1976年6月12日、13日の中野サンプラザでの昼夜2デイズを皮切りにいよいよスージー・クアトロとのツアーは始まり、30分という短い時間であるが、思い切りジャパニーズ・ロックとして、PANTA&セカンドでぶちかませたと思っている。
それにしても毎日毎日エヴリデイ、あの小さな体で1時間強、シャウトし続けるスージーにはほとほと感心させられてしまう。いかにビジネス色の強いツアーとはいえ、そこは一切手を抜かず、エキサイティングなステージを繰り広げるスージーに見入ってしまうことしきりだった。
それにしても毎日毎日エヴリデイ、あの小さな体で1時間強、シャウトし続けるスージーにはほとほと感心させられてしまう。いかにビジネス色の強いツアーとはいえ、そこは一切手を抜かず、エキサイティングなステージを繰り広げるスージーに見入ってしまうことしきりだった。
そんな過密なスケジュールの続いたある日、うっかりホテルで寝坊してしまった馬鹿者がいた。そう、自分が気持ちよく鼾をかいているときにウドーのスタッフからの電話でたたき起こされたのであった。慌てて外へ出て、待機しているバスに走り込むと全員が固まった状態で無言状態、そしてスージーの罵声とそれに続く怒り心頭のムッツリ顔、もう謝るしかないのだが、日本人最後の武器の土下座も通用しないような雰囲気の中、何事もなかったかのように静々とバスの運転はスタートしたのであった。
そんな気まずい雰囲気の中、どこの会場か忘れたが、とにかくステージでこの空気を払拭せねばならないと、いつも以上にエキサイティングに暴れまくった記憶も印象的に覚えている。そして公演を終え、その日はそのまま夜移動、バスは高速から離れて旧国道に入っていった。きっとトイレ休憩できる場所でも探していたのだろうと思うが、ある寂れたドライヴインに入り、全員バスから降りて、古びたファミレスみたいなのを想像してもらえれば良いが、そこでこれまた年代物のジュークボックスをスージーのメンバーが見つけ。おもむろにコインを入れ、大音量が店内に流れ始めてしまったのである。
そりゃメンバーも嬉しかっただろう、こんな寂れたドライヴインのジュークボックスでスージー・クアトロの曲を見つけたんだから。そして「Your Mama Won't Like Me」がガンガンにかかるなか、メンバーたちは踊りだし、促された自分もそれに合わせ踊る羽目になってしまった。寝坊事件の直後ということもあり、そばでリズムを取っていたスージーの自分を見上げた笑みがいまだに脳裏にこびりついている。
と同時にスージー、その胸元のファスナーはもう少し上にあげてくれると嬉しいかなと思ったことを付け加えておこうwww。