<文化の街・大阪を訪れる>
突然、大阪のロフトプラスワンウエストが見たくなった。そういえば今年はまだ一度も大阪の店を訪れていない。吉本や松竹は相手にしてくれないだろうが、ロフト大阪店も悪戦苦闘ながら味園界隈の奥深い文化村を横目に、それなりに大阪文化の拠点のひとつになりつつある。店のテーマは「大阪と東京をトークでつなぐ」なのだが、気難しい大阪人にも、少しは受け入れられてきたのかなと思うと、とても嬉しい。
<店舗作りが趣味>
47年間にわたるロフトの店舗作りだが(ドミニカでのレストラン作りを含めれば20店舗以上になる)、私の独断と偏見で勝手きままに製作する最後の仕事がロフトプラスワンウエストになると思っていた。私は店舗作りが趣味なのだが、一緒に作ってきたスタッフ(設計者や芸術家たち)がどんどん亡くなってしまったり、脳梗塞で体が動かなくなったりして、以前のようには動けないことが引退の理由だが、さらに「もう私の時代は終わったのだ」とも認識している。
昨年7月、新規開店したLOFT9 Shibuyaは現ロフト社長代行の加藤梅造氏の作品で、私は何ひとつ関わっていない。だから余計に、最後の店舗作りとなった大阪には思い入れが深い。
<大阪はいいな>
大阪の社員・アルバイト諸君は、私が訪れるといつだってみんなで集まって歓迎の飲み会を開いてくれる。一度仲良くなると大阪の若者はとても人懐っこいなと思う。19時から店長のタクオをはじめ、早番の連中と飲んで23時すぎに遅番の連中と合流。20人近くで朝まで飲むことになる。本当に奴らはよく飲む。
私の大阪の常宿は、かつては道頓堀近くのドーミーインだったが、今は西成のど真ん中にあるゲストハウス「ココルーム」(週末の個室は3,800円・釜ヶ崎芸術大学も開催)だ。この街は実に面白い、スリル満点なのだ。いつもドキドキする。通天閣もすぐ近くだし、美術館や動物園や日本最大のスパワールド(スーパー銭湯・1,000円)もあるし、昼間から酔っ払いが溢れて昭和の匂いがプンプンするアーケードを歩くのも楽しい。ネオンでギラギラのスーパーマーケット「玉出」なんかは入るとぶっ飛ぶし、路地を挟んで隣に行くと、かの有名な飛田新地だ。ここはすごいぞ(笑)。
<琵琶湖一周の快〜琵琶湖に行く価値あり>
考えれば旅好きの私は日本の都道府県、奥尻から西表、五島など全てを制覇したという意識はあるが、まだ日本一の湖・琵琶湖の水に触ったことがないことに気がついた。大阪出張の帰りに「よし、琵琶湖を自転車で一周してみよう」と思いたち湖西線の彦根で下車した。いやはや滋賀県は素晴らしい。戦国時代の歴史の宝庫だ。名将・井伊直政の彦根城や佐和山城、三井寺、比叡山延暦寺、などなど。安土桃山文化を温故知新に楽しんだ。
さて、琵琶湖での自転車一周を試みようとしたところ、彦根で会ったチャリダーに聞くとなんと琵琶湖一周は200キロ以上あると言われてしまった。200キロといえば東京から愛知県までと同じだ。さらには北側に吹く風はまだ冷たく、残雪もたくさん残っているから相当なチャリダーでなければ無理とのこと。自転車は諦め、彦根でレンタカーを借りて一周してみた。しかしドライブ観光はどうも楽しめない。数年ぶりの運転に気をとられるばかりで、本格的に琵琶湖の景観を見ることはできなかった。
彦根城
<岐阜県大垣へ〜>
今から50年以上前、頭の悪い私は大学を全部落ちて「よし都落ちだ」なんて言って、愛知県と岐阜県の県境にある小さな短大に入学した。悪い先輩が住んでいた大垣市旭町という元遊郭のやばいところで、初めて下宿生活をしたことがあった。大垣はむかし紡績工場がたくさんあって「バッタン工」と言われる女性工場労働者が多く住んでいたので、街は女だらけだった。ましてや下宿は元遊郭。18歳の私には刺激が多すぎた。結局、学校は全く行かず遊びボケていて親から「帰ってこい」と言われ、わずか半年で東京に戻ってしまった。あれ以来、私は大垣を訪れていない。石田三成が徳川軍を迎え撃った大垣城をもう一度見たくなった。昔の大垣の揖斐川周辺は沼地ばかりで、釣りをたくさん楽しんだ思い出があるが、街はもう昔の面影はまるっきりなく申し訳ないがただの寂れた地方都市でしかなかった。でも大垣城は好きだったな。
大垣城
<大垣から三河安城へ>
大垣を後にしてまだ東京には帰りたくなかった。会社勤めをしているとはいえ、いつどこで何をしていようと誰も文句は言ってくれない身分。少々の時間とお金はある。今夜は三河安城に飲み屋「カゼノイチ」を開いた上野ヨシノリ(元ロフトの社員)の店に行こうと決めた。この街は全てトヨタ系列で成り立っていてお金持ちの多いところだ。店は素敵で、暖かく迎えてくれた。店長に感謝しつつヨシノリのカミさんチイちゃんを交えて、美味しい酒を飲みながら思い出話に花が咲いた。
三河安城のカゼノイチ