日本史上最大といわれる大震災と原発事故があって、一年が過ぎた。何とも憂鬱な、暗い一年だった。
昨年の震災から約一カ月は、ロフトでも多くの公演がキャンセルになった。キャンセルを申し出る出演者を説得したり、イベントを急遽差し替えたりして対応したが、今度は来てくれるお客さんの交通手段がない。あのインチキ計画停電もあった。
いつ潰れるかわからない会社の成り行きを心配し、対策会議の連続だった。ロフトグループとして、被災地支援のためボランティア部隊を現地に派遣し、各店舗では義援金を集めた。デモやトークイベントを通じて、反原発の抗議の声も上げた。
行事が行われた場所には、横浜市青葉区からメッセージが書き込まれた灯篭が。その灯りは、寒風吹きすさぶ早春の石巻の夜を明るく暖かく照らしていた
3月11日の石巻市。地域住民の手によって作られた行事「祈りの灯り 希望の灯り」では、犠牲になられた方へ向けたメッセージが書かれた鳩型の風船を空に放った
原発は「終息」していない
日本人は原発問題に飽きてしまったのだろうか? 先月のこの連載でも報告したが、脱原発デモは今も、継続して行われている。が、参加者は少なくなって来ているのも事実だ。首都圏の大規模なものでも、1000人ぐらいの参加者しか集まらなくなってきている現実がある。
二度の原爆による被爆、数度の原発事故を経験した日本。国民の多くは、もう放射能の脅威はなくなったとでも思っているのだろうか?
私には、政府、東電、マスコミは、相変わらず真実を伝えず、嘘ばかりついているとしか思えない。「脱原発宣言」をして強引に静岡の浜岡原発を止めた菅総理は、各政党の原発擁護派や東電利権族、マスコミのプロパガンダによる「菅降ろしタッグ」で沈没した。鉢呂経産大臣は、電気事業改革を抜本的に進めようとして、マスコミと官僚どもにウソのネタで失脚させられた。
そして、この原発利権族の期待に乗って現れたのが「野田どじょう内閣」なのだ。被災地では、ゼネコンや建築業者の復興予算(税金)の奪い合いが始まっているという。今話題の広域ガレキ処理も、業者選択でのきな臭い噂も聞く。電気料金値上げで延命を図ろうとしている東電は、いったいどれだけ自らの身を切る努力をしたのか。補償の道筋はまったく立っていない。
東松島海岸駅から青い海が見えた
山から被災地・石巻の全景。これが今の姿だ
被災地・石巻で3.11を迎える
3月11日。早朝の新幹線に乗って雪降る石巻に行って来た。約1年ぶりの再訪である。ロフトグループの被災地支援の本拠地で3.11を迎えたかったのと、地元の有志の手によって行われる石巻の追悼行事を「ロフト報道チャンネル」で中継して欲しい、という声に応えるためだ。
津波であれだけメチャメチャに破壊された街の中心部は見事に清掃され、ガレキもヘドロもほとんど無くなり、石巻駅前など風が吹いても埃が舞い上がらないほど綺麗になっていた。港の隣に高いガレキの山がある。ドーム状の石ノ森萬画館が、流されず残っている。バラック仕立てだが、新しく開店する店もちらほら現れてきた。少しは明るくなってきたようだ。
3月11日14時46分。全市民による1分間の黙祷があり、被災地で鎮魂のセレモニーが始まった。テーマは「絆」。夕日に照らされた市民の、涙が止まらない表情が沢山あった。私もただ立ち尽くし、黙祷するしかなかった。
昨年4月、私がこの地に来た時には、悲痛な顔をした若いボランティアの子達が街のあちこちで、油と砂のヘドロを削り取って袋につめる作業をしていた。それは気の遠くなるような人海戦術だった。
この頃の石巻でのボランティアの参加条件は凄かった。最低一週間分の衣食住、現金、作業道具は持参。地元の被災者が使うコンビニ、自動販売機は使わないこと。風呂はない。一日中、民家の床下や道路のガレキやヘドロをひたすら撤去し、ドロドロになったカッパは一回の自動車用シャワーを当ててそれで終わりだ。テント村は水浸しで寒くても火は使えない。酒も宴会も御法度。
私も老体に鞭打ってボランティアに参加したが、たった二日で音を上げた。しんどい作業だった。黙々と働く若者達の姿が、今も脳裏に焼き付いている。
石巻ではロフトチャンネルの中継にはあまり付き合わず、私はコーヒーショップやレストラン、酒場をハシゴして街の人々といろんな話をしてまわった。
帰りは、一人ちょっとした旅をした。石巻から仙石線に乗るが、途中線路は復旧されておらず、矢本駅から東松島駅までバスで移動。それからまた仙石線で仙台に向かう。風光明媚な松島海岸には、多くの水鳥がやって来ている。松島海岸沿いの被害は、思ったより少ないように感じた。湾に浮かぶ無数の小島が津波の力を弱めたという。日本三景の名勝に、観光客は戻って来ているのだろうか。
「知の巨人」と言われた吉本隆明氏が亡くなった。そろそろ私も会社を卒業して、次の卒業の準備をしなければならないと思っていた時に、震災が起こった。特に、多くの住民の故郷の山河を汚し、故郷を奪った原発だけは許せない。エネルギーと命の交換をするわけにはいかない。ましてそれが人災と金儲け主義の果てに事故を起こしたのだから、たまらない。とにかく老骨鞭打った、忙しくも怒りの一年であった。この冬は余震も多発するなか、寒さが身に応えた。本当の春はいつ来るのだろうか。
ロフトチャンネルでは石巻ボランティア座談会を現地から生中継した