『お猿』を唄い終えた後の後藤まりこが客席をグッと見据え、こう言い放つ。
「もっとこっち来いや。さみしいやんか。パンクのライヴに来てんのやろ?」
その言葉に呼応して、柵を乗り越えてゾゾッとステージ前まで詰め寄るオーディエンス。座席指定も何もまるで関係なしのカオス。
事の経緯を見守るイヴェンターのスタッフ同様、個人的には同じ野音で22年前の春に起きた悲しい事件をどうしても連想してしまったけれど、ライヴという生の空間ならではの予測不能な展開にググッと身震いしたのは確かである。事実、その後の会場全体の一体感たるや凄まじく、ロックはやっぱりこうでなくちゃ、と思った。
予兆はあった。『愛って悲しいね』で客席に身を投げた後藤は、「なんや、今日は僕らも緊張しとるけど、あんたらもエラい緊張しとるな」とオーディエンスに発破をかけていた。
が、実際にオーディエンスがステージに押し寄せてきた時には「みんな、ごめんな、緊張させて」と言った。スタッフが必死の形相で柵を押さえている中、最前列で身動きならないオーディエンスの姿を見た時には「大丈夫? しんどない?」と声を掛けた。僕はそういう後藤まりこのぶっきらぼうな優しさが好きだ。
今年6月6日、日比谷野外音楽堂で行なわれた『ミドリ、ワンマン、2009 春。』追加公演。ステージに立つ直前のメンバーの姿を捉えたシーンに始まり、SEに導かれて始まる『都会のにおい。』から最後の『swing』までの全15曲を余すところなく記録した『初体験』なる映像作品の大きな見所は冒頭で述べたオーディエンスへの煽動と、『あんたは誰や』でアンプの山によじ登った後藤がセーラー服の上着とルーズソックスを脱ぎ捨てる場面である。
後藤にとってある種のアイコンであり戦闘服でもあったセーラー服とルーズソックスを葬り去ることが何を意味するのかは判らないが、僕はそこにバンドの秘めた決意を見た思いがする。
女性ヴォーカルがセーラー服姿でギターを掻きむしりながら絶叫するバンドという多分に色眼鏡で見られてきたミドリに小手先などもはや不要、他の誰にも似ていない音楽を奏でる屈指のバンドとしてこれからは勝負していく。そんな密やかな思いもあったのではないだろうか。
最後の『swing』で聴かれる、蠢く生命体のようなグルーヴと胸を締めつけるメランコリックな情緒に溢れた音像。内なるカオスの所在を突き詰めんとばかりに一心不乱に掻き鳴らされるノイジーなギター。前衛性と大衆性の狭間を行き来する、まるで薄氷を踏むような危うさ。これをロックと呼ばずに何をロックと呼ぶのか。ミドリを色眼鏡でしか見られない御仁は、悪いことを言わないから即刻ロックから足を洗うべきだ。
痛みと出血を伴いながら初めて情交の味を覚えた少女が大人の女性へと成熟していく瞬間にも似たミドリの"終わりの始め"と"始めの終わり"。その一挙手一投足が鮮烈に刻まれたフィルムとして、この『初体験』は実に意義深い逸品なのである。