"奴らは君たちの持っている自由がこわいんだよ。"
映画『イージーライダー』のワン・シーン。ジャック・ニコルソン扮する酔いどれ弁護士が、デニス・ホッパー演じる自由への翼に放ったスピリット。奴らとはエスタブリッシュ。またはコモン・ピープル。自由とはドロップ・アウト。時空を超えたメッセージは、世界中にたくさんの遺伝子となって散らばった。
ミドリをはじめてみたのは2年前の夏。天才とか、救世主とか、衝撃的とか、革命的とか、それまでになかったとか、使い古されたありきたりな表現にはまったくあてはまらないロックが、生まれたままそのままの姿で飛んできた。いままでたくさんのロックを体験して、またそれを刻み込んできていると思い込んでいた僕は、時代的に、ジャーナリスティックに、あるいは音楽産業評論的に、ミドリを位置付けようとしてみたが、ピタッ!とくる言葉が見つからずに悶々としていた。言葉を生業の一部としてきた僕にとって、それは予想することすらしなかった突然の悲劇となった。前例のあるものに貧困なイマジネーションを重ね合わせて、ロックを商品としてきた自分自身のあさましさを認めたくない一心で、ミドリを追いかけた。新宿、下北沢、高円寺、池袋、さいたま副都心等、関東近郊のライヴハウスはもちろん、スペースシャワー列伝、ギターウルフとの新宿ロフト、グループ魂、THE BIRTHDAYとのなんばHatch、あらばきロックフェス、少年ナイフとの渋谷BOXX、RUSH BALL etc、追いかければ追いかけるほど、強烈なミドリのロックン・ロールは、僕の偽物のスピリットの裏側を照らし続けた。DARKSIDE OF THE MOON。人間の心の裏に潜む狂気とはただのちっちゃなプライドなんだ。いつも人の批評ばかりしているあんたは、あんたらは、一体誰なんや?
ミドリは、思春期も、風のない日々も、大人は判ってくれない季節も、そんな誰かが創った幻想に惑わされることなく、それはまるで数世紀ぶりの奇跡のように、一気に向こう側に突き抜けた。時間や制度や人間関係や勝ち負けや名誉欲や儲け話や独り占め等に支配されている、僕のような俗物には想像すらできないスピードとイノセンス。もはや、追いかけても届かないことがわかったその時、探していた扉が開いた。
5月14日発売のニュー・アルバム『あらためまして、はじめまして、ミドリです。』。 無欲の無力。しかし、それは第二の誕生。醜く何も出来ない自分を知り、受け入れた時からはじまる新しい風景。想像は破壊から幕を開け、何も持たないことこそ最高の自由だと実感する。おそれていた自由への翼へ、僕の背中を押してくれたのは全10曲から成る極上のラヴ・アルバムだった。
「ダハァン ダハァンな1枚です」
(小銭喜剛/ドラム)。
ミドリの音は生きている。CDの限界を超えた、作品と言うよりかは動物である。4人のメンバーの個性がそれぞれ濃厚に注入された、かわいいけど獰猛な音の地平線。
「4人で頑張って作ったアルバムです。個人的には生ピアノを使ったので聴いて欲しいですね〜。ヘイルセイタン(屮゜Д゜)屮」
(ハジメ/鍵盤とコーラスとノイズ)。
パンクでファンク! 出身地である大阪の街を感じさせる躍動感みなぎるリズム! 突き刺さるようなナンバーもあれば、ヨコノリでグイグイ揺さぶってくるグルーヴもあり、孤独をやさしく抱きしめてくれるような涙もある、多面的なアルバムである。だからこそ、動物的であり、人間的に感じる。
「ダイエットに効果的です。のって下さい。」
(岩見のとっつあん/コントラバス)。
人間は成長して、心も身体も伸縮を繰り返す。のることは、心のダイエット。かっこつけてばかりじゃ、何も捨てられない。のることは世界共通、人類平等、LOVE&PEACE。まずはのることが平和への第一歩。
「聴いてください」
(後藤まりこ/ギターと歌)。
100年単位で語られるであろうこのアルバムを聴くと、意味のある人生を送りたくなる。 いまからでも遅くはない。自由をおそれずに、自分自身を生きる。けっしてBGMにはならない、地球規模で見ても「超人的で独創的なロック」。車を運転しながらなんてありえない。i-podで聴いていたら、突然、どこか行ったことのない場所へ、または降りたことのない駅で降りてみたくなるアルバム。本気でやっているから聴く方も本気で聴く。本気で聴くには、ながら聴きなんてありえない。目には目を、歯には歯を、本気には本気を! 相当なエネルギーを持って聴いてほしいアルバムである。
何はなくてもロックはある。バンドがいて、聴きたいオーディエンスさえいれば、ロックは成立する。余計なものはいらない。ミドリを取り巻く環境は、僕が知っている限り"好き=愛してる"につきる。ライヴに集まるオーディエンスはもちろん、敏腕で有名なマネージメントのエグゼクティヴ氏も、音楽的にも人間的にも最高のセンスを感じるA&R部門のプロデューサー氏も、黒人音楽に傾倒している和製アーメット・アーティガンの如きレーベルの代表の方も、ミドリに関わる主要のスタッフの方々の全てが、こよなく音楽を愛していて、本気でミドリが好きなのだ。そこには馴れ合いはない。ジャンルもない。ギョーカイもない。政治家はいない。派閥もない。つるまない。建前もない。支配も侵略も暴力もない。そんなことは必要ないのだ。だから本気になれるんだ! 笑いながら近づいてくる奴は笑いながら離れていく。全てを物質的に計る奴は信用できない。ミドリは知っている。本気こそパンク! パンクとはハンパじゃないこと。ハンパじゃないから生き方が変わるんだ!
世の中との折り合いをつけながら、妥協を繰り返して、そのうち、それが妥協だったことすら忘れていき、ラットレースに興じて、勝ち負けで人間を判断していく。立身出世物語を信じて、うまくやることを正義として、排他的に人の心をふるいにかけて、情報交換と呼ばれる自慢話に花を咲かせ、濁流の中を心地良く堕ちていく。CDが売れないとか、ロックは逆風だとか、そんな戯言に惑わされて、時には傍観者的な態度で接していく。僕はこのアルバムに出会うまでの数年間、きっとこんな感じだったのだろう。ロックとは運命共同体。いかに時代は移ろうとも、変わらないものがある。そして、それこそがこの世で最も美しい。第三者なんかいらない! バンドもオーディエンスもスタッフも、全員がロックの当事者なんだ! 音楽は生きている。人間と同じなのだ。ひとりひとり個性があるように、一音一音に命が宿っている。今日は今日の音であり、もう二度と同じ音は返ってこない。半年後、一年後のヴィジョンなんかよりも、いまこの時をいかに有意義に生きるか? 何億、何十億はたいても、命を買うことはできない。物質的に生きていては聴こえない音。それがロックなのだ。 昨年の冬、ミドリにとても興味を持っていたドキュメンタリー映像作家の友人が亡くなった。30代前半で癌だった。生前、病床から届いたメールにこんな一行があった。「高橋さん、ロックは素晴らしいですよ!」。それから一週間もしないうちに彼は旅立ってしまった。世の中と戦いながら、真実を追い続け、賞を受賞した経験を持つ彼は、勝ち組の部類に入ることを拒否して、常にストリートからメッセージを発信していた。次は、パンクを撮りたい! ミドリを観てみたい! と目を輝かせていたその想いは叶わなかったが、最後まで戦い続けた彼のスピリットは僕の心の中に深く刻印された。彼が天国でこのアルバムを聴いたら、あのワイルドな笑顔できっとこう言うだろう。 「ロックを忘れないで下さいね!」
ロックには意味があり、価値がある。
ありがとう、ロックン・ロール!
ありがとう、ミドリ!
これからもよろしく!
音楽キュレーター
高橋康浩