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トップコラムおじさんの眼第236回「まじかに迫る新店舗開店~ROCK CAFE LOFT is your room」

36回「まじかに迫る新店舗開店~ROCK CAFE LOFT is your room」

第236回「まじかに迫る新店舗開店~ROCK CAFE LOFT is your room」

2018.03.01

 

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船の上でも音楽をいつも聴いていた
 

たくさん働いている老齢・平野さん

 ロフトプロジェクトが新たに提案する新店舗「ROCK CAFE LOFT」の開店日(3/20予定)が迫る中、わたしゃ疲れ切っているのだが、言い出しっぺは私なので今回はいつものように敵前逃走をする訳にもいかず、70歳を過ぎてもなんともたくさん働いている昨今なのだ。
 新たな店のイメージ作りは、いろいろな不安が山積みになっている。47年前に私が出店したロフト1号店のジャズ喫茶ロフトは、京王線の千歳烏山のはずれ、たった7坪の空間だった。その当時は高度経済成長の初期で、若者たちは高価なステレオやレコード(当時は1枚2000円以上した)を買えず、ましてや四畳半一間と煎餅布団、裸電球の下で生活していたわけで、やはり当時はロックやフォークを聴くには街に出て、流行っていたジャズ喫茶やロック喫茶に行くしかなかった。そのうちアナログレコードがMDやCDになり、ウォークマンという持ち運び可能なステレオ音響になり、ロック喫茶やジャズ喫茶は街から姿を消してしまった。この頃から音楽は、「一人でイヤホンで聴くもの」という感じになったようだ。
 

突然ロックを爆音で聴いてみたくなった

 昨年の4月頃だったろうか、春風に誘われ、老齢の身ながらなぜかビョークやニールヤングやフジロックで話題になっている音楽家の新曲が聴きたくなった。加入したばかりのAppleミュージックで探し、パソコンから楽曲を流して聴いていたのだが、どうもイマイチ面白くない。この楽しくなさは多分、部屋でひとりビールを飲みながら寂しく篭って聴いているからなのだろうと思った。ロックを聴きながら孤独を感じるなんて久しぶりだ。
 なんだかちょっと寂しくなって、巷のロックバーでグラス片手に楽しく音楽を聴きたいと思った。早速、Rooftop編集部の面々を誘って歌舞伎町のロックバーやロック喫茶に足を運ぶが、どうもノれないし楽しくない。客も少ないし音もあまり良くなく、リクエストすら受け入れてくれない始末だった。そうなると、私がかつて青春時時代に体験した、ロック喫茶で新しいロックに出会って興奮したことへの思いがふつふつと湧き上がってきたのだ。「よし、あの70年代のロック喫茶をもう一度ロフトでやってみるか」という気になった。
 
 
 
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船上でジャズ講座を開催

ライブハウスなんて赤字が当然だった時代

 相変わらず同じようなことばかり書いているようだが、やはり40数年前、ロック系のライブハウス(当時はそんな言葉さえなかったが)が東京に一軒もなくなってしまった現状を見て、「そういうことなら俺が作るしかない」と、ロックのライブの作り方も音楽のこともほとんど知らないまま、中央線の西荻窪に『西荻窪ロフト』という小さなライブハウスを作ってしまった。もちろんその時代は日本のロックの状況なんて最悪で、演奏者も少なかったし、ロックファンはほとんど洋楽志向だった。やっと芽生え始めた日本語ロックには、誰も見向きもしなかったのだ。
 『西荻窪ロフト』の経営を始めてみたが、とてもライブだけでは経営できず、お客さんより演者の数が多いのが当たり前だった。私はロック系のライブは客が入らないのは当たり前、常に赤字であるということをすぐに学習した。しかし、赤字であってもせっかく始めたライブはやめたくなかった。店の運営にはずいぶん頭を悩ませた。私は昼の12時から夕刻5時までレコードが聴けるロック喫茶を開き、それからライブのリハーサル、本番があって夜10時ごろにライブが終ってから急いで店内を片付けて、それからJRの始発までロック居酒屋として営業を行い、なんとかしのいでいた。普通のライブハウスならライブが終わるとそこで店は終わるのだが……この時期は辛かった。
 そのうち、私たちが支持するロックが少しずつ深夜放送やロック雑誌に載るようになって、ライブ以外のロック喫茶や居酒屋運営で利益が出始めた。そういった経験があって、「ロックのライブは儲からないもの」という前提で会社の維持が出来て、ロフトは『荻窪ロフト』、『下北沢ロフト』、『新宿ロフト』と展開して日本のロックシーンの先駆的な役目を果たしたと自負しているのだ
 
 
 
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1975年の荻窪ロフトスケジュール

日本のロックが市民権を得た!

 ロフトは75年に『下北沢ロフト』、76年に懸案だった新宿に300人キャパの『新宿ロフト』を作ることに成功する。そしてそれまでロックなんぞに見向きもしなかったレコード会社や芸能プロダクションがロック業界に参入することになり、やっと日本のロックに光があたり始め、大手不動産屋とか芸能事務所、放送局とかが1,000人以上収容できる大型な小屋を作り始めて、破竹の勢いが加速したのだ。ロックにお金の匂いがし始めた瞬間だったのだろう。
 いやはや、この時代、日本のロックの勢いは凄まじかった。日本各地で次々と新しいバンドが生まれ、それがみんな東京に押し寄せてきた。76年以前、ロフトは東京に4軒のライブハウスを経営していた。私は毎日毎日ロフトに押し寄せて来るバンドを見続けた。多分この時代、私ほど新しいバンドを見続けた、というか狂喜していた人間はいないだろうと思う。新生ロックとともに青春を送ることができた私は、このシーンに出会えてとてもラッキーだと思い続けている。
 
 
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昔の新宿ロフト
 
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