一体どこを信用すればいいのか?
3月21日。朝から冷たい雨が降っている東京。東北〜北関東を襲った地震と、破裂した原発騒動の真っただ中、私は原稿を書いている。
多くの東京人が、都会を捨てて西へ逃げてゆく。節電のため、もちろん暖房はつけていない。寒く暗い私の三階の書斎から見る東京はもの悲しい。街路灯をはじめ、いつもは煌々と光を放っている都心の明かりは見事に消え、まるで深い海の底に沈んだ潜水艦からの景色のようだ。
向かい合っているパソコン。TwitterのTL上から次々と情報が入ってくる。明るい情報はほとんどない。毎度の政府発表はパニックを恐れてか、「安全だ、ただちに人体に直接影響を与えるものでない」と繰り返すばかり。安全だというならもっとはっきり根拠を示して欲しい。
政府が発表する要避難区域は、原発から半径3kmだったのが、5km、10kmになり、30kmまで拡大した。外国メディアは、災害の規模はスリーマイル原発事故を越えた、INES(国際原子力事故評価尺度)で最悪のレベル7に達する可能性も、と言っている。日本の保安院の評価は、いまだにスリーマイル島事故と同等のレベル5だ。米国防総省は16日の時点で、80km以内の立ち入りを禁止した。一体どこを信用すればいいのか? 「もうやってられない」という感じだ。
北へ向かう道は雪で覆われていた
こんな時、非力な自分にできること
「一体自分には何ができるのか? 今、自分の環境を含めて、何をしなくてはならないのか?」
私はこの災害が起きてから、それだけを考え続けていた。「素人のボランティアは現地で邪魔になるだけ」と、阪神大震災を経験した人達が言うのが頭の中でリフレインされる。
自分が直接現地に行くのは諦めた。そして、この天災も人災も含めての大災害に出会っての私の第一番目の作業は、「自粛の嵐」の状況を打破し、まずはこの東京に日常性を取り戻すことだ、という結論に至った。
これから私たちは長期間、腹をくくって被災地を助けなければならない。それにはまず、市民生活での日常性の獲得と、疲労しつつある経済を立て直さなければ、被災地と一緒に共倒れとなってしまう。そのために、ライブハウスはやり続けなければならない。計画停電のため交通機関は混乱し、街は人出も少なく閑散とした中、「たとえ客がどんなに少なくっても、どんなに赤字のイベントになっても、出演者のキャンセルがあっても代役を立てて毎日店を開けるように。そして、可能な限りUstream中継で外部に発信し、さらにはそのイベントの収益を被災地に送ろう」という指令を現場に出した。
第二番目の作業として、マスコミに出てこないが真実と思われるニュースを、Twitterを通じてみんなに知らせたいと思った。重要な情報をひたすらにリツイートして拡散することが必要だ。災害が起こってからほとんど毎日のように、一日中パソコンの前に座り黙々とそんなことをやっている。
緊急支援物資をどこに届けるかを検討
これを契機に日本は大胆に変わるべき
今、必要なのは、福島の原発の事故責任をただただ追及することでなく、どうしたら真の解決策が導き出されるかが勝負なのだ、と思う。これによって、新しい日本ができるかどうか、今まで私たちが持ち続けてきた価値観が転換できるかどうかが問われている。はたして日本は変われるのだろうか?
「私たちの欲しいものは同情ではない。頑張れという応援でもしっかりせよという叱咤でもない。そばにいて一緒に泣いてくれる、寅さんみたいに時々面白い事を言って笑わせてくれるそういう人です。だから寅さんに来て欲しいのです」
(映画監督・山田洋次氏。『朝日新聞』3/20朝刊より)
「いいことも悪いことも含んだ雨が降っている。水によって脅かされ、同時に水によって救われる。暴走する原発をなだめるのに先端の技術は無力だった。だから江戸伝統の勇気ある火消しらが決死の出動をしてくれた。彼らが放水を続け、それが功を奏している。そんな水を穢せば自らを苦しめる。その因果を今、世界が体験しているのだ。その一点だけでも、原発に未来は無いと人類は認識できたのだ。コストを気にする人は、今後災害をコストに含めることが必須条件になる。世界がこのままでいいと思うなら、地球にヒトが住む場所はなくなる。日本人は戦争に負けて何かを知った。今回も敗北を経験し、さらに深い大事なことを知った。日本人はこの経験を忘れることはない」
(細野晴臣氏。3/21のブログより)
「小さな漁村はつながりが強い。一致団結している姿は発展途上国の集落を見るみたいだ。何もなくてもつっぱりのお兄さんから漁師まで絶望の中でも、おらが街をああしよう、こうしようと、真剣に話し合っている。人の営みの響きがかすかに響き始めている」
(フォトジャーナリスト・桃井和馬氏)
「暑い夏がそこまで来てる みんなが海へ繰り出していく
人気のないとこで泳いだら 原子力発電所が建っていた
さっぱりわかんねえ 何のため?
狭い日本のサマータイムブルース
電力は余ってる 要らねえ もう要らねえ 要らねえ 欲しくねえ」
(「サマータイム・ブルース」日本語訳詞/忌野清志郎)
※この曲はレコード会社・東芝EMIの親会社が原発関連企業だったため発売中止になり、インディーズ盤でリリースされた
「まずは最低限の支援物資を積み、ピースボートの調査隊がベースキャンプとなる山形へ走行中。群馬ではガソリンスタンドで懐中電灯とマスクをいただき、新潟では残り少ないスタッドレスタイヤを探し出してくれた整備工場の方が『現金はこれから必要になると思うのでお金はいらない』と言われたり、もう被災地の一つ一つが涙なくして語れない」
(ロフトプラスワンスタッフ。ピースボートの現地ボランティアに参戦報告)
宮城県石巻市
「原発が憎い!」
「原発が憎い!」と相馬市にいる友人が言った。
「災害なら、壊れた家のそばにもいられる。私はこの地を去る、もう私の故郷には帰れないかもしれない」と、急に泣き出した。
神は人間にとてつもない殺人オモチャを与えた。原爆落とされて敗戦した、唯一の被爆国・日本で自らの原発が破裂した。安全神話くそ食らえ!
宮城県牡鹿郡女川町の避難所
写真:上野祥法(ピースボート現地ボランティア)