2013年の参議院選挙が終わった。結果は「自民地滑り的圧勝」なのだそうだ。これで衆参のねじれはなくなって、自民一強体制が発進する。
自民党政府は原発再稼働、TPP、憲法改悪、再軍備〜徴兵制と進めてゆくのだろう。一方で、景気回復とばかりお札を大量に刷ってばらまき、また無駄な公共事業を始めている。まだ収束の道筋すら出来ていない福島原発の放射能はどうするんだ? 数年後にガン患者が大量に生み出されていても、「仕方がない」と諦めるしかないのか? 1000兆円を超える膨大な借金も、今後の世代に重く覆い被さってゆくに違いない。TPPに加入すれば、今度は食や医療の問題が深刻化するだろう。「問題山積み、これでいいのか? 日本」と思うばかりだ。
久々に選挙に行ったわけ
読者から怒られるかもしれないが、私は先月の都議選、その前の衆議院選挙と、敢えて投票には行かなかった。どの政党を見ても立候補者を見ても、「この人に、この党に入れたい」と思う候補者がいなかったのだ。
かつて私は、「選挙に行かないよりは行った方がいい。入れる候補がなくても『コイツよりはコイツの方がマシ』という候補はいるし」と考え、投票していた。しかし、今回の都議選と衆議院選挙は、選挙の数カ月前から繰り返しマスコミの「世論調査」なるものが公表され、それもどんなマスコミも「自民圧勝」。
過去、「よりマシ候補」に投票して何度も裏切られたことも思い浮かび、選挙に行く気になれなかった。しかし所詮、政治家は有権者の鏡なのだ。「世の中よくして欲しい。景気をよくして欲しい」なんて要求する前に、自分を省みる事が必要なのだとも思う。
巷では正義感ぶった奴らが「選挙に行け!」と煽るが、私はそうは思わない。投票率が高ければ、私の嫌いな自民党の議席が減るとも全く思えない。特に若者層の投票率が悪く問題だというが、その若者達も右へ右へと回帰している今、彼らに「投票行けよ」という気にはなれず、今回も棄権やむなしか、と考えていた。
山本太郎氏の面白い写真が残っていた。2011年「助け合おうJapan」辻元清美と山本太郎。脱原発運動が1番盛り上がっているとき。後半脱原発右翼諸氏がステージを取り巻いて壇上に抗議。これもロフトプラスワンらしい。勿論脱原発を頑張る連中、暴力沙汰はない
風は吹いたか? 山本太郎と三宅洋平
投票日1週間ぐらい前、たまたまフェイスブックで山本太郎と三宅洋平の街頭演説会の映像を見た。なんとも言いようのない、若い熱さがそこにあった。彼らは「選挙はお祭りだ」という定義の元に、徹底的に祭りを楽しむことから始めていた。その中で「自分をどう表現するか」が彼らのテーマだ、と私は見た。
駅前にステージを組み、音楽ありトークありで、圧倒的に若者を集めていた。トークで訴えかける内容も実に解りやすくて素直で、素朴だった。
私はビックリした。彼らは全く新しい選挙戦をやり始めたのだ。脱原発の無所属・山本太郎は、プラスワンにも何回も出演したことがあるから知ってはいた。音楽家・三宅洋平は知らなかった。三宅は、弱小政党「緑の党」から比例区で出馬していた。
彼ら二人は、まるで無二の戦友であるかのように、見事にタッグを組んで選挙活動を展開し、東京を興奮のるつぼとした。もちろん、マスコミは一切報道しない。原発村から広告費を貰っている以上、あまり過激な「反原発」の候補は無視するしかなかったのだろう。
吉祥寺、新宿、渋谷。入場規制までするような事態の街頭演説会もあるほど、動員数はどんどん増えていった。私は驚愕していた。「もしかして風は吹くかも知れない」と思った。久しぶりに、投票する気になれた(しかも、消去法的な選択ではなく!)。
結果、山本太郎は60数万票をとって当選となった。三宅君は17万票ほどしか取れず落選となったが、とても価値ある闘いだった。あと数週間の選挙期間があれば、もう少し強い風は吹いただろう。次回の選挙でも、このシーンが続くことを期待したい。
この全く新しい若者パワーはこれから何を見せてくれるのだろうか? 期待出来そうだ。(写真は緑の党HPより引用)
夏の夕暮れ、夕立の気配もある蝉時雨の中、大好きな砧公園へ。カメラを持って散策。つい3カ月前までは、ピースボートに乗って世界を旅し、どこか孤独に徹して海が友達だった。船の上から毎日、3カ月半も海ばかり見ていた気がする。至福の時だった。
今は、この夕闇とどこまでも続く世田谷の緑の息吹が友達だ。ぽっかり浮いたような芝生の空間からは、犬を連れた老人と少女がいつの間にかいなくなり、しばらくすると何人かのジョギングする数人だけに。公園は閑散としていた。ふと私は、この48時間、誰とも一言も口をきいてないことを感じた。
東京にいると、レストランで食事をするときも食券を買えばいいし、コンビニでも全く口をきかずに済む。「人間は孤独のうちに生まれ、孤独のうちに死んで行く」のだ。
私の好きな砧公園