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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】古閑 裕×吉村秀樹×加茂啓太郎×吉田昌弘×西村 等(2005年7月号)- センチメンタル過剰なomoide座談会

センチメンタル過剰なomoide座談会

2005.07.01

「喉ごし爽やかな“生ビール”みたいだった」(吉村)

──吉村さんのナンバーガールとのファースト・コンタクトというのは?

11_kentaro.jpg吉村:僕らが『未完成』っていうアルバムを作ってる時に自分たちのBBSサイト(ブッチャーズのファン・サイト『サンカクヤマ』)があることを知って、レコーディングの合間にそれを見ていたんですよ。そのサイトを見るっていうよりも、動かし方が判らないから「全部プリント・アウトしてくれ」って頼んで(笑)。で、それを読んでると“ナンバーガール”っていう名前があったんです。ナンバーガールと初めて共演したのは『NHKライブビート』('99年6月3日収録、OAは6月23日)だったのかな。最初はゆらゆら帝国とブッチャーズっていう組み合わせで、ゆら帝はインディーの頃から“スゲェ!”って思ってたから個人的に楽しみにしてたんだけど、メンバーがケガをしてキャンセルになったんですよ。で、“どうしましょう!?”ってことになって、とりあえず『ライブビート』の現場を見学に行くことにしたんです。その時やってたのがポリシックスとボートだった('99年4月29日収録、OAは5月20日)。そこで番組を担当していた沢田太陽さん(現・音楽ライター)に「ナンバーガールって知ってますか?」と訊いたら、「もちろん知ってますよ!」と。それでブッキングをお願いしたんですよね。

──ということは、ナンバーガールの音楽を知らずにブッキングを決めたわけですね。

吉村:うん。その頃はまだ東芝からメジャー盤も出てなかったしね。後で「透明少女」が入ったアドバンスのカセットを貰って“いいバンドだな”って思いましたけど。メンバーと初めて会ったのは、このBOXにあるブックレットによるとSHELTERの古閑さんのイベントですね('99年5月23日『K.O.G.A presents』)。『ライブビート』で共演するから一人で会いに行ったんです。彼らのライヴを観て駅まで帰ったんだけど、ライヴの印象が強烈に残って、どうしてもメンバーに会いたいと思ってSHELTERに戻ったんです。それが僕の言うところの“生ビール”なんですよ(笑)。

──“生ビール”?(笑)

吉村:凄い暑い日だったっていう記憶があって、生ビールがとにかく旨かった(笑)。

西村:俺もその日に吉村さんに会った記憶がありますね。「あれ、今日はどうしたんですか?」って訊いたら、「ナンバーなんたらがよぉ…」みたいなことを言ってたような(笑)。

吉村:“生ビール”っていうのは、その頃のナンバーガールがそういう音をしていたこともあるんです。何て言うのかな、“炭酸”って言うかな…。

──一口に“炭酸”と言っても、ビールのそれと、清々しいサイダーのような“炭酸”もありますけど…。

吉村:うーん。どっちにしても“炭酸”って言うか…その、細かい泡の粒子って言うか。そういう表現ですね、あのサウンドは。あのサウンドは、向井が作ったもののなかで僕はかなりイケてるなと思うんですよね。

加茂:実はかなり自分流なんですけどね。「透明少女」も『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』も、福岡で友人のエンジニアとアナログ8チャンネル・レコーダーで録ってますから。

吉村:彼らと知り合ってからはライヴによく遊びに行きましたよ。で、そのすぐ後に『RISING SUN ROCK FESTIVAL』の第1回('99年8月21日)があるんですよね。

──「この曲をやるために帰ってきました」と言って「7月」が演奏された、伝説の名演があった回ですね。

吉田:大トリのサニーデイ・サービスの前、ブッチャーズが真夜中の3時くらいに出た時のやつですね。電気グルーヴがトップバッターで、ナンバーガールはその後に2番手として出た。吉村さん、随分と長いこと会場にいましたね(笑)。

吉村:あの時は途中でダウンして、一旦ホテルに帰ったんですよ(笑)。

加茂:話が前後しますけど、ブッチャーズと初めてご対面 した時、ナンバーガールのメンバーは凄く緊張してたよね。

吉田:そうですね。“あのブッチャーズと一緒にライヴをやれるなんて…”みたいな。ろくに口も利けなかったですね。

吉村:『~DISTORTIONAL ADDICT』ができた時に、向井が手紙付きでサンプル盤を送ってくれたんです。その手紙はCDケースの中に一緒に入れて、今でも取ってありますよ。

吉田:いい話ですね(笑)。ブッチャーズとかイースタンユースには、向井君が「自分が手紙を書いて送ります」って言ってましたね。自分がリスペクトしつつ、ちょっと知り合いになれた人たちには自分から渡したいという想いが凄く強かったんですよ。

古閑:『~DISTORTIONAL ADDICT』に関しては、もちろん“恰好いいなぁ”と思いながら聴きましたけど、自分のレーベルから出した『~BYE BYE』のほうがやっぱり愛着はありますよね。だから言い方は悪いですけど…(早口で不明瞭に)“こっち(『~BYE BYE』)のほうが恰好いいじゃん!”って思ってましたよ(笑)。と言いつつも、毎日大音量 で『~DISTORTIONAL ADDICT』を聴きながら仕事してましたけどね。

──『DESTRUCTION BABY』以降、デイヴ・フリッドマンとレコーディングに取り組むようになってからはサウンドに変化が見られるようになり。

吉田:『DESTRUCTION BABY』の時は、そこの現場にいた人間はみんな、そのサウンドの変化に心底ビックリしましたからね。デイヴのミックスを聴いて、“何でこんな音になるんだ!?”って凄く驚いた。

加茂:でも、福岡で8チャンネルのアナログで録っていた頃からニューヨークにあるデイヴのスタジオに行くまで、2ヶ月くらいしか実は間がないんです。だから、当時は急激な成長と変化を遂げていたんだと思いますよ。スリーター・キニーの最新作(『THE WOODS』)もデイヴ・フリッドマンがプロデュースをやってますよね。デイヴのスタジオにナンバーガールのポスターが貼ってあって、それを見たスリーター・キニーが対バンしたことを覚えていたらしく、「ナンバーガールのあのクレイジー・サウンドをスリーター・キニーでもう一度やろうと思ってる」ってデイヴから昨年末にメールが来ましたけどね。

──吉村さんのなかでデイヴ・フリッドマンというプロデューサーはどんな位 置付けなんですか?

吉村:いわゆる“デイヴ・フリッドマン・サウンド”っていうのは個人的には好みではないかもしれないけど、ナンバーガール、フレイミング・リップスとは良かったんじゃないかな。あと、最近ではロウの新しいの(『THE GREAT DESTROYER』)にはぶったまげた記憶があるですね。ナンバーガールとかは、“デイヴ・フリッドマン・サウンド”とはまた違うところで僕は買ってましたけどね(笑)。“ナムヘビ”の時は、ミックスが凄い凝ってるなぁ…っちゅうか、そう思いました。

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