Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】じゃがたら残党組(OTO+南 流石+ソウリ)(2003年1月号)- お前はお前のロックンロールをやれ!

お前はお前のロックンロールをやれ!

2003.01.01

80年代初頭のパンク黎明期、活性化したロックシーンからは多くの優れたバンドが出現し時代を揺るがしていたが、中でもじゃがたら程、話題性、音楽性、存在感のすべてにおいて突出したバンドは他になかった。 そのじゃがたらのVo、江戸アケミがこの世を去って13年。命日(1月27日)の4日後、1月31日にイベント「江戸アケミ十三回忌 天国でのゴール!」が新宿ロフトで開催されることになった。アケミにしてみれば、今さら俺を追悼して「ナンのこっちゃい」って感じだろうが、現在、アケミが残した言葉、音楽、思想は、全く色褪せていないどころか、むしろ、ますますその重要性を増しているような気がしてならない。おこがましくも、私は、アケミが20年以上前に立っていたスタートラインに今ようやく立てたんじゃないかとさえ思っている(一体、じゃがたらを聴いて何年たつというのだ!)。 今回、ROOFTOPでは特集として、江戸アケミとは一体何者だったのかを、じゃがたらのOTO、南 流石、じゃがたらマネージャーの大平泰男(ソウリ)に語っていただき、今の時代との接点を探ってみた。 (INTERVIEW:加藤梅造)

お前はお前のロックンロールをやれ!

10p3.jpg──今年(2002年)の始め、ロフトプラスワンで江戸アケミ十二回忌トークイベントをやった時、OTOさんがアケミさんの言葉をスクリーンに映してたじゃないですか。あの時は、ちょうど9.11テロの直後ってこともあって、アケミさんの言葉が以前にもまして刺激的に響いたんです。

OTO:そうなんだよ。昔よりも全然リアル度があがってるんだよ。

──僕は生のアケミさんを観たことがなくて、ビデオや詩集などから彼の発言を知ったわけなんですが、ものすごいリアリティがあるんです。そこで今日は、そうしたアケミさんの言葉を基に、いろいろお話をお伺いしたいと思います。  まず、アケミさんが客にアジテーションするときによく言っていた「お前はお前のロックンロールをやれ!」なんですが、これってすごいキーワードだと思うんです。

OTO:当時、ライブを観に来た客に向かって、アケミが「お前はお前のロックンロールをやれ!」って言っても、「そんなことわかってるよ」とか「お前にいちいち言われたくない」っていう反応もあったんだよ。説教はやめてくれ、みたいな。でも今にして思うと、やっぱりそれほど伝わってなかったんじゃないかなと思う。バンドのメンバーもお客も世の中も、まだ未熟だったような気がするんだよね。少なくとも僕個人は全然わかってなかったというしかない。もちろん、表面 的な解釈として「自分のオリジナルを大切にしろ」だとか「なんで自分は生まれてきたかを考えろ」ぐらいのことはわかるよ。でも、アケミはもっと先の段階のことを言ってて、今の地球が全体的に爆発しそうな危機感がある中で、自分自身の事をやる時の対象に「対地球」があるかどうかの違いがあると思うんだよ。だって、そこに対地球がなければ、ただ好き勝手にやれというだけのことで、そんなもん電車の中でウンコしてる奴が「これが俺のロックンロールだ!」って言うのがまかり通 るって事じゃない? でもそれって対地球として考えたら、本当に気持ちいいの?ってことになっちゃうじゃん。とりわけ、アケミの言葉が12年を経て、あまりにリアルに立ち現れてしまったというのは、地球も社会も今、暴発寸前になってるってことだと思う。まあ、俺も今になってようやくわかったんだけど。

大平:でもさ、アケミはその言葉を自分自身に対しても言ってたんだよ。「俺は毎日ロックしてるのか?」って。それは、自分の真実の姿を謙虚にさらけ出して位 置付ける行為だったと思う。

OTO:危機感の感じ方って年齢には関係ないと思うの。大人だから危機感が強いとか世の中を知っているんではなく、子供でも感じる奴は感じるし、宇宙の時間からみたら、人間が50年たって悟ったなんて話ではないと思う。だから謙虚の前提には危機感っていうのがあって、それがないと本当に謙虚にはなれないと思うんだよね。俺、この前初めて「北の国から 遺言」を観たんだけどさあ・・・・(この後しばらく「北の国から」の話が続く)

大平:わかったわかった。つまりOTOが言いたいのはさ、生物っていうのは、自然に対する自分たちの存在は謙虚でしかいられないってことなんだろ? 謙虚でいることが一番自然な状態なわけ。アケちゃんがよく「自然に対する畏敬の念を忘れちゃダメなんだ」って言ってたけど、彼はいつも謙虚だった。だけど、自然がどんどん歪んでいく中で、謙虚である自分の痛みが出てきてしまう。それがOTOの言う危機感だったんじゃないかな。

OTO:83年にアケミがテンパッた時(註1)、太陽の下じゃないと喋らなくなってしまって、ビルの中だと筆談しかしないんだよ。プロレスラーみたいな身体だったのがエゴン・シーレの絵みたいに痩せ細ってしまって、そのうち「邪悪だ」ってことで服も着なくなっちゃったの。それでこれはいよいよヤバイって思って精神病院にも連れてくんだけど、部屋の中だと喋らないから屋上に行ったのね。そうすると何事もなかったように普通 に喋りだすんだよ。それで、当時住んでた参宮橋のビルの屋上からは神宮の森が見えるんだけど、その時アケミが「おまえ、あっち観てみ。神宮の森があるのに、その前にあんなにガンガン、ビル建ててさあ。神宮の森が泣いてるじゃん。わかる?」って言うの。もちろん、人間が森を切り裂いてビルを建てる事がよくないってのはなんとなくわかるんだけど、その時、森が泣いてるって感じるかどうか、その切実さっていうのは、単に頭で理解するレベルとは違うと思うんだよ。森が泣いてるという痛みを、自分が愛する人が苦しんでいる時に感じる痛みと同じように感じるっていうのはさ。」

地球はどうしてできたのか、誰が作ったのかと考えて、地球がクソなのかと思ってクソを喰ったりしたんだよ。

10p1.jpg──OTOさんが加入する前のごく初期のじゃがたらって、エログロなイメージが強かったじゃないですか(註2)。その路線は話題性としては成功しましたが、当時のスターリンと同じく、スキャンダラスなイメージが先行して随分誤解を受けたわけですよね。

OTO:もちろん本人が本当にエログロが好きなわけじゃなくて、そこにはある種の大衆批判みたいなメッセージがあったんじゃないかな。つまり、大衆がどれぐらい汚れているかを見せてやるみたいな、「ほら、オマエたちの趣味はこういうんだろ?」っていう。まあ、アケミがそこまで考えてやってたかどうかわからないけど(笑) パンクとかをまじめに批評したりする事に対して「うるせー」っていう気持ちがあっただけかもしれないし。

──僕は後にアケミさんの「地球がクソなのかと思ってクソを喰った」って発言を読んで、こういう考えから初期のエログロ路線は生まれたのかなとも思ったんですが。

大平:それはあるかもしれないね。

OTO:僕自身はウンコについて掘り下げたことはないんだけど、アケミは小さい頃、バキュームカーの運転手になりたかったって。あと、お父さんが酔っぱらって便器に散らかしたウンコを掃除するのが好きだったとも言ってたな。だから、地球という規模でウンコを考えたら、ウンコはちゃんと養分として循環するものなのに、化学肥料とかが主流になるにつれ、いつの間にか忌み嫌われるものとして排除されてしまった。そういった人間の都合で排除していく事に対して憤りを感じていたのかもしれないね。

──「野生の勘というよりは、百姓の勘といってほしい」とも言ってましたが、百姓にもこだわってましたよね。

OTO:『南蛮渡来』の頃は「土臭い」っていうキーワードがあって、それはアメリカ流に言えば「ダウン・トゥ・アース」ってことになるんだろうけど、そんなシャレた言い方はしてなかった。例えば同じようなフレーズでも「うーん、今のは土臭さが足りねえなあ」とか「お、今のはちょっと土臭かったね!」とか、何の宗教のワークショップだって感じだったよ(笑) だってさあ、「土臭い手拍子打ってくれ」とか言われても困っちゃうよね(笑)

南:そういえば、私、ハンバーグですごい怒られた。

OTO:何それ?

南:“食いかけのハンバーグ”(『TANGO』の一節)で、“ハンバーグ”の言い方が違うらしくて。「そのハンバーグじゃねえんだよ」って(笑)

OTO:芝居の演出でもうっとおしいぐらいの細かい指示だ。


大平:近田(春夫)さんもゲストでコーラスやってくれた時にはかなり困ってたよね。

OTO:いい迷惑だよね。せっかくゲストで来てくれたのに、「違うんだよ。そうじゃねえんだよ。」ってさあ。それでも近田さんは一所懸命やってくれたんだけど、アケミがひどいのは、やるだけやらせた後「まあ、いいや。後は俺がなんとかしとくから」って(笑)。それでも、近田さんはそういうアケミを許すんだよ。

大平:まあ、それはOTOがアケミをわかってやってるから、近田さんもOKなんだよ。

OTO:そこが近田さんの奥深い所でもあるし、そういうこと言うアケミ自体が面 白いってのもあったから、ケンカにはならなかったんだよな。

このアーティストの関連記事
休刊のおしらせ
ロフトアーカイブス
復刻