新年の目標達成率は8%
2015年が終わり、2016年が始まった。誰もが今年の抱負をきちっと立て、達成に向かう年にしたいと思う。1年の始まりは新しい目標を立てるのには最適だと言われる。この習慣は人類史2000年以上前からのことらしい。どうやら、人間のだいたい2人に1人は新年の誓いの目標を立てるそうだ。その内、47%が「自己の向上に関する目標」、38%が「体重に関する目標」、34%が「お金に関する目標」、そして「人間関係に関する目標」も34%ということだが(2つ以上の目標を立てるため100%を超える)、ある調査によると、それらの目標達成率はなんと8%しかなく、多くの人は1ヶ月未満でギブアップするという。目標を達成するには当然毎日のトレーニングが必要となり、多くの人が「自己啓発セミナー」みたいに挑戦をするが、これが失敗に終わると自分自身を傷つけ、テンションは低下し、毎年徐々に自信を失わせる結果にもつながるという話だ。
そこで、「意志の弱い自分にもできそうな目標」まで徹底的に小さくすると成功の確率は50%にも上がるらしい。朝起きた時に2、3分の瞑想がいいんだそうだ。「今年こそタバコをやめるのではなく、朝食の後のタバコをやめる」「今年こそ痩せるのではなく、仕事の後に5分ほどランニングをする」「ストレスを減らすのではなく、朝目覚めた時に2、3分瞑想する」など、毎日の小さなクセを習慣にすることで、目標を達成できる確率が大きく変わるらしい。新年会などで「今年の目標は何?」と訊かれたら適当に答えておくしかないな。
あの震災を忘れてしまったかのような日本
明治以降、東洋の島国・日本の国家存亡の危機は2回あって、ひとつは原爆を国土に2発も落とされた太平洋戦争での無残な敗戦だ。この時は300万人以上の戦死者があった(ちなみに米軍は9万人とのこと)。そして2回目は5年前の東日本大震災での津波と、原発の破裂による放射能汚染で広大な緑の国土を失ったこと、と外国メディアは伝えているが、日本人にその意識はもうほとんどないのではないかと思ってしまう。一番顕著なのは、原発の再稼働と原発や武器の輸出に突っ走る自民党政権だ。もう二度と戦争と原発事故は御免だという意識は薄くなり、「やはり経済再生には原発が必要」という意見を多く耳にする。
今、世界で一番明るい都市は東京だと言われる。電気を無制限に使っているのはなんとあの悲惨な原発事故を起こした日本・東京なのだ。5年前、私たちは二度とこういう事故や戦争を起こしてはいけない、もう原発はやめて何とか自然エネルギーへと頑張って節電していたのをすっかり忘れてしまったのか、何もなかったかのように戦争放棄の平和憲法は踏みにじられている。これが日本人の国民性なのだろうか? そして今、安倍内閣の支持率は伸びている。日本人はあの愚かなバブルをまたもや夢見ているのかもしれない。
右傾化する日本に報道の自由はあるのか?
最近、安倍政権は極右化しているという声を聞く。安保法案(戦争法案)にしても90数パーセント以上の憲法学者が「憲法違反だ」と指摘する中での強行採決だった。「政権に逆らうメディアは懲らしめる」「日本国憲法の基本的人権が日本をダメにしている」と安倍政権は言う。もう日本に「立憲主義」や「報道の自由」は要らないらしい。さらに危険なのはマスコミの劣化だ。昨年の「国境なき記者団」の発表によると、「報道の自由度」で日本は世界63位だという。これはどこぞの独裁国家並みだ。昨年の安倍政権はどんなに学生や市民がデモで声を上げても、学者や知識人が声明を出しても振り返ることすらなかった。議論の場の国会さえ開かない、凄い政権である。そして今、安倍政権の支持率は伸びている。さて、こうした日本人をどう理解したらいいのか? と思ってしまった私は、各方面に質問した。識者は今の日本の現状に相当落ち込んでいるように見える。ロフトラジオの出演者に訊いてみると、多くが同じ答えだった。
──日本人の民度は? 国民の質は? 愚民と言っていいでしょうか?
「多分、報道の自由度と同じで世界63位でしょう。没思想性と言うのか、日本人はもう考えることを放棄してしまっている。集団という塊の中で安住している」(森 達也)
──昨年の安倍政権は独裁的でした。絶望的でしたか?
「全くの絶望的だったけど…唯一かな? 誰でも声を上げてデモができることを証明した市民運動と、高校生や大学生が40年ぶりに声を上げ出したSEALDsの登場は希望でしょう」(石坂 啓)
──小林よしのりがツイッターで「日本の政治家もバカだけれども、国民もバカだからどうしようもない」と言っていますが…?
「同感です」(鈴木邦男)
友川カズキと43年ぶりの再会〜生きてるって言ってみろ!〜
12月20日に阿佐ヶ谷ロフトAにて、歌うたいで画家でもある友川カズキを43年ぶりに鑑賞した。
1973年、中央線沿線にライブハウス「西荻窪ロフト」は誕生した。まだライブハウスなんて言葉のない時代。東京にはロックやフォークを聴かせてくれる空間が一軒もなかった。「秋田の能代工業高等学校のバスケットボール部にギターと歌が上手いのがいる、ぜひロフトに出してくれ」という話があった。もちろん友川さんがまだアマチュア時代だ。
確か2回目のライブだっただろうか。友川さんは高田渡さんと同じようにライブをやりながら酒を飲む。これが渡さんだったら誰も文句を言わないが、この新人には客席から文句が出た。そしてお客さんとケンカになった。私は入場料をお客さんに払い戻し、友川さんにはギャラの代わりにテープを渡し、「この演奏を聴いてギャラがもらえるはずだと思ったら、また店に来てください」と友川さんを出入り禁止にした。まだ友川さんも私も20代で若かった。
あれから長い年月が流れた。何十年も経った。その後、いろいろと中断があったものの友川さんは音楽家を続けているし、最近は各方面でとても評判がいいと言うので、ちょっと恥ずかしかったけれど聴きに行ったわけだ。実に素晴らしいライブだった。そして私が楽屋へ表敬訪問しに行くと、「平野さん、あの日のことはよく覚えているよ。ライブの後に面白くなかったので通行人とまたケンカになって血だらけになってさ、その時にあのバロウズやギンズバーグの翻訳で知られる諏訪優さん(詩人・故人)に助けられたんだよなぁ…」と笑っていた。
風の冬空 落ち葉踏みしめ 月影の舗道。
誰かやって来そうな山茶花の小径。
「生きてるって言ってみろ」の友川カズキさんと。
今月のオー君
11歳のスコティッシュ。猫の名門・スコットランド出身。だから結構甘えん坊で自分勝手。私が還暦を迎えた時に買い求めた。