自慢のベランダにて。ヨガのマウンテンポーズ
今年で私は68歳を迎える。もう「おじさんの眼」でなく「おじいさんの眼」なのである。この年に達すると、緩やかな日常の中で、過去の一つ一つを思い出して生きる時間が多くなった。
グラス片手に大草原を見わたしながら、自分を通り過ぎて行った様々な事象を、そう、いい音楽とともに、ヘミングウエイの様に──UFOに出会いそうな荒野で羊飼いの少年を眺めながら──素敵な世界、通り過ぎた人々、別れたくない人々、着飾った女達……。数々のドラマを、私は走馬灯のように夢見ている。
死を前にどう生きさらば得るか
最近の私は、深夜に自宅三階のベランダに椅子を出し、眼下の通りを眺めながらぽつねんと思い出に耽るのが日課になって来ている。
私は、27歳の青春真っ直中の時、いわゆる脱サラ──というより、実は就職先がなかった──して、ジャズ喫茶まがいの「烏山ロフト」という店を開業した。客が15人も入れば一杯になってしまう、小さなお店だった。
それから長い年月が経った。ロフトは脈々と生き残っている。烏山の開店が1971年だから、もう41年にもなるのか。何かの本で読んだが、日本で会社を設立して、40年以上生き残れるのは全体の3%程度なんだそうだ。この40年間、ただロフトの経営にばかり専念したわけではなかったが、やはり主戦場はロフトだったと断言できる。不思議だ。誰も(私自身でさえも)こんなに長く続けるとは思ってもいなかったはずだ。
そして私はもうすぐ「後期高齢者」にクレジットされる。それはすなわち、いつ死んでも不思議がない年齢に突入したことを意味する。2年ほど前には、高血圧に加えて大腸癌という大病をしたお陰で、「死」という問題とマジで向き合った。「死」という人生最大のまつりごとを前にして、「どう生きさらば得るか」。私はずっと、こだわり続けている。
ロフト農村化計画!?
春から夏にかけて、私のテーマはロフトのヒストリー本を出すことと、ロンドンオリンピックをとことん観戦すること(笑)だった。前者については6月末に、講談社という大出版社から『ライブハウス「ロフト」青春記』を出版することができた。
今年の夏は、仕事もせず、オリンピックと女子サッカーのU-20ワールドカップに夢中になっていた。狂乱の猛暑が終わり、そして私はする事がなくなった。基本的には、もうロフトの経営はあまり興味がない。しかし、いくら歳をとったからといってもやはり、テーマがなければ生きられない(これは私の性分だ・苦笑)。
そこで急上昇したのが「ロフト農村化計画」だ。フクシマの原発事故によって、関東周辺も相当、放射能に汚染された。今や東京のスーパーの店頭に並ぶ食材は、何が安全で何がヤバイかほとんどわからない、という見方もある。ならば、自分たちの食べるものは、可能な限り自分たちで生産するしかない。ちょうどよい機会だと思った。コミュニティ作りはロフトは得意だ。
この農村の中核には、50〜100人程度を収容でき、イベントやパーティも可能な「ゲストハウス&カフェ」スペースが絶対必要だ。もちろん、農業に従事するスタッフも置く。野菜を中心に生産し、自らが食したりゲストハウス&カフェで提供するだけでなく、都心のロフト系列店にも、朝採れ野菜を届けようという計画なのだが──。
これは、一老人の暇にあかせた妄想だろうか。しかし、もうこれからは大都会では暮らせない、という直観もある。とにかく、やってみる価値はあると思っている。