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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】古閑 裕×吉村秀樹×加茂啓太郎×吉田昌弘×西村 等(2005年7月号)- センチメンタル過剰なomoide座談会

センチメンタル過剰なomoide座談会

2005.07.01

「“向井コード”がバンドのサウンド・マジック」(加茂)

──下北沢SHELTERで東京初ライヴを行った日('98年3月12日『SMILEY'S COLLECTION ~新進気鋭~』)のことは覚えていますか?

11_ahito.jpg西村:余りよく覚えてないんですよね。“あれが初回かな?”と思ってたのが実は2回目のSHELTER('98年10月10日『PUSH THE BUTTON #101010』)で、自分の企画でしたから。ちょうど前店長から店のブッキングを任され始めた頃で、凄くテンパってた頃だったので。

吉田:僕はとてもよく覚えてますね。ブッキングしたのは加茂で、スマイリー原島さんのところに話を持っていって。

加茂:吉田は福岡でメンバーにも会って、ライヴも観ていたんですけど、僕は生でナンバーガールを観たのがその日が初めてで。“何でこんなバンドが福岡から出てくるんだろう?”って思いましたよ(笑)。ヴォーカルはメガネで歯並びも悪くて(笑)、襟首が伸びたブルース・エクスプロージョンのTシャツを着て。ギターのひさ子ちゃんは下を向いて淡々と弾いてるだけだし、アヒト君はひたすらバカスカとドラムを叩いて、ベースの憲太郎君だけは唯一今風のミクスチャー・ロック兄ちゃんみたいな佇まい(笑)。キャラクターはバラバラだったにも関わらず、バンドとして妙な一体感があって、絶妙な絡み合いをしてましたよね。映画で言えばキャスティングが素晴らしい、と言うか。

吉村:そうそう、そこなんですよね。

──それを一言で表すと、さっき古閑さんが仰った“変わってるなぁ”という言葉に集約されるわけですね。

古閑:最初に観た時は“ヘン”でしたよ(笑)。もちろん、それと同時に“恰好いい!”とも思いましたけどね。

加茂:今でこそサンボマスターとか、あり得ないレベルのヴィジュアルっていうのが認知されてますけど(笑)、'98年の段階で向井君のあの予備校生風のルックスは相当なインパクトでしたよ。

西村:メガネがズレまくってたりとか(笑)。

加茂:ナンバーガールのライヴで初めてモッシュやダイヴが起きたのも、確かSHELTERですよ。

吉田:それはその日('99年4月14日『ムームー7』)の対バンだったデスサーフ2000のメンバーがダイヴしたからですよ(笑)。

古閑:あと、日本語の節回しが凄いと思いましたね。バックは当然洋楽チックなものなんですけど、あの日本語的な唄い回しがかなりオリジナルなものに感じましたよね。

吉村:そうなんだよね。真似しようと思ってもできないですよ。異様なんだよね、あの節回しが。

吉田:そう。凄くカラオケで唄いづらい(笑)。

加茂:コード感がヘンなんですよね。“向井コード”とでも言うような、どのコードブックにも載っていない彼独特の押さえ方をした不協和音になったりもするんですけど、それがナンバーガールのサウンド・マジックだということが後に少しずつ判ってくるんです。今でこそカポを使うロック・バンドも増えてきましたけど、当時は曲ごとにカポを替えるなんて本当にごく稀でしたよね。それと何より、当時から演奏が基本的に巧かった。驚きましたよね。

古閑:僕がブッキングをやってナンバーガールに出てもらったライヴでは、LOFTでやった『K.O.G.A Records presents 九州音楽』('00年2月11日)が一番思い出深いですね。地獄の打ち上げが繰り広げられましたから(笑)。

西村:恐ろしい数の焼酎が消費されたという…(笑)。

古閑:最後は全員、記憶を失ってましたからね(笑)。

──初めて新宿LOFTに出演したのは、確かスリーター・キニーのオープニング・アクト('99年6月28日)でしたよね。


加茂:そうですね。LOFTが歌舞伎町に移転した直後で。

吉村:あれね、僕たちが断ってナンバーガールに話が来たんじゃなかったかな。

吉田:そうそう。ブッチャーズに断られて、イースタンユースはスケジュールが合わなくて、それでナンバーガールに話が回って来た。でも、お客さんは入ってなかったなぁ…(苦笑)。

──'90年代の終わり頃からくるりやスーパーカーといった日本語ロックの新しい風が吹き荒れましたけど、ナンバーガールはその急先鋒でしたよね。

吉田:語弊を恐れずに言えば“バンド・ブーム”と言うか、“下北ブーム”と言うか(笑)。

吉村:例えば呑み会の席とかで、ナンバーガールのメンバーはバンドとバンドのいい橋渡し役になってくれたんですよ。年齢の上も下も関わらずいいバンドをよく紹介してくれて、いい流れを作ってくれたんです。お客さんからは見えないところかもしれないけど、それが結果 としてはそのバンド・ブームみたいなものに繋がってると思いますね。

吉田:社交的と言うか、人見知りしないと言うか、誰とでもごく普通 に呑めるメンバーでしたからね。吉村さんや吉野さんのようにリスペクトしてる人と呑むと緊張はするんだけど、結果 としては5時間くらいずっと一緒に呑んでる、みたいなね(笑)。
SHELTERやCLUB Queで打ち上げをやっても、最後まで残るのは決まってナンバーガールのメンバー。あとは、3時過ぎくらいに現れる古閑さんくらい(笑)。

古閑:スイマセンね(笑)。いつだったか、僕が酔っ払って喋ってた時に向井君から「うるさいッ!」って怒鳴られたのは衝撃的でしたよ(笑)。その時はシュンとなりましたけど(笑)、いい思い出ですね。でもそれはさておき、上京したばかりのナンバーガールにとっては、呑み会の席での他のバンドとの交流って凄く重要だったんじゃないかと思いますよね。

吉田:確かに、呑みの席で知り合いは凄い増えましたからね。

加茂:“GUY呑み”とか“ビー酎”とか、東京では聞き慣れない九州カルチャーまで持ち込んでね(笑)。

古閑:九州人は一緒に酒を呑んだらみな友達ですから(笑)。

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