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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】じゃがたら残党組(OTO+南 流石+ソウリ)(2003年1月号)- お前はお前のロックンロールをやれ!

お前はお前のロックンロールをやれ!

2003.01.01

率直に言うとさ、俺、救われたいんだよ。でも宗教は嫌なんだよ。だから何に救われたいかって言ったら、リズムで救われたいんだよ。

10p4.jpgOTO:アケミはバンドっていうものをすごい気持ち悪がってた。サラリーマンが○○会社の××だって名刺をきったりすると、「なんだよ、オマエはオマエだろ」って言ったり(笑) それと同様に、じゃがたらなんかどうだっていいんだよってよく言ってた。例えば、延々セッションとかしたりするじゃん。そこで、俺はうまくいかなかったと思っても、アケミは「今日は気持ちよかった」とか言ってるの。気持ちよくなったもん勝ちっていうか、「お前はお前に納得したかどうか」が一番大事だったね。

──じゃがたらは、特にリズム、ビート、うねり、っていうのにこだわってましたね。

OTO:当時、ワンコードで延々演奏するバンドってほとんどなかったから、周りからは何やってるんだって思われてたね。今では、ダンスミュージックやってる人には当たり前になってることだけど。

大平:基本的なベースは、「気持ちいいかどうか」だけだったよね。

OTO:そうそう。パーツ、パーツで見ると下手な人も混じってたけど、全体で気持ちよくなるように延々練習してたよね。あと、アケミの場合、インストだけのパートでもやたらと喋りたがるんだよ。うるせえって言うんだけど、なんかやたら混じってくる(笑) でもやっぱり、音を出してる者同士だけでやるんじゃなくて、センターにスピリット・プロバイダーが必要だったと思う。例えば、マイルス・デイビスのバンドって、それぞれのプレイヤーがソロでやったものより格段にいいものになるんだけど、それはマイルスの技術が凄かったというよりも、彼の思想そのものがでっかかったってことだと思う。

10oto.jpg──じゃあ、テクニックがない人を辞めさせるという発想もなかった?

OTO:それはないな。ストーンズ方式っていうか(笑) 人ありきだよね。20秒かけてできなかったら1時間かけるし、10時間かけて練習する。そうすると同じ下手でも、20秒と10時間では格段に中身が違ってくる。それは1つのフレーズに10時間生きちゃったわけだからさ。…ということを、もうちょっと早く解ればよかったんだよね、俺(笑)。

大平:今の発言重要だよ(笑)。

OTO:今だから言えるんだけど、10年前は言えなかったからさ。今更、何えらそうなこと言ってるんだ、俺はよー!(笑) 。

──南さんは、じゃがたらに途中から加入したわけですが、入ってみてどうでした?

南:私だけ音楽やってて入った人ではないから、正直言って今だにあの時代のことはよくわかってないのかもしれない。だけど、「お前はお前のロックンロールをやれ!」っていうのと同じように、アケミから「お前はお前の踊りを踊ってない!」って言われて、かなりバトルになりましたね(笑)

OTO:だって南は、当時既にサザン(オールスターズ)とかの振り付けしてたのにねえ。

南:「お前の踊りはニセモノだ」とか「営業踊りだ」とか言われて。でも、その頃は意味がよくわかんなかった。だけど、そこは百姓の勘じゃないけど野生の勘で「このクソジジイ、絶対お前の踊りだって言わせてやる!」って思ったんです。

OTO:KUWATA BANDとかでは多分「南、いいねえ」って言われてたのに、一方、じゃがたらでは・・・。

南:「気持ちよくねえんだよ、南が横にいると」とか言われてた(笑) でもね、それが私にとってすごいことだったんです。あれがなかったら今の私はいないって言えるぐらいの出会いだったんです。

10minami.jpg──普通だったら辞めますよね。

南:それが勘だったんですけど、「辞めさせないで下さい」ってアケミに頼んだの。なんでかわかんないんだけど「ここにいなきゃいけない」って思ったんです。私は、OTO達とアケミのつき合い方とはあまりにも違ったので、逆に今、私が知らなかったアケミの話を聞くのがすげぇ嬉しい。だから、アケミが亡くなってしまったのは、ホント、物足りないの。

OTO:リベンジし損なったからね。

南:そうそう、勝手に死ぬなよって(笑) だから私の中ではアケミとの勝負は終わってないんです。たまに「なんか…、今日は南がいると楽しいな」とか言ってたこともあったんだけど(笑)、完全勝利じゃなかったからね。

バカヤロー!カネ儲けたら返せ!カネはみんなに返せ!

──80年代ってバブルの真っ盛りだったわけですが、アケミさんはいち早くそういう状況に対して危機感を感じてましたね。

OTO:アケミはとにかく言ってた。86年ぐらいから「こんなこと続く訳ない」って言い続けてた。

──経済的な知識はあったんですか?

OTO:全然そういうのはない。勘だよね。だから、もしアケミが「土臭いビート」とか「百姓の勘」とか言う一方でもうちょっと経済とかの知識があって、そういう世界の人ともチャンネルがあったら、もう少し精神的な逃げ道があったのかなとも思う。

──ふつうは音楽やるのに日本経済の事まで考える必要ないですからね。

OTO:83年にJAGATARAスタジオを作って『日本株式会社』(EP『家族百景』収録)という曲を出した時は、まだ日本株式会社という単語はなくて、フランク・ザッパのように社会を揶揄した面 白いネーミングだなぐらいにしか思ってなかった。でも、音楽業界的にはもっとスマートな言い方が好まれる時代だったから、僕は、タイトルはリフの『ジャパン・フィクサー』の方がいいじゃんって提案したんだけど、アケミは「いや、『ジャパン・フィクサー』じゃ弱いぜ。『日本株式会社』だよ」ってこだわってたの。でも、今にして思うと、僕なんかの方が全然うわついてて、発想も乏しいし何にも想像力に根付いてないよね。って、また俺の懺悔コーナーになっちゃうんだけど(笑)

──ところで、『家族百景』はなんでCDになってないんですか?

OTO:いやあ、コンプリートにしてしまったら過去に流してしまうような気がして、オフィシャルな未発表を残そうかなと(笑) 出してもいいんだけど。

──まあ、じゃがたらは解散してないですからね。

OTO:永久保存だからさ。データはちゃんとある(笑)。

──解散っていうのは全然考えなかった?

OTO:アケミの肉体がなくなった程度のことっていうか。あの時は、なんか知らないけどすごく気が張ってて、その気持ちを表す何かいい言葉がないかなあとずっと考えたんだよ。

──大平さんは「思いが同じなら死んだ人とも仲間なんです」って書いてましたが。(註3)

大平:そりゃそうだよ。だって今、現にアケミの話をしてる人がいるんだから。『つながった世界』(CD『それから』収録)ってあるけどさ、目には見えないだけで、エネルギーはずっと循環してるから。

──僕みたいな、じゃがたらのライブを観たことない人間にとってはとても嬉しいことです。

南:どうする、「じゃがたら残党組」がじゃがたらだと思われたら?

OTO:じゃあ、“じゃがたら”を取ってただの「残党組」にしよう(笑)

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