみんが言ったように10年は思ったよりも長くなかったです。いろいろあったからだと思いますけど、去年なんてホント早かったし、凄く贅沢な1年だったりしたので。良いも悪いも全部ひっくるめて自慢の10年ですね。
──メロン記念日にある種のターニング・ポイントがあったとすれば、やはり『This is 運命』という楽曲に巡り会えたことなんでしょうか。
村田:崖っぷちからの生還と言うか、あそこでお尻を叩かれて良かったですよ。そこで10年続ける根性が養われた気がします。
──ロックっぽい最初の楽曲でもありましたしね。この10年の中で、とりわけ印象深い出来事はどんなことですか。
斉藤:いくつか挙げていく中でのひとつは『This is 運命』です。『電話待っています』をリリースした後に「もう先はないぞ」と事務所の人に宣告されて、次がダメだったら強制終了じゃないですけど...。
村田:完全に閉店でした(笑)。
斉藤:そういう状況で、次に出す作品が『This is 運命』だったんですけど、一風変わった曲だったので"これで大丈夫かな?"って一瞬思いましたよ(笑)。これで私たちの今後が決まるのに、大丈夫かな? って。
──他の皆さんは如何ですか。僕は2002年12月に赤坂ブリッツで行なわれた初の単独ライヴ"これが記念日"で、初めてフロアでモッシュが巻き起こった瞬間が個人的には凄く思い出深いのですが。
村田:確かに、あれは大きかったですね。
柴田:雪も降りましたし。
村田:雪が降って、私は始まる直前に室内で転びましたし(笑)。腕を強打したんですけど、「骨が折れてても絶対にステージに立つ!」ってその時のインタビューでも答えていた記憶があります。
──まさにパンク・アティテュードそのものですね(笑)。柴田さんは?
柴田:たくさんあるんですけど、テレビに出させてもらった時は影響力が凄いなって思いました。『ミュージックステーション』に初めて出させてもらったのはシャッフル・ユニットだったんですけど、その後に『さぁ!恋人になろう』でメロン記念日として出演させてもらったんです。その時に「ここで頑張ってた」みたいに名前を入れた映像まで作って頂いて、凄いなって思いましたね。
──柴田さんは、3期目のタンポポでも活躍されていましたね。
柴田:タンポポの時は、事務所の方から「メロン記念日を代表して参加するんだぞ、メロンのためにも頑張れよ」と送り出してくれたのが心の支えにもなり、あの頃はタンポポで頑張れば頑張ったぶんだけメロンに返ってくると信じてやっていましたね。タイミング良くメロンもいろんな番組に出させて頂いて、そういう意味ではタンポポに参加できて良かったです。感謝ですよ。
大谷:私は、ハロー!にいたメロン記念日...10年の中でそっちのほうが大きいですけど、メロンは好きなことをやりながら10年を迎えていて、そのスタイルが私たちには合っていたと思います。それぞれが思う自分の出し方ができるようになってきたことで、がっちりイメージを付けられるよりは、自分たちでイメージを付けられたことが長生きする秘訣なんじゃないかなと思いました。
──メロン記念日がここまで自由度の高い活動をしてこれたのは何故だと思いますか。
斉藤:『電話待っています』までは"こういうふうに行きたい、こういう曲を唄わせたい"っていう事務所の意向もありましたし、4人一緒の服を着てたし、"モーニング娘。はこういう楽曲だからメロンはこういう曲にしよう"って、自分たちの思いとは違う部分もあったんですよ。それが『電話待っています』をリリースした後に"それぞれの得意分野は何だ?"という話になって、そこでセクシー(斉藤)、ボーイッシュ(大谷)、ナチュラル(柴田)、メルヘン(村田)という担当を決めたんです。同じグループがバラバラの衣装を着るのもちょっと異例だったんですけど、「好きな服を着て下さい」って一任されたんですよ。それが自由度が高くなる最初の一歩だったような気がします。
──今月の21日になんばHatchでこの10年間の軌跡を昼の部(2000〜2004)と夜の部(2005〜2010)に分けて見せるライヴがありますけど、活動の分岐点となったのは"ロック化計画"の種が蒔かれ始めた2006年だったように思えるんです。ライヴハウス・ツアーの"灼熱天国"があったり、"MELON LOUNGE"が始まってビート・クルセイダースと出会ったのも2006年でしたから。
斉藤:"〜LOUNGE"をやるにあたってもいろいろと試行錯誤しましたからね。ハロー!プロジェクトにいる以上はアイドルだから、男性と一緒に仕事をする際にはどうしても1枚壁が必要なんじゃないか? とか、そういうところをやっと取り払えた瞬間でした。
柴田:スタッフさんも頑張って下さったし、私たちは周りの方に恵まれているんですよ。メロンのためだったらと動いてくれたり、メロンがやったら面白そうなことを一緒に考えてくれたり、いろんなきっかけを作って下さった気がします。男性の方と一緒にステージに立つということに対しても闘ってくれたし、凄く感謝していますね。
──チームメロン、やはり最高で最強ですね。
一同:はい。
──そして言うまでもなく、ヲタモダチと呼ばれる非常に求心力の高いファンの存在が何よりも大きいですよね。
村田:いろんなバンドさんとの対バンという形になっても、どこへ行ってもホームみたいにしてくれるところが凄いし、対バンの皆さんの音楽も貪欲に楽しんでくれているのが嬉しいです。
──あの姿勢は素晴らしいし、ロック・ファンも見習うべきですよ。今のロック・ファンは見たいバンドを見たらすぐに帰ってしまう傾向にありますからね。
大谷:ハロー!のイヴェントで慣れているのかもしれないですね。ハロー!もいろんなグループが出るから、対バンみたいなものじゃないですか。全部を通してイヴェントだという習慣が身についているのかもしれないですね。