ルーツは40年以上前まで遡る
なんともまあ、この連載も200回目に突入した。
もう40年以上前の1971年、京王線沿線の千歳烏山の郊外に、10人も入れば一杯になってしまう小さな小さな店「ジャズ喫茶ロフト(烏山ロフト)」が誕生した。『ROOFTOP』の原型は、当時制作したガリ版刷りの『ロフト通信』という、半紙一枚のフリーペーパーだった。
1970年代前半といえば、学生運動の余波が、あちこちにマグマのようにたまっている時代だった。日本のみならず世界中の若者達に熱気があった。
1960年代後半~1970年代前半は、それまで押さえつけられていたアジアやアフリカの第三世界でも、独立運動や自分たちの権利を主張し始めた。フランス・パリでは、「カルチェラタン」が、1968年「五月革命」の解放区となった。アメリカでは公民権運動とリンクした黒人解放運動(この時代、アメリカの黒人にはまだ公民権がなかったのだ)が盛り上がり、「古い秩序を倒せ」なんていう言葉が共有された。日本では、浅間山荘事件で激動の時代が終わりを告げようとしていた。
初期数年の資料は、ほとんど残っていない。ファックスもパソコンもない時代もあった。店の開店やスケジュールだけを載せるお知らせペーパーだけになってしまった時代も何回かあったが、ともかく40年間も『ROOFTOP』は毎月、発行され続けていたことになる。
そして、私は海外放浪&ドミニカ移住の約10年間を除き、基本的に毎月毎号、原稿を書き続けてきた。
そうやって『ROOFTOP』と付き合いながら生きてきた。そしてついに70歳、「古希」になってしまった。はたしてこの連載はいつまで続くのか。継続は力なりか? 自分の経験や思いを言葉にし、不特定多数の人に伝えてゆく。そういう場がこうして続いている。それだけでも、とびきり私は幸せだ。
編集部では200回を祝し、特別な企画を考えようか、なんて話も持ち上がったが、なかなか実現しない。みんな忙しいのだ。普段通りの自由気ままな原稿の方が、『おじさんの眼』らしいかもしれないな。
清瀬市議会議員選挙に出馬する塩見孝也(元赤軍派議長)。
老いにも負けず頑張る
ロフトラジオ、ついに始動
さて、今年から始まった私主催の「ロフトラジオ」が、サブカル界で少しだけ評判を呼んでいるようだ。ロフトラジオの宣伝文の書き出しはこんな風に始まる。
~ライブハウス稼業を始めて早40年。いつもライブの客入りに一喜一憂してきた創業者・平野悠が「もうこの歳になったら、毎日の売り上げとか気にしないで、気楽に好き勝手なことを喋りたい!」とある日突然思い立ち、なぜかネットラジオを開局しました。名付けて「ロフトラジオ」。ということで2015年から、だいたい毎週木曜日の20時から22時まで(その日のノリ次第で長くなったり短くなったり)、新宿百人町のロフト仮設スタジオから放送します。
平野に巻き込まれたロフトのスタッフも毎回登場し、時にはゲストが来たり、イベントになったりすると思います。ひとまず定期的にやっていくつもりですが、 全国約30人のロフトファンのみなさん、暇な時はどうぞお付き合いよろしくお願いします~
今までの参加者は、石丸元章(作家)、笹原雄一(キャッシュボックス代表)、ピスケン(作家、元『BURST』編集長)、松沢呉一(コラムニスト)、針谷大輔(脱原発右翼)、藤倉善郎(やや日刊カルト新聞)、足立正生(映画監督)、塩見孝也(元赤軍派議長)、カンパニー松尾(映画監督)……。サブカルチャー界隈でも、一癖も二癖もある個性的な人たちばかりだ。
左から、ロフトラジオに出演中の藤倉善郎さん、私、岩本太郎さん
豪雪の只見再訪
真冬のある日、福島県只見町、新潟の県境の10戸ばかりの集落に暮らす友人から電話があった。
「平野さん、前から雪が好きだって言っていたけれど、遊びに来ないか? 今年は例年になく雪が凄い。もう4~5メートル積もっている。もうすぐ、只見町の雪祭りもあるし……」とのことで、誘いに乗って訪ねてみることにした。
只見は秘境だ。只見線に乗って豪雪の景色を眺めようかとも思ったが、2011年7月の豪雨で不通になって以来、いまだ全線開通に至っていない。いわば、陸の孤島ともいえる。昨秋、紅葉を見に訪れた時も感じたが、特に冬は豪雪もあるのでなおさらだ。
雪祭りで張り切る只見町バス
東京・浅草から、東武線に乗る。野岩鉄道・会津鉄道と直通の列車に乗れば、4時間弱で会津田島駅。ここからは、只見観光協会が運行する、1日2本のバス(予約制、2000円)を利用する。
雪道を走ること二時間、マイクロバスは白い山々をくぐり抜け、只見町役場前に着いた。そこに、友人が車で待っていてくれた。
「平野さん、この雪、驚いただろう。でもさ、俺が住む集落はもっと雪深いんだ。まあ、期待してくれや。今夜は吹雪くと言っていたから、外には出られないと思うよ」と、ふふふと笑った。
友人の家に着くと、大きな古民家がそれはもう見事に、雪の中にすっぽり埋まっていた。駐車場の前が雪かきしてあるだけだった。まるで、巨大な冷蔵庫という感じ。だから家の中は昼間なのに真っ暗。昨秋とはまるで違う。
家に着くと友人は「まあ、これから近くの温泉に行って、そこの談話室で夜飯を食べて囲碁でもするか」と言って手ぬぐいを私に渡した。この温泉がまたいいのだ。
夜、酒を飲みながら囲碁を打つ。古民家の中は心地よいが、外は猛吹雪だ。
男やもめの家は乱雑である。夜も更け、主は気ままに、こたつの中でいびきをかいて寝ている。「40年間も町役場に勤めたさ。親父もお袋も死んで一人きりになった時、町長から『若いやつのために退職してくれ』と言われて、潔く辞めてやったさ」と、あっけらかんと言っていた。65歳にもなるのに独身で一人住まいだ。私は自分で冷たい古びた布団を敷いた。
結局、彼の家に二泊した。豪雪地帯の人達は毎日が雪との闘いだ。私みたいに「雪が好きだ」なんて言っているとぶん殴られそうな気がした。二泊だけとはいえ、雪にすっぽり埋まった古民家の中で、酒を飲みメシを食べたのは初めての経験。そこで暮らすことのすさまじさの一端に触れられたのは大きな収穫だった。
雪祭りで只見町雪娘と