ウシュアイアの澄んだ空気は素晴らしい
地中海からアドリア海へ
船は広大なインド洋のアラビア海から紅海を抜けてスエズ運河を渡り、地中海のエーゲ海に入り、アドレア海からメッシーナ海峡(イタリアの本島とシチリア島の狭い海峡)を通ってティレニア海のナポリに向かっている。日本を出発して40日目。なんと色々な海を見てきたことか。海三昧を堪能している。ギリシャのイラクリオン港(クレタ島)から一路コトル(モンテネグロ)~ドブロブニク(クロアチア)の紺碧の海の青さのフィヨルドを航行して来た。あちこちの谷間から湧く霧は次第に薄れてゆく。山々の褐色の大地に緑が鮮やかに浮かび上がってゆく。もう9月中旬である。秋の陽光は弱く、風はまったくない。海面は静かで、船の軌跡がさざ波をうって広がってゆく。白い壁と橙色の屋根が見事に調和された湾沿いに並んで、切り立った山の上には教会が点在している。元ユーゴスラビアはチトー大統領の死後、色々な民族紛争の末、5カ国に分離してそれぞれが独立国になった。
一日中、部屋にこもって海を見ている日が続いている。自分の空白が埋まらない。老人は切実な夢を見ている。歳をとることは、いつもいいことばかりはない。甘い体験などからは遠ざかっている。海という広大な自然を見ているだけで充分なのだ。
相変わらず人を寄せ付けないでいる毎日だ。どこにも行かない。誰も来ない。誰も待たない。この部屋を出なければドラマは生まれない。わかっている。しかし、私の体は動かない。デッキに出れば夏真っ盛り。海辺の宿のような、お祭り騒ぎの連中を見るのはたまらないのだ。
白いワンピースの女からの電話
サウナで汗をかいて、ビール片手にドアーズ(最近ドアーズにはまっている)を聴きながら海を見て一人きりの食事が終わると、冷たい海風が私の体を襲って来た。
若干の酔いの中個室に戻る。読みかけの車谷長吉の「赤目四十八瀧心中未遂」を開いた途端、部屋に電話がかかって来た。あの白いワンピースの女からだった。そう言えば航海初日にデッキのバーで出会って以来だった。
「あの~……平野さんを探したんですが、ほとんどデッキに出ていらっしゃらないので……」
彼女は言い訳のように少しちょっとおどおどした感じで言った。
「はあ、色々面倒なので。最近はどうも船の中がやかましすぎて、若者たちの無謀なおふざけや中国の老人たちの振る舞いを見るのが嫌で、部屋に引きこもっているんです。」
「ところで、スペインのバルセロナはどうなされます? ツアーを取っているとか」
「一人でバスに乗って、どこか隣町の港にでも行ってみようかと」「そうですか、私も自由行動なんです。ご一緒できませんか」「いや、申し訳ないけど。私は自由行動は一人、と決めているんで勘弁してください。一人が好きなんですよ」と意図も簡単にその申し出を断ってしまった。電話は深いため息とともに、無言のうちに切られた。
毎日毎日海に対面していると様々なことを思う
パタゴニアはウシュアイアの苦い思い出
ふっと私は4年前の、世界最南端の地・アルゼンチンのウシュアイアでの出来事を思い出していた。南極からウシュアイアの港に帰る時の話だ。私は相変わらず日本人を避け、深夜バーでアルゼンチンの船員やバーテンと酒を飲みながら怪しげな片言のスペイン語を話していた。船が港に着く日、二人のおばさんが私のところにやって来て、「平野さん、ウシュアイアには世界最南端の蒸気機関車が走っているんです。国立公園の中なんですけど、ここはほとんど英語も通じないし、できたら私たちと一緒に行っていただけませんか」と言う。私は、「まあ、タクシーを雇って一緒に行くぐらいはいいだろう」と思って承知してしまった。
次の日、約束の船外に行くと26人もの老人たちが集まっていた。なんと噂が噂を呼んでこれだけの人数になってしまったのだ。30数年ぶりに使うスペイン語だ。事前情報もなく26人もの全く英語もスペイン語もできない人たちを引率する力はない。焦ってツーリストインフォメーションに相談に行ったが、誰もいない。みんなぞろぞろと私の後に着いてくるのだ。バスの集積場に行ってミニバスの運転手に一台一台交渉し、なんとか3台の確保に成功したが、それからが大変だった。蒸気機関車に全員を乗せなければならない。一人ひとりからお金を集めた。さらに汽車を降りた駅では、待ち合わせのバスが30分以上遅れやがった……。もし私の下手なスペイン語の聞き間違いだったらどうしょうという不安が襲う。もう最終の帰りの汽車は出発した後だ。あたりには誰もいない。みんな私だけを頼りにしているのだ。しかし、なんとかバスはやって来た。助かった、と思った。
私は今、退屈を楽んでいるのかもしれない
83歳のおばあさんが行方不明になった
それからバスに乗って最南端の郵便局や博物館に行き、皆と昼食を食べて、帰りの待ち合わせ場所を指定した。そこで大問題が起きた。83歳のおばあさんが待ち合わせの場所にあらわれない。行方不明なのだ。これにはさすがの私も参った。運転手と車であたりを探し回ったがいない。国立公園事務局と話し合って捜索隊を組むことになった。その時、他の英国人のツアーバスが現れて、「この夫人はあなたのがたのツアーではないか」と言ってそのおばあさんを連れて来てくれたのだ。誰もいない道を一人で歩いていたそうだ。きっと痴呆症が入っているのかもしれない。バスのガイドがおばあさんを見つけ、不思議に思って聞いてみると「ジャパン、ジャパン、ピースボート」と繰り返したそうだ。助かったと思ったと同時に、2度とこんな無謀なことはするまいと誓った。
ウシュアイアは世界で一番澄んだ空気があるところだ。いい空気を存分に吸いたかった。私は疲れ切ってしまって、その夜はうまく眠ることができなかった。数日後みんなが船上に集まって、私への感謝の宴を開いてくれたのは言うまでもない