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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】eastern youth(2004年8月号)- 生きてんだからやりたいことをまっすぐやればいいんだ

生きてんだからやりたいことをまっすぐやればいいんだ

2004.08.01

同じ羊の群れの中にいるけど、こっちは横向いてる羊だから

──アルバム・タイトルの『DON QUIJOTE』ですが、これはミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』の主人公に自身を重ね合わせて?
 
吉野:そうです、そうです。
 
──アーティスト写真も、わざわざ遍歴の騎士に扮して(笑)。
 
吉野:ナニ被ってんのよ? って(笑)。顔、見えねぇべや? っちゅう。
 
──伝説の巨人(ブリアレオ)と勘違いして風車に突進したりする主人公の無軌道さに共鳴できたと?
 
吉野:まぁ要するに、バカなんですよね。迷惑な男なわけ。でも信じてるわけ。その、信じることが大事だなっちゅうか。大事っちゅうか、それと重なったんですよね。自分がやってきたこと、やって行きたいこと、吹っ切りたいことと、ドン・キホーテの姿とが勝手に重なった感じがして。凄い力が湧く感じがしたんです。そいでもうウォーッ! となっちゃって、“俺が(ドン・キホーテに)なる!”みたいな。で、ダンボールで仮面 を作って。
 
──しかも可動式で(笑)。
 
吉野:そうそう(笑)。それで被ったりして曲を作ったわけですよ。
 
──タイトルも珍しく横文字で。
 
吉野:ローマ字だけど、みんな知ってる言葉だし、スペイン語だしね。センテンスじゃなくて人の名前だから。必然性があれば別 に何語でも俺はいいし、一発でこの想いを表現するタイトルとして『DON QUIJOTE』が俺は一番合ってるんじゃねぇかと思ってそうしたんですけど。
 
──収録された11曲はどれも過不足なくジャストな状態で1枚のアルバムに収まっているし、1曲目の〈街はふるさと〉から最後の〈窓辺〉まで流れもちゃんとありますね。
 
吉野:そう聴こえるようになったってことは、いい状態で作れたんじゃないですかね。流れも別 に計算したわけじゃないんだけどね。邪念は捨てるんだ! と思って、何も考えないで作ったんだけど(笑)。出来上がった曲を組んでみると、ちゃんとストーリー性が出来たっちゅうか、お話になってるっちゅうか。自分でもちょっとビックリみたいな感じもあって。
 
──〈矯正視力〇・六〉のアルバム・ヴァージョンは小谷美紗子さんのピアノとコーラスが入っていて、シングルとはまた随分違った感触に仕上がってますね。
 
吉野:あれは、あの人が持ってる馬力なんですよ。
 
──あのポロンと爪弾く一音や、記名性の高い歌声のコーラスたるや…。
 
吉野:それが恐ろしいところなんですよ、彼女の。本当に凄いなって思う。
 
──〈街はふるさと〉の「涙拭いたら、もう行くぜ/冷めて張り付いた横顔のままで」、〈JET MAN〉の「捨てて行け 捨てて行け 捨てて行け/捨てられる全てを」といった歌詞に顕著ですが、“いつまでもショボクレてんじゃねぇよ、俺!”というか、悲しみの深淵を覗いたその先にあるものが通 底するテーマとしてあると思うんですが。
 
吉野:どうにかしないとダメだってことは判ってるわけ。でも別 に泣きたかったら泣いてもいいと思ってるんだよね。残された選択肢は死ぬ しかないわけだから。死なない限りは朝日がまた昇っちゃうしさ。そんなことしながらでも何でも、行くしかないことは判ってるわけ。その中でいろんなことを自分の心の中に映していってるんですよね。そのお話なんですよ、結局。
 
──イースタンの歌は決して「お前も頑張れよ」とは言わないし、突き放してはいるんだけれど、どこかに聴き手が自分自身を投影できる余白があると思うんです。だからこそ僕達はイースタンの音楽に心から共鳴できる。
 
吉野:たぶん、みんなも同じだからじゃないですか? どうにかこうにかやって行かなきゃなんなくて、恰好いいことばかりじゃないし、恰好つけたつもりでも、むしろズッコケて滑稽なことのほうが多い。だからそういうふうに投影できる部分があんのかなとも思う。そういう情けない部分は俺ももちろんそうだっちゅうか。それを俺達は音楽として形にするための努力をしてやってるけど、音楽をやってない人も自分の生活の中でやれることをやっているってことですよね。俺達はプレイをもってしてそれを表に出しているってだけで。別 に偉くもないし、低くもないし、同じなんですよ。
 
──〈大東京牧場〉の中でも唄われていますけど、「多少毛色は違えども/やっぱり私も羊だった」と。東京の雑踏で棲息する、自分も同じ群れの中の羊なんだという。
 
吉野:ただし、こっち(と、顔を右横に向ける)向いてる人達ですからね。元ネタをばらすとね、そういう詩があるんですよ。金子光晴の〈おっとせい〉っちゅう詩が。日本人をオットセイに喩えて、吐く息がクサイだの、気持ち悪いヤツらだのと散々長々とけなして、最後は俺もオットセイだと。でも同じオットセイの群れの中にいるけど、間違えんなよ、俺は横向いてるオットセイだからな!っちゅう。…ちょっとね、それをパクった(笑)。
 
──(笑)この〈大東京牧場〉や〈窓辺〉のような、たゆやかに流れるスケールの大きなメロディが、どこかレーベルメイトであるfOULの音楽を想起させるところもありますよね。
 
吉野:影響下にはあるんじゃないですかね? 俺は意識的に、なるべくfOULに似ないように作ったつもりだけど。やっぱり影響されて、そういう部分が出ちゃってる部分はあると思いますね。ただ、健ちゃん(谷口 健)が聴いてきた音楽とバックボーンも似てるしね。だから発想自体が近いっていうのもあると言えばあるけど、明らかにfOULから影響されてるところもあると言えばある。それを俺は恥ずかしいことだと思ってないから。

 

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