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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】eastern youth(2004年8月号)- 生きてんだからやりたいことをまっすぐやればいいんだ

生きてんだからやりたいことをまっすぐやればいいんだ

2004.08.01

逆境すらも酒の肴にして呑み干す

──こうした等身大の音楽を無理のないペースで出せるのは、やっぱり今のバンドがすこぶるいい状態にあるからじゃないですか?
 
二宮:まぁ、曲を作ったり演奏したりする上で、理解できない、把握できないとかのストレスみたいなものは本当になくなってきてるというか。
 
──個々の課外活動も活発じゃないですか。ニノさんのひょうたん然り、吉野さんのオホーツク然り。
 
吉野:オホーツクは全然まだ何にもやってません。1回スタジオに入っただけで。平山(秀朋)さんがまたヨーロッパへサッカー観に行っちゃったから止まってるんだけど、ちょっとずつやろうかなって。平山さんがドラムで、俺とセイキ君のツイン・ギターで。平山さんのドラムがなかなか面 白くてね。長いタームで趣味的にやろうと思ってるんで、オホーツクに関しては全然焦ってないです。どんな形でもやっぱり音楽が好きだから、いろんなことをやれるもんならやったほうがいいだろうと思ってるから。
 
──田森さんはイースタン一筋で?
 
田森:いやぁ、もう一杯一杯ですね、プライベートで(笑)。やってることがいろいろあるんで。
 
吉野:植木やったりな、梯子昇ったりしてるもんな(笑)。
 
──とにかく、今回の瑞々しくて力強いシングルとアルバムを聴くにつけ、つくづくバンドの底力を思い知らされた感じです。
 
吉野:何せ16年選手ですからねぇ…(笑)。
 
──9月からは全国22本もの巡業が始まりますが、やっぱりその土地土地の食が楽しみですよね。インタビュー前にも話が盛り上がってましたけど(笑)。
 
吉野:そうっすね(笑)、土地土地でしか食えない旨いもんを可能な限り食いたいですね。状況が合わなければ牛丼でも何でもいいんだけど。秋は魚系がグッと美味しくなってくる時期だから、それは期待大っちゅうか。(田森に)いろんなもんが出回ってくるくらいだべ? 9月じゃまだ早いか?
 
田森:いや、そろそろ出てくる頃だよ。
 
吉野:“食欲の秋”っていうくらいだからねぇ(笑)。旨いよ、きっと、いろんなもんが旬でさぁ。金沢とかさ。
 
二宮:あと、北陸ですね。
 
吉野:北陸は魚も旨いし、何食っても旨いもんね。まぁどこに行っても何かしら旨いもんはあるしね。意外な街でビックリするほど旨いもんがあったりするとかもあるね。“ここ不味そうでもホントは旨いんじゃねぇかな?”と思って入ったら、ホンットに不味かったりすることもあったけどね(笑)。“ハズレたぁ~! ショボ~い!”って(笑)。
 
──この飽食の時代に、不味いものを探し当てることのほうがかえって難しいですよね?(笑)
 
吉野:俺はよっぽど不味いものを探し当てる能力だけはあるんだね(笑)。ホント、ブッたまげる食い物を俺は結構食ってるよ。
 
──何か、ケチャップを使ったえらく難儀な料理を食べた話ありましたよね?
 
吉野:そうそうそう(笑)。トンカツにケチャップが載っかってんの。“ん? 赤味噌かな? 赤いぞ?”と思って。豚汁は、味噌汁に豚肉と刻みネギとかワケギみたいなのが入ってて。普通はもっと、野菜が煮てあるのとか入ってるじゃない? そういう具はないわけさ。もちろん“ノー出汁”的な味なわけね。それにトンカツって組み合わせ。赤いの。北陸とかなら赤味噌の可能性がある…そうか、赤味噌だったら凄く特殊な味噌なんだべなぁと思って食ったらこれが! ただのケチャップ!(笑) 笑ったもんなぁ。いいもん食った! これはネタにしよう!と思って(笑)。
 
──そういう逆境でも“その状況を楽しんでやれ”ってところが吉野さんにはありますよね。
 
吉野:うん、俺は結構そういうのを喜べるタイプだね。“こりゃヒドイ!”っていうあんまりな状況になると2、3日落ち込むんだけど、あとで振り返ると自分の中ではプラスになってるんですよね。“あれおもろかったなぁ”って、それを酒の肴に呑めたりするから。
 

転機となったアメリカ・ツアーでの大事故

──話が飛躍しますけど、去年のアメリカ・ツアーも過酷な状況だったじゃないですか。バン1台で長距離移動しながら、連日連夜ステージに立って。
 
吉野:いや、でもあれはホント普通に楽しかったの。まぁ、確かに過酷だったんだけど。
 
──しかも、高速道路を走行中にバンが横転して、真っ逆さまのまま横滑りする大事故まで起きて…。
 
吉野:あれ、大事だったんですよ、今度のアルバムを作る上でも。個人的にあの事故を経験して良かったと思ってるんです。ま、良くはないんだろうけど。
 
──帰国後のライヴではユーモアを交えてその時の話をされてましたけど、あの事故直後の写 真を見ると今でもゾッとしますよ。
 
吉野:まぁ、幸いにして誰も怪我しなかったからね。(今井)朋美[PA]はちょっと顔切ったりしたけど。でも、あの事故のおかげで俺は凄いいろんなものが吹っ切れたから。それは今回のアルバムの抜けっていうか判りやすさっていうか、そういうもんを得た感覚に影響してる。あれからやっと動き出せたんですよ。それまではどうしていいのかもがいていた感じだったけど、あの事故を機会に“ああ、大丈夫なんだ”って思えて、目の前がサーッと開けた。
 
──“自分は生かされているんだ”っていう感覚ですか?
 
吉野:そういう感覚もあったですね。“死ぬ 時ってこうかよ?”って思ってね、全然予期してなかったから。普通にメシ食って、ボケーッとして、車に乗って“あー、長旅だなぁ”なんて思ってたら突然だったからね。もうほんの数秒の間にドッカーン、グッシャーンだったから。“うわぁ、死んだ!”って思ったけど…。それまでは生きてるっちゅうのは当たり前だと思ってたけど、そうじゃなくて、凄いラッキーなことなんだなって思った。死ぬ 時も突然来る可能性が高いんだと。だったら“生きてんだからやればいいんだ、まっすぐやりたいことをやればいいんだ”って思ったわけ。考え込みたいんなら考え込んでもいいけど、考えることをムダにするなっていうか、考えたり悩むことをしっかり楽しんでいけよ、っていう。事故が起きた日の夜に呑んだビールは凄く旨かった。
 
──何というか、起こるべくして起こったというか、暗示的な出来事だったんですかね。
 
吉野:うん、俺はそれを感じたですね。まーた空がよく晴れててね、バカみたいに。あれも良かったんですよ。だってフリーウェイだしさ、今までずっと乗ってた車はひっくり返っててさ、消防車は来てるしさ、コロラドの空はピーカンだしさ(笑)。何か、“あー、お天道様!”って感じがした。車はグッチャグチャ、でも俺達はピンピン。あれで誰かがガックリ怪我してたら暗くなってたかもしれないけど、“良かったなぁ、俺達、良かったなぁ…”っていうか。
 
二宮:明らかに自分達がなくしたものがあるわけですよ。現実的に言えばその先に控えていたツアーはなくなったし、アンプも壊れて。それは何というか、精神的な面 でも一度これでご破算、って感じになりましたよね。それで面倒なことも残っていくわけですよ。生き残ったら今度は荷物を引き上げなくちゃならないし。死んでたかもしれない場所で生き残って、そしたらやっぱり“生きていくんだ!”っていう状態になりますよね。“生きるってこういうことなんだなぁ…”っていうか。
 
──田森さんがやっぱり一番冷静だったんですか?
 
吉野:だろうね。運転手だもんね。事故が起こる直前、こいつ(田森)が『ああ、ダメだ』って言って、あれがどれだけ恐怖だったことか! 俺は未だにフラッシュバックになるわ、あれ(笑)。
 
田森:ブレーキが全然効かなかったんだよ。思い切り踏んだんだけど、もうそういう状態じゃなかったから。
 
吉野:落下する飛行機に乗ってるみたいな感じだったわ。“『ダメだ』ってどういうことですかー!?”って思ったらいきなりドッカーンだもんな。
 
田森:凄かったよね。あれが何秒間の出来事か判らなかったですけどね、凄く長く感じたんですよね。ひっくり返って最終的にはズルズルズル…なんて引きずられて、地面 が見えたんですよ。フロントガラスの破片も飛んできて、火花も散っててね。匂いはしてくるし、熱いなぁ…と思って。結構冷静なもんですよね」 吉野「ああいう時って、走馬燈にはならんね。少なくとも俺はならんかったな。
 
──そんな思いがけない大事故でしたけど、それを契機として『DON QUIJOTE』という大傑作が生まれたことを考えると、人間万事塞翁が馬だなぁという気がしますね。
 
吉野:うん、俺の人生においてはあれはプラスだったなぁ…。“あ! なるほどな、そうか!”って思ったもんな。お金を出してもああいうアトラクションはなかなか体験できないもんね(笑)。
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