<新しいロフトに期待する>
この原稿がRooftop本誌に載る頃には、LOFT9 Shibuyaがオープンしている事になるのだろう。私はこれまでロフトグループのトップとして、新しく店舗を出店するたびに、いつだって全権をもって指揮して来た。新店舗作りは私の専売特許だという自負があり、長年の趣味は店舗の造作や設計だった。店内の造作は、基本的に既製品を使わなかった。そのほとんどは古道具屋や、くず屋から貰って来たものを作り替えた。イメージはいつだって60年代のニューヨークにある数々のロフトだった。ロフトの語源はルーフトップ(屋上)、ソーホーに集まる若き芸術家の卵たちが部屋をシェアする場所だ。40年にわたるロフトの店舗作りは、ここで作られたチームが担当した。
さて、今回のLOFT9 Shibuyaは、今まで宣伝コピーからプロモーションなど、縦横無尽に独断と偏見で制作して来た私は前線から身を引いて、ロフト若手陣に全てを任せた。未だに設計図すら見ていない。私が世界の船旅を終えて日本に帰ってくるのは、7月末日。さて、どんな店になっているのか楽しみだ。
<憧れの北極・極限旅行>
3年前、このピースボート世界一周船に乗り、アルゼンチンのウシュアイア(パタゴニア)から南極1週間の船旅に出た。「わ~ぁ、これが南極か!」その美しさに感動している自分がいた。訪れて良かったと思った。
そして私は今、その南極で味わった感動を再び、と北極冒険航海に挑んだ。まあ、挑んだと言っても添乗員がいるツアーで3食昼寝付き、私は連れて行ってもらうだけだが。
当然「ホワイトの世界」を想像していた。分厚い流氷を削って、我々はホッキョクグマを、クジラを、セイウチを、その極限の世界に生きる動植物を見に行くんだ。北極は氷の世界だから、南極のように陸地はない。本当に氷だけの世界なのだ。
ツアー料金はレイキャビクでオーバーランドをし、14日間で100万円もした。
白の世界が現れた。
<絶句する我々のツアー構成>
このツアーにはノルウェーのオスロからピースボートを離脱して、16人が参加した。男性4人、女性6人、夫婦3組。なんとも参加者の平均年齢は75歳と来た。70歳の私など、まるで若手だ(笑)。もっと悲惨だったのは、船が岸壁から離れてしまったのに、私だけ荷物が届いていなかった事だ。私は10日間、皆の世話になりながら、着の身着のままで生活する事になってしまった。幸いポケットにデジタルカメラは入っていたが、その生活は悲惨だった。
いろいろなトラブルがあったが、とにかく16人で船に乗り込むと、世界各国から集まったプロ級のカメラマンたち80人がものすごい望遠のカメラを担いでいた。いわゆる写真を撮る事が目的の団体だったのだ。我々が持っているのは、大体ポケットデジカメだ。そして、添乗員は居るものの、全く英語がわからない老人たちだ。悲しくも、日本人はだいたいキャビンに籠ってしまった。
着の身着のままで北極の寒さに震える。
ボツアナのプロのカメラマンと仲良くなった。
奴が近々結婚するので何か日本的なメッセージをくれというので
わたしゃ「高砂や、この浦舟に帆を上げて」とうなって大喝采を浴びた。
<北極の風景>
本船からゾディアックというゴムボートで周辺を遊覧し、島に上陸する。もう我々日本人と、その他の乗客たちの意識は、まるっきり違っていた。奴らは何かを発見すると、何時間でも砂に腹這いになって大望遠カメラでチャンスを狙う。我々はポケットデジカメ。毎日が重い曇り空。海は島々の土が落ち込んで濁っている。
腹這いになってセイウチが浮上していくのを待つカメラマン達。
<見えたのは数頭のシロクマと…>
10日間に及ぶ北極圏の動物探しは、惨憺たるものだった。肉眼でホッキョクグマが見えたのは3匹、キツネが1匹、セイウチが5匹、数万羽が乱舞する2~3種類の鳥とその巣(高い崖に渡り鳥が巣を作り繁殖している)。カモシカが4匹ぐらいなのだ。
今日も船は一日中ホッキョクグマを追いかけている。なんとやっと見つけたホッキョクグマはGDP(発信器)を付けていた。船は氷を割って北極の中心に近づく気配すらない。氷山も、氷の欠片が濁った海に浮いているだけだった。北極の周りの島々を巡るだけのツアーでしかない事に、私はイライラしていた。しかし、北極圏の風景は確かに見応えがあったので、船からはほとんど降りず、風景を堪能するだけの毎日だった。
私は質問してみた。「ホワイトの世界に憧れてここまでやって来たのに、なぜ流氷を割って北極の白の世界に行かないのだ。」
「これは砕氷船ではないから氷を割れない。北極の白の世界を見るには冬に来て、馬鹿高い砕氷船(400万円するらしい)に乗る事だ。」と言われてしまった。
そして我々は、航行しているピースボートを追いかけて、デンマークの北極最前基地・ロングイェールビーン空港からオスロ~パリ~カラカス(ベネズエラ)をたどり、再び、船上の人となった。(この旅の様子はshimiruhonサイトにて毎日の航海記を載せています)