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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】古閑 裕×吉村秀樹×加茂啓太郎×吉田昌弘×西村 等(2005年7月号)- センチメンタル過剰なomoide座談会

センチメンタル過剰なomoide座談会

2005.07.01

2002年11月30日、札幌PENNY LANE24でのライヴを最後に7年間の活動に終止符を打ったナンバーガール。バンド結成から10年を迎える今年、彼らの過去の音源・映像をコンパイル・発掘し、リリースしていく"omoide in my head project"が始まっている。第1弾であるシングルのカップリング曲まで網羅した2枚組ベスト『OMOIDE IN MY HEAD 1 ~BEST&B-SIDES~』に続き、膨大に残されたライヴ音源からベストな演奏・楽曲を選りすぐった『OMOIDE IN MY HEAD 2 ~記録シリーズ~』がCD 4枚組×2セット仕様で先月末にリリースされたばかりだ。
これを記念して、本誌ではナンバーガールに縁の深い顔触れによる騒やかな座談会を執り行った。参加者は、ナンバーガールにも多大な影響を与え、『HARAKIRI KOCORONO』ではツアーを共に回ったブラッドサースティ・ブッチャーズの吉村秀樹、ファースト・アルバム『SCHOOL GIRL BYE BYE』を自らのレーベルから再発し、初期の彼らの活動に深く関わったK.O.G.Aレコーズ代表の古閑 裕、新人発掘担当としてナンバーガールと出会い、スタッフとしてプロジェクトに参加した東芝EMIの加茂啓太郎、デビューから解散まで担当ディレクターという業務を超え、実質的に彼らのすべてを取り仕切った東芝EMIの吉田昌弘、そして初の東京ライヴを行った会場である下北沢SHELTER店長の西村 等の5名。日本のロック史上、類い稀なオリジナリティを武器に加速し続け、カットアウトの美学を貫き冷凍都市を一気に駆け抜けたナンバーガールとは一体どんなバンドだったのか。解散から3年近く経つ今こそ彼らの軌跡を改めて検証してみたいと思う。(文:椎名宗之)

「第一印象は“ヘンなバンドだなぁ”と」(古閑)

11_mukai.jpg──まず、2枚組ベスト『OMOIDE IN MY HEAD 1 ~BEST&B-SIDES~』から始まった“omoide in my head project”が始まった経緯から訊かせて下さい。

吉田:ナンバーガールにベスト盤とか企画編集盤みたいなものがそろそろあってもいいんじゃないか? っていう話が以前から社内でもあったんですよ。でも、中途半端なものを出すのはイヤだなぁと個人的にはずっと思っていて。で、向井君と加茂が話をすることになって、向井君いわく「やってもいいですけど、やるなら徹底的にやって下さい」と。「安易な編集盤ではなく、“ナンバーガールらしいもの”を作って頂きたい」と。スタジオ版のベストだけじゃなく、他にもライヴや映像を録り溜めたものがたくさんあるんだから、それを年間を通 してリリースするくらいの勢いで、って。

吉村:あれでしょ、向井の言葉で言うと「“ガッツリ”したもの」でしょ?

吉田:そうそう、「“ガッツリ”やってもらわなきゃ困るから」っていう(笑)。「当時ナンバーガールに深く関わってきた人がちゃんとやってほしい」と。他のメンバーにも話をしたら、みんな「全然いいっすよ」という返事だったので、今回こうしてプロジェクトとして立ち上げることになったんです。

加茂:向井君も「口は出さない」と。「そっちに任せるから、その代わり半端なものは作るなよ」って言ってくれて。

──今回の『OMOIDE IN MY HEAD 2 ~記録シリーズ~』は、「『記録シリーズ』をすべて収録したい」という向井さんの強い意向があったそうですね。

吉田:そうなんです。『記録シリーズ』はライヴ会場限定で販売されていたライヴ音源で、計3タイトルあって(カセットが1本、2枚組CDが2タイトル)、それだけでもう5枚組になっちゃうから凄い困りまして(笑)。それだけになるのも何だし、未発表の貴重なライヴ音源は多々あるから、いっそのことBOXにして数セット出そう、ってことになって。

加茂:ここで出しておかないと、次にまたいつ出せるか判らないですからね。

吉田:ナンバーガールには膨大な数のライヴ音源が残ってるんです。4チャンネルだけの、エアーとラインだけで録ってるものも含めたら凄まじい量 になりますよ。割と状態の良いライヴ・レコーディングが大概残っていたので、それをどうまとめようかと苦心しましたね。

吉村:最後の“ナムヘビ”(『NUM-HEAVYMETALLIC』)のツアー全部を『記録シリーズ』で出そうとする幻の企画もあったんでしょ?

吉田:そうですね。ツアーは全部録ってたから、「出そうか?」なんて話もあって。ただ、ライヴは1時間半とか2時間だから、1公演につき2枚組になるんですよ。それが33公演あるから、少なくとも66枚セットにはなるのであえなく断念したんです(笑)。

──その膨大なライヴ録音を聴くだけでも大変な作業ですよね。

吉田:ええ。相当聴き込みましたよ。選曲の基準は、ライヴ演奏や録音状態がいいものを第一条件にして。“ナムヘビ”のツアーは『記録シリーズ』として2タイトル出していたから、それでいいだろうと。今回、『OMOIDE IN MY HEAD 2 ~記録シリーズ1~』のほうに収めた名古屋CLUB Rock'n Rollのライヴ('99年9月27日『DISTORTIONAL DISCHARGER』)とかは凄く面白い掘り出し物で、“こんなの録ってたっけ?”って自分でも忘れてたものも結構ありましたね。

加茂:録音状態が今ひとつでも、ラインだけで録ったCLUB Queのライヴ('98年6月22日『東京スナック菓子ナイト』、8月23日『VIVA YOUNG!』)は演奏が良かったので例外的に入れましたけどね。

──古閑さんが初めてナンバーガールのライヴを観た時の印象は?

古閑:“変わってるなぁ、ヘンだなぁ”と(笑)。ブッチャーズやイースタンユース、洋楽のいわゆるオルタナに影響を受けたサウンドなんだけど、博多で純粋培養されたような、何か異質なものを感じましたよね。最初の頃は俺、“絶対に売れないだろうな”って思いましたよ(笑)。間違いなくそう思ってた。

──でも、そんな彼らの初のフル・アルバム『SCHOOL GIRL BYE BYE』をK.O.G.A Recordsから再発したり…。

古閑:それは、僕が彼らと博多や東京でよく呑んで楽しく騒いでいて、彼らが上京するってことでファースト・アルバムがちゃんと流通 されてないって話を聞いたので、「じゃあ、ウチで1枚出したら面白いじゃん」っていう、ある意味軽い気持ちだったんですよ。

加茂:当時、アルバムはあるのに流通 させてもらえない状況があったんですよね。

古閑:そう、そのお陰で一悶着も二悶着もありましたけど…(苦笑)。でも、あそこで諸問題をクリアにして『~BYE BYE』を出せたのは繋がりとしても良かったんですよ。だって、その頃はまだ吉村君と今みたいに親しくなかったですもん。吉村君と呑んで喋れるようになったのは、間違いなくナンバーガールの存在があったからですよね。それと…申し訳ないですが、あのアルバムを出したことによって会社としては凄く潤ったので(笑)有り難かったですよ。

吉村:ちなみに、ひさ子はこのBOXにも収められてる新宿JAMのライヴ('99年6月22日『FANCLUB 3』)をカセットに落としたのが今でもお気に入りみたいですよ。「私のギターが大きい」って理由で(笑)。あのカセットのエアーが凄く好きみたいで、このBOXのCDだとちょっと綺麗すぎて、本人いわく「ちょっと違う」らしいですけどね(笑)。

吉田:綺麗に歪みすぎちゃってる感じがあったのかもしれない。マスターは全く同じなんですけどね。確かに、CDになるとちょっと音の質感が変わる感じっていうのはあると思いますけど。僕もJAMの音は「ちょっとヘンじゃない?」ってディレクターに確認しちゃいましたから(笑)。これはマルチで録ってなくて、4チャンだけなんです。エアーとラインをミックスしたもので、奇跡的によく録れたんですよ。

加茂:そのバランスが凄くいいよね。あのJAMのライヴは名演ですよ。あのライヴをCDとして出そうって話もギリギリまで残ってましたからね。

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