今、歌舞伎町を歩くと異様な光景を目にする。長い間、町の中心に位置していた歌謡音楽の殿堂「コマ劇場」が解体され、ドーム型の建物は無くなった。この地に地上31階、地下1階建ての総合インテリジェントビルが建設中で、2015年の完成・開業を予定しているという。
一階と二階は飲食店。三階から六階には、TOHOシネマズが経営する12スクリーン、約2500人収容の都内最大級となるシネマコンプレックス。9階から31階は、藤田観光経営の1030室の新宿東宝ビル・ワシントンホテルが入居することになっているそうだ。
これまで歌舞伎町の中にここまでの高層ビルはなかった。これで新宿地区の再開発の波は確実に歌舞伎町まで来たといえる。そして「大衆演劇と映画とジャズの街」歌舞伎町は空洞化を開始する。
歌舞伎町ラブホテル街入り口にて。「そうだ! ホテルに行こう!」このキャッチコピーは秀逸(笑)
石原慎太郎による歌舞伎町浄化作戦
アジア最大の歓楽街ともいわれる歌舞伎町は、明治通り、靖国通り、JR中央線、職安通りに囲まれている。映画館、パチンコ、漫画喫茶、カラオケ、居酒屋がひしめきあっているのはどこの繁華街でも同じだろうが、他の町とは違う側面として、60年代文化を継承するゴールデン街がある。また、ラブホテル街、コリアンタウンが後方(大久保方面)に位置する。この風俗密集地に大型総合病院(大久保病院)や新宿区役所があるのは、ちょっと変わっている点だろう。
「眠らない街」「不夜城」「非情の街」「欲望の迷宮都市」など、さまざまな異名を持つ歌舞伎町。ネオンの明かりが煌煌と照らす町は深夜でも人通りが多く、風俗店やキャバクラ、ホストクラブやアダルトショップが立ち並んでいる。合法、非合法入り乱れた歌舞伎町の独特な面白さがある。
だが悲しいかな、2004年、東京都知事・石原慎太郎の主導により「歌舞伎町浄化作戦」が行われた。この際、非合法な性風俗店やアダルトショップなどで、閉店を余儀なくされた店が多い。警察の威信をかけた摘発は、現在進行中でも続けられている。単なる一通行人の一般市民のバッグの中まで開けさせられる「職務質問」など、明らかに警察の行き過ぎな行為もあった。
水面下では以前から討議されていたものの、2004年後半に、大規模再開発と暴力団追放等を目的とした「歌舞伎町ルネッサンス計画」の第1回会議が、公開の場で開かれた。2005年4月には、都条例の改正(通称・客引き禁止条例)が施行された。
歌舞伎町ルネッサンス計画は、コマ劇場跡の巨大ビルができることで、一段落するのかもしれない。歌舞伎町はどこにでもある「安全で健全な街」になりたいのである。そんな計画の一方で、今なお歌舞伎町の路上では、性風俗の客引きが横行しているのも事実だ。
世界一の繁華街歌舞伎町のど真ん中に、巨大な工事現場が出来た
歌舞伎町は危ないか? 安全か?
歌舞伎町に対して、「怖そうな街」というイメージは、多くの日本人が持っている。だがそもそも、歓楽街は危険と快楽を併せ持つのが常である。程度問題だが、やはりそういう「怪しさ」も魅力のひとつなのだ。「ハメを外してもいい、だが図に乗ると痛い目に遭う」というのがこの町の基本だ。
私は過去数十年、数え切れないほど歌舞伎町で飲み、アダルトビデオ屋を徘徊し、無料風俗案内所を冷やかしてきた。新しい店が開店すると、とにかく一度は入店してみることにしていた。しかし、最近の歌舞伎町はどこにでもある有名店の進出ばかりで、行ってみたくなる出店はほとんどないのが残念だ。
私は歌舞伎町では、少額のぼったくりを除いては痛い目に遭ったことはない。繁華街では、どんな素性の人間が歩いているかわからない。だから、ちょっと肩がぶつかっただけでも、こちらから「すみません」と先に謝る。知らない風俗店に入るときには、現金は2万円以上持っていかない。こうした最低限度の知恵さえ持っていれば、歌舞伎町は安全な街だといえる。
ひどく蒸し暑い日々が続く夏。私はどうも心身不調で、ただ怠惰な日々を送っていた。しかし、それも逆に疲れてきて、お盆の一週間は毎日、夜7時頃から深夜まで、ただ愚直に歩き回ってみることにした。1日2万歩(3時間〜10キロ)が日課だった。そして、銭湯の最後の客として汗を流す。
幸い私の住んでいる街には、緑あふれる遊歩道がそこかしこにある。それは街中を通る舗道だったり、河川の側道だったりする。街路灯が照らす暗い小道を一人歩く。あたりは静まり返っている。
誰もいない暗い小道の中で、ふと、私は私に入り込む。過ぎ去った青春の日々が走馬燈の様に駆け巡る。そして、「あと何年生きられるのか? やり残したことはないか?」と、自問自答する。
ミラノ座横の東宝会館も同時に工事が始まっている。歌舞伎町の「高層タウン化」はとまらない