人生70歳に近くなるにつれて、最近、市民運動に関わるのがなんだか煩わしくなってきていた。「疲れ切った」と言った方がいいのかも知れない。パワーが出ないのだ。一昨年の3.11の大災害から結構精力的に被災地支援ボランティア、現地中継、そして東京での脱原発運動などに関わってきた。
しかし、原発推進派で今や極右政党になってしまった感のある自民党が各種の選挙で大勝するに至って、私は日本人の民度に愕然とした。よく通っている銭湯では「中国や朝鮮にナメられてたまるか」という青年達の極右な声を聞き、「この国には未来はない。一体どこに被災地の痛みをわかちあう“絆”があるんだ」と思うようになっていた。
そして私は、「もう俺も歳だし、そろそろ政治に怒ることも、市民運動にも参加するのもやめにしよう」と思うようになっていた。あれだけ通った「原発再稼働反対、首相官邸前抗議行動」にも参加せず、しばらく「脱政治」「脱市民運動」の平和な日常を送っていた。
今年はアメリカで人種差別撤廃を求めたキング牧師の「ワシントン大行進」から50年を迎える。先頭集団が黒服なのは、そのデモをリスペクトして同じスタイルにした。それにしてもたった50年前のアメリカでは、黒人は公民権すらなかったのだ
差別撤廃「9.22 東京大行進」
そんなある日、脱原発運動に一緒に参加してきた私の盟友、松沢呉一さんから電話があった。
「平野さん、あんたの地元(ロフトのヘッドオフィスとNaked Loftがある新宿百人町は、新大久保から近い)で極右暴力組織「在特会」が酷い人種差別をやっている。なんとか奴らの暴挙を止めなければならない。9.22に新宿で差別撤廃のデモをやるので、その賛同人になって、コメントを書いて欲しい」と松沢さんは言う。もちろん無視するわけもいかず、賛同人としてコメントを寄せ、当日のデモに参加することになった。
9月22日。東京大行進のデモは晩秋の空の下行われた。この手作りデモに3000人が参加したという。会場には韓国や中国のテレビカメラが並んだ。
レイシズム(人種差別)は、もはや日本一国の問題ではないのだろう。差別とは「属性」の問題なのだそうだ。この「属性」(国籍、人種、少数民族、被差別階級、性別、宗教、同性愛者、障がい、特定疾患の罹患、職業など)とは、奥が深いのである。この日のデモにはゲイの人や障がい者など、マイノリティの人がたくさん来ていた。アジア人蔑視だけに対して、反対の声をあげているだけではないのだ。
それにしても、「朝鮮人、中国人を殺せ」とプラカードを持って、新大久保のコリアンタウンをデモするネット右翼どもは、つくづく最低な奴らだ。改めてそう思った。全世界に向けて絶望的な日本の表情をさらけ出している。
一方この日の反レイシズムデモは素晴らしかった。夕方、打ち上げ会場で見たNHKのニュースでは、デモの光景を結構長い間流していた。
差別撤廃「9.22 東京大行進」では、ゲイの人達も新宿二丁目から繰り出して来た。明るい表情が素敵だ
ふとまた機動力が欲しくなり……
10年ぶりに、またバイクを買ってしまった。ホンダPCX150。10年前はスズキのスカイウェイブ400に乗って日本全国を旅して回ったが、歳と共にバイクを運転することが怖くなってやめてしまい、自転車と歩く派になった。
しかし最近ふとまた、機動力が欲しくなった。今度は150ccと小振りなやつを買ったけれど、これでも車体はなかなか重くて結構辛い。諸費用込みで約40万。さて、体力の衰えつつある私は、このバイクを無事操ることができるか? との不安も抱えつつ、自宅から事務所までバイク通勤することにした。
が、なんと通勤2日目で、一方通行禁止に進入してしまい御用。違反切符を切られるハメに。ついに、10年以上保持し続けてきたゴールド免許も終わりになってしまった。
クソ暑すぎる夏が過ぎ、やっとクーラーをつけずに自室で本が読める季節になったのを、ことのほか喜んでいる。
秋とは読書するにも最適な、実に過ごしやすい季節なのだ。赤とんぼ、運動会や文化祭。稲が黄金に色づき、栗、梨、葡萄の色とりどりの果物が店頭を飾る。そして晩秋となると、紅葉が山々を覆う。凍てつく冬まであっという間に過ぎてしまうが、本好き、紅葉好きの私にとっては、1年で一番お気に入りの季節だ。