この暑い夏、頑張ってきたサルスベリはまだ元気だ。世田谷の郊外では、数少なくなった畑にヘチマが黄色い実をつけ、どんどん大きくなって行く。秋の風情の最大はやはり紅葉なのだろう。京都に行きたいな。早くあの赤とんぼの秋を感じたい。
<やはり秋です>
秋の夜は長い。いやはや、今月は10ヶ月ぶりに大阪へ行って来た。大阪は楽しい。本も詩もたくさん読んだ。いい絵画も見た。いやはや今月はたくさん映画を観た。特にユーロスペース一階にLOFT9 Shibuyaができたことにより、見知らぬ佳作のインディーズ映画をランダムに見る機会が増えた。今月に入って9本も見た。
やはり単館で上映するインディーズ映画は、私の性に合っている。ミリキタニの猫 / ケンとカズ / 将軍様、あなたのために映画を撮ります / 函館珈琲 / ゴーストバスターズ / 64 / 四月は君の嘘 / 君の名は。 / シン・ゴジラ などなど。特に、「函館珈琲」と「ケンとカズ」が面白い。
渋谷ユーロースペースに LOFT9 Shibuyaの看板がついた
大阪の看板は強烈だ。(通天閣近くのただのたこ焼き屋)
<新宿ロフト40YEARS×40LIVES>
もう何度も報告しているけど、今年の10月に新宿ロフトは40周年を迎える。その40周年記念事業を、ロフト音楽スタッフや、かつてロフトに関わりのあった様々な人たちが取り組んでくれて40連発GIGシリーズ『40YEARS×40LIVES』の企画が出来た。
これは、新宿ロフトと縁の深いバンド・ミュージシャン同士による、今までにありそうでなかった新旧の世代の対バンやプレミアムなワンマン・ライブを精選して計40回にわたり開催するイベントとなっているらしい。伝統あるロフト音楽セクションの鼻息は荒い。
「このイベントでロフト40年の歴史を見せたる」とばかりに、往年のロックファンにとってはたまらない企画が並んでいる。オープニングは、ザ・クロマニヨンズVSニューロティカから始まった。このビックな企画は1年間も続けられるらしい。
ロフト音楽班の樋口渾身の作・DREAM MATCH 2016/O-EAST(10/25)
<山下達郎新宿ロフト2日間の波紋>
特に10月3,4日の「山下達郎アコーステックライブ2日間」の企画は世間の話題になっている。この企画もロフトスタッフが音楽業界人脈の各方面にお願いしたり、手紙を送ったりして、やっと実現にこぎ着けた。この公演が決まると「えっ、俺にそんな親戚いたかいな」と思うぐらいいろいろな人から「なんとかチケットを手に入れられないか?」というオファーがたくさん来た。そして多くの人から「ロフト良かったね」とか「平野さんおめでとう」というメールが届いたのだ。そうか「おめでとう」と言ってくれるのか…と思ったら、それはうれしいし、多分、達郎さんロフト出演の最後から30年以上は経っている筈だ。
<フェイスブックで”いいね”が600になった記事>
ありがとう…山下達郎さん新宿ロフト2デイズ。長い事ライブハウスというものをやっているといいことがあるな。ライブハウス稼業をやって40数年。新宿ロフトを始めて40年。
1976年、新宿ロフトオープン。1976年と言えば日本のロックが市民権を得たと言われる年だ。それまで見向きもしなかった大手レコード会社やプロダクションが我が物顔でライブハウスに入り込んできて、青田買いが始まった。昔さ、新宿ロフトのスケジュールを埋めていた大物がどんどんロフトに出演しなくなってしまった。特にニューミュージック系だ。そんな時、私は天を仰いで嘆いていたものさ。
「所詮、町の小さなライブハウスなんて、渋公や武道館に行くためのステップに過ぎない。お客が入らない時は演奏してくれるが、客が入り始めると出演しなくなる。ライブハウスなんて悲しい仕事さ」
なんてさ。でもさ、そんなこともあって、常にライブハウスって次の音楽シーンを構築しなければいけない宿命があってさ、私は当時毛嫌いされていた「パンクシーン」にシフトしたんだ。う~う、だからBOØWYは生まれた(?) 。そんな悲しい商売なのだが、今や全国に2,000軒を超えるライブハウスがあるんだそうだ。でもさ、ロフトのことをみんな忘れていなかったんだよな。うれしいね。わたしゃ、もう70歳、冥土の土産が出来たよ。
あと夢を語れば、坂本龍一の烏山ロフト、森田童子と浜田省吾の西荻ロフト、ティンパンの荻窪ロフト、サザンの下北ロフト、BOOWYの新宿ロフトの再現が出来れば…ちょっと夢を見すぎで無理かな(笑)。
「荻窪ロフトと下北ロフトが私を育ててくれた「ゆりかご」だった。ロフトの平野氏はミュージシャンのチャージ(料金)をピンハネせず、採算はあくまで飲食事業でまかなっていたという。画期的は発想の持ち主だった…」(山下達郎・rock the loftよりコメント転載)
山下達郎さん(『Rooftop』1976年11月号)
なんてことだ。脱原発テントが強制撤去になってもみんな黙視。あれだけヤバイと思った原発。みんなで支えなければいけない脱原発テント。未だに、広大な緑の国土は失われたまま、故郷を捨てなければならない人は何十万人もいるというのに。私たちの怒りは、何だったんだろうか。あの地から放射能が消えて住めるまでには、10万年もかかるという。