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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】じゃがたら残党組(OTO+南 流石+ソウリ)(2003年1月号)- お前はお前のロックンロールをやれ!

お前はお前のロックンロールをやれ!

2003.01.01

仲間をつくれ! 仲間をつくるんだ! おまえらはおまえらの仲間をつくれ!

──「仲間をつくれ」ってなかなか気恥ずかしくて言えない言葉ですよね。特にロックの人は。

OTO:でも逆に安易なレベルで仲間になってる人が多いような感じもあるけど。だから「仲間をつくれ」の前には、「本当の」って言葉がつくんだと思う。俺、アケミからよく「友達との約束はちゃんと守れ」って言われてたんだけど、当時、事務所のバイトの女の子で遅刻がちな子がいたんですよ。で、アケミは、それを直して欲しいから「まず、俺が朝ちゃんと行くようにやってみせるわ」って、自分が朝早く行くようにしてたんです。

──なんか、アケミさんって…、すごい立派な人だったんですねえ(一同笑)

OTO:自分の気持ちが言葉で伝わらない時は、体で行動して伝えようってことだったと思うんだよね。そういえば、またこれも俺の懺悔コーナーなんだけど、じゃがたらで「8・6のビートをできなければ未来はない」って言って、結果 的にバンドの寿命を縮めるようなことをやったことがあったんだけど、その時、ベースのナベちゃんがなかなかうまくできなかったんです。それで何時間も練習してたんだけど、アケミが俺に当てつけっぽく「OTOはそうやって練習場で一生懸命言ってるかもしれないけど、うまくいかないってことは原因は他にあるんだよ。だから俺は俺のアプローチでやる。答えは一つじゃねえんだ」って言うんだ。それで何したのか聞いたら「まあ、俺は昨日、ナベちゃんちに行ってきたけどね」って(笑)。で、俺が「え、家で練習したの?」って訊いたら、「いや、いろんな話をした」って言うの。この時アケミが俺に言いたかったのは、「フレーズがうまくいかないのは、個人の中にある何かに原因があるのであって技術だけの問題だけじゃないんだ。メンバーと一緒にバンドをやるってのはそういうことだぜ、OTO」ってことだと思うんだよ、たぶん。なんかねえ・・・・・・いい話だろ?(笑) こういう話はいっぱいあるんだよ。身近なピースっちゅうか(笑)

──バンドだから当然いろんな軋轢があるんでしょうけど、じゃがたらには「仲間」っていう意識が常にあったように感じます。

10souri.jpg大平:だから解散ってできないんだよ。そういうつき合いだからさ。

──アケミさんの死って、ジョン・レノンの死とダブりますよね。

OTO:アケミはジョン・レノン大好きだからね。山ほどアンサーがあるから。そのナベちゃんとの件の時も『With A Little Help From My Friend』の事をさんざん俺に言ってたもん。「ちょっとの助けがな、友達からあればよぉ」って。おまけに『St. Pepper's』のCDまでくれたからさ(笑)

やがて現れる荒廃したテクノポリスよ、君はその残骸から赤ん坊をとり出すのさ。 だから今が最高だと転がっていこうぜ

10p2.jpg──では、1月31日の「江戸アケミ13回忌 天国でのゴール」について。キーワードが“業をとれ!”なんですが、これは?

OTO:それはWTCに2機目がぶつかった瞬間、資本主義は終わったなと直感で思ったんです。あーあ、アケちゃんが言ってたことが本当に起こっちゃったなと。実は、それまで僕は音楽をやっていればいいと思っていて、それ以外の事は、誰か専門の人がやればいいやと思ってたんだけど、もうそれは違うんだよ。そうすると、「お前はお前のロックンロールをやれ」っていう言葉の先に、日本だったり地球っていうのがあるのがわかる。もう専門家が担当するレベルじゃなくて、一人一人が認識してやらないと先には進めない。それが“業をとれ!”なんです。この場合の“業”は、人間の傲り高ぶりという意味ですね。

──今の時代の状況が、当時アケミさんの抱いていた危機感の通りになってきてる。僕みたいな凡人にもようやくその危機感が分かってきて、何とかしなけりゃヤバイよっていう気持ちが多くの人達の中で高まっていると思うんです。だからこそ、今、アケミさんの言葉はすごく重要だと思うし、例えば『つながった世界』の中の「だから今が最高だと転がっていこうぜ」という言葉なんかは、今の僕達を励ますために書かれたんじゃないかとさえ思えるんです。

OTO:うん、スゴい世界が描かれてるよね。金平茂紀さん(註4)が、去年、辺見庸さんとアフガンに行った時にまさにそうだったらしくて、「『つながった世界』そのものだった」って。

──今はアフガンという遠い国の事かもしれないけど、数年後には日本で起こってるかもしれないですよね。

OTO:それはあるよ。それはすごいある。歴史を見れば一目瞭然だけど、アメリカは、一旦味方につけたものを切り捨てることを繰り返してる国だから、日本は長い間、アメリカの子分でいるけど、こんなのいつひっくり返るかわかんない。今のアメリカのキチガイぶりは、そこまでいってもおかしくないよ。あと、あまり言われてないけど、イギリスのキチガイぶりもすごいからね。

大平:中南米の国が何故できたのかって考えれば、それはヨーロッパのご都合主義できてたわけでしょ。今の覇権国家であるアメリカがやってることもそれと同じだよ。

──音楽っていうのは絶望を歌うこともあるけど、絶望に立ち向かう力もあるわけで、特に、じゃがたらの音楽はそうしたものだと思うんです。

OTO:確かに。じゃがたらは日本の事とか社会の事とかによく対峙していたと、今日改めて思った。

──では、最後に1月31日への意気込みを。

OTO:うーん、意気込みですか。じゃあそれは南さんから。

南:え~、だって私は止まってるから。

OTO:止まってる??

南:私にとって、じゃがたらにいたっていうのは、とてつもない事件だったのね。だから私の中では全くなくなってないし、永久保存してないんです。あの時、アケミに言われた「お前の踊り」を見つけようとして、私はまだ踊ってるんだと思う。

OTO:音楽とアートっていうのは、いろんな事を進めていく時にすごく大切で、その先に人の喜ぶ姿を思うっていうのがすごく大事なことだと思う。僕は、それこそが想像力だと思ってるのね。先月、田舎(富山県魚津市)でイベントをやった時に、僕がスタッフ全員に言ったのは、何かに対して常に自分のプラスワンを見つけて欲しいって言ったんです。イベントは、みんなのプラスワンを集めたくてやってるわけで、それがないと、僕達の嫌いな県や国の政治と同じになってしまうから。

大平:だから、1月31日に来てくれた人がそういうことに気づいてくれて、じゃあ自分のプラスワンはどうしようかと感じてくれることがすごく大切だよね。アケちゃんがよく言ってたけど、「今」っていうのが重要で、「今、何をするのか?」それをイベントで見つけていけるといいね。

(註1)83年11月。ツアー中のアケミの言動に異変があり、その後入院。退院後は四国の田舎に帰る。じゃがたらは活動休止を余儀なくされた。86年に本格的な活動を再開。
(註2)シマヘビやニワトリを食いちぎる。自分の頭をナイフで切りつける。はては放尿、浣腸、と初期のじゃがたらはスキャンダルなイメージが先行した。
(註3)アケミは「お前ら仲間をつくれ」と言ってました。世代を超えて沢山の仲間が増えていくことを祈ります。50年後には何人くらいの仲間ができているかな?そのときにはOtoも私もこの世にはいないけどね。とても楽しみです。ワシントンにいるTBSの金平さんから二十三時的という本を送って頂きました。その巻頭にアケミの言葉が使われています。語り継ぐものは目に見えるものではなく、「思い」ですね。アケミは豪快な面 構えで唄っていましたが、葛藤のかたまりのような人生を過ごしたはずです。そのいくばくかを私たちが理解することができれば、少しは彼の供養になるはずです。なべちゃんや篠田くんにしても同じです。あの世とこの世はつながっています。目に見えるものが消滅したあとには「思い」や「こころ」の世界が従前どおり残っています。だから当時を知らない人でも「思い」が同じなら死んだ人とも仲間なんです。(大平さんの発言より)
(註4)金平茂紀──TBS報道局。元「ニュース23」デスク。近著『二十三時的』(スイッチ・パブリッシング)でもアケミの歌詞(『みちくさ』)を引用している。

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