モンサンミッシェル
<これで7つの海、6つの大陸を制覇した>
今年7月末日、約3ヶ月半のピースボート世界一周の航海は終わった。長かったといえば長かったが、私はまだ本船に残って海を見ていたかったのが本音かな。海も空も星も月も流れていく。真っ赤に燃えた夕日が、太平洋の海の彼方に落ちていく風景は圧巻だった。疲れを知らない2本のスクリューは24時間稼働している。世界をまわる船上には、こんなにも素敵な場所があって、こんなにも友達やお酒や海や音楽や色でひしめきあっていたのだ。そこには、ほのかな「初恋」の味さえした。この優しい毎日の海風が私の背中を押してくれて、面白い船上生活ができた。
なんともこれで私はあの大航海時代から、世界の7つの海を航海したことになる。7つの海とは「北大西洋、南大西洋、北太平洋、南太平洋、インド洋、北極海(北氷洋)、南極海(南氷洋)」のことなんだそうだ。さらに、6つの大陸とは「ユーラシア大陸・アフリカ大陸・北アメリカ大陸・南アメリカ大陸・オーストラリア大陸・ 南極大陸」の陸上部分をいうらしいが、これも制覇した。これで私がかろうじて訪れ、制覇した国は115カ国になった。その昔、10年もの間、世界を放浪するバックパッカーにはまっていた頃、自称フラッグハンターといって世界制覇の目標は100カ国だったが、陸路中心ではお金の点でも無理だった。それがピースボートのおかげで、軽く100カ国制覇を突破することができて、パッカー時代には行けなかった南極や北極、スエズ運河、パナマ運河、喜望峰、マゼラン海峡も制覇することができたのはなんともうれしいが、後半の旅はほとんどツアーだ。自分の力で飛行機に乗ったり列車やホテルを予約して行ったわけでなく、ただ船に乗って連れて行ってもらっただけなので、元祖バックパッカーを自称する私にとってはちょっと辛い。
北極探検ツアーで世話になった船内お医者さん、スコラさん
我々が出会った北極海の流氷
<開店おめでとう。新店舗LOFT9 Shibuyaを見る>
ついに船内生活も最後の日がやってきて、7月26日朝7時、横浜港に着岸。106日ぶりの帰国である。9時には通関も済んで、東横線で渋谷に向かった。そして、できたばかりのロフトの新店舗、LOFT9 Shibuyaに寄ってみた。私にとっては初めて目にするロフト制作の店舗だ。
これまで40数年間、私はロフトの店舗十数軒を作って来た。かつては、カリブ海のドミニカ共和国にまで店舗を開いたこともある。これはロフトの歴史以来初めての経験だ、この渋谷店の制作に私はほとんど関わっていない。だから店内を見てちょっとびっくりした。何もかもシンプルというか、ニュートラルなのだ。LOFT9 Shibuyaは確かにどこに出しても歓迎されるような店なのだ。評判も上々らしい。それなりに素晴らしい店なのだが、それまで私が思い込んで来た「何か」が欠けていると思った。私の店舗作りでの趣味は基本的に店内の調度品に市販のモノは使わない、ということで今までやって来た。いわゆるロフトが今まで制作してきた小屋の数々にある「ドロドロさ」「アングラ」「サブカル」ぽさがないのだ。だが、ここは新宿でもなければ中央線でもない渋谷なのだと思ったら、私は身をひいて「なかなかいい店ができたではないか」とスタッフにエールを送るしかなかった。スタッフは「憧れの渋谷に初めてのトークライブハウスが出来て感激」と思っているらしい。「もうロフトは創立してから40数年経って、老兵の時代ではない。私が出る幕などない」と更に認識するしかないと思った。
こうやって時代は変化していって、老人は若い連中がやることに承伏できないまま舞台から去って行くのだと思った。
<自宅に帰ると愛猫が死んでいた・・・>
自宅に帰ると、私が60歳の記念に買ったスコティッシュのO君が死んでいた。育ちのいい血統証付きの猫は早死にだということらしい。O君はもう11歳になる。ちょっと悲しい。我が家に残る猫は3匹になった。更にまわりの親しき同僚と会っても、多くの友人たちは身体の不調を訴えて来る。後期高齢者にはまだ時間はあるが、この事実には相当消耗した。「船から降りたらどうする」というテーマは一挙に崩れ、当分は何もしないことにした。
在りし日のO君(スコッテッシュ ホールド)
<8月はオリンピックとポケモンGO>
船を降りてから、町に出ればなんとポケモンGOをやっている連中が多いことか。それで勿論、私も挑戦することにした。まずはポケモンGOでピカチュウ探しが始まった。だが一度もピカチュウを探し出せていない。レベルはまだ10にも行っていない。まさかこれが課金だとは知らなくて道具を買ったら5,000円もかかった。ちょっとくだらないので一週間で飽きた。それからはもう毎日がリオオリンピック三昧だ。これは楽しい。オリンピック開催反対論者は多いが、私はそれまで白けていなければ4年後の東京オリンピックまでは生きていたいと思った。アスリートを見ているのは清々しく気持ちがいい一点に尽きる。苦労に苦労をして来た4年に一度のオリンピック、アスリートたちの涙は宝石の輝きに見えた。
男子マラソンでは、カンボジアから出場する猫ひろしを応援した。私の知るオリンピック出場者で唯一の知り合いは、この猫ひろしだ。とにかく完走して欲しいと願った。素晴らしい最終日だった。猫ちゃんって、プラスワンの「ゴングショー」で優勝してから世に出たんだよな。だから元プラスワンの常連はみんなで応援していた。
<台湾に住もう>
歌舞伎町でかの、松沢呉一御大と飲む。松沢さんも私も「もう、日本はいいよ。できたら日本を脱して台湾あたりに住もうか」というところから始まっての食事会だった。ここまで右傾化する日本。この愚かな日本の民度にはついていけない。あの雨傘革命をやりきった台湾の若者と付き合った方が面白そうだ、と一致。私のテーマは台北付近に小さくてもいいから自由な「トーク空間」を作って、台湾と日本との交流を基本にがんばってみたいと思っていたが、さて、私も歳だし身体の心配もあるのであまり信用できない。若かったらNYあたりに店を出したいと夢を見ていたんだけど。
「人形を持って歩いていたら、警官に職質された。警官になぜ職質したのかと尋ねたら人形に「平和」と書かれていたからだという。もはや平和は罪なのだ」というような内容のツイートを見つけた。もはや今の日本社会にとって「平和は罪」なのだ。なんとも酷い国になってしまったもんだ。