平日に立ち見までして観る映画とは?
2011年2月9日、『冷たい熱帯魚』(園子温監督/高橋ヨシキ脚本)をテアトル新宿まで観に行った。大ヒットしていることは知っていたが、なんとウィークディの16時30分の回ですら満員で立ち見だった。
最近、腰痛気味の私は、観ようかやめようか相当迷ったが、「通路に座布団をひきます」という係員の一声で観ることにした。館内は圧倒的に若者だらけだ。18禁(R18指定)にもかかわらずだ。私は、この映画は1993年に起こった「埼玉愛犬家連続殺人事件」をベースとしている、ぐらいの予備知識しかなかった。
園子温監督『冷たい熱帯魚』(テアトル新宿ほかで上映中)
天才映画監督・園子温とは
最近、私の近辺で「映画監督・園子温」の名がいろいろ取りざたされている。国内外の映画祭でも高い評価を受けていて、すこぶる評判が良い。特に若い連中にだ。
私と園子温監督との出会いは、今から15年前に遡る。新宿の片隅、富久町にロフトプラスワンという不思議な空間を作ったとき、彼は当時連載していた『ガロ』編集部の北園氏と、「俺にも喋らせろ」といって店に現れた。
彼がその時持ってきた自身の監督作品、『自転車吐息』『俺は園子温だ!』『部屋 THE ROOM』を観て、私はぶっ飛んでしまった。特に、麿赤兒主演の『部屋 THE ROOM』には、釘付けになった。
その頃、園子温は才能はありながらも映画監督の誰もが経験する「極貧」にあえいでいた。多くの友人監督が食えなくて、アダルトビデオの世界でなんとか革命的作品を撮る中、園子温はAV業界には行かず、自分の道を模索していた。私も、この天才監督がなんとか飯が食えて映画が撮れる環境を作ってあげたくて画策した経験がある。
私は、園の作品はほとんどを観ているつもりだが、ここ数年の代表作『自殺サークル』『紀子の食卓』『愛のむきだし』などにはとてもついて行けず、「もう俺は園の映画は解らない」と、ちょっと絶望的になっていた。半年ほど前にも園子温と酒を飲んだ。私は園にいつも言いたいことを言う。「園子温を俺が天才と認めたのは、もう10年も前のインディーズ時代の作品群だ。『自転車吐息』『部屋 THE ROOM』『桂子ですけど』……、そしていまだお蔵入りの未完の大作『BAD FILM』までだ。全部傑作だ。しかし、今のお前の映画はなんだ! 血ドバドバ、パンチラ撮影、……とても評価できん!」「いいんだよ、平野さんには解らなくても」と、園が捨て台詞を私になげつけて終わってしまう関係が続いていたのだった。
園子温と下北沢で飲む。奴の頭も私の頭もボサボサ。機嫌はよいけれど園はヘロヘロに酔っていた
路上集団・東京ガガガの衝撃
当時彼は、「東京ガガガ」という集団を率いていた。彼らは「無意味、無目的、無宗教」を掲げ、街頭パフォーマンスをするのだが、それがなんとも痛快で面白かった。私も参加してみたこともあった。日曜日の昼下がり、恐らく日本で最も混雑する渋谷のスクランブル交差点。100人近い若者集団が突然、信号を無視して交差点を占拠し、「これから先は上下なし! 左右なし! 東京ガガガ!」と、横断幕をなびかせトラメガで叫び、踊り狂うのだ。
もちろんデモ申請などしていない。ハチ公前の交番から警官がやってくるが、とても止められない。増援を呼ぶまで長い時で10分以上。交通は一切遮断されクラクションが鳴り響く中、騒擾状態は続く。その中央で、中原中也のように黒い帽子をかぶった園子温──彼はかつて高校時代「ジーパンを履いた朔太郎」と称された詩人でもある──が、トラメガで叫び続ける。まもなく集団は数の揃った警官隊に排除され、横断幕を掲げたまま町中を走り抜け逃げる。当然、逃げ遅れた何人かは警官に捕まりハチ公前交番に連行される。すると、また交番前に集まり、仲間の奪還闘争を始める。
政治的主張を掲げているわけでもない、しかし行動は極めて過激という集団は、警察にとっては相当不思議で理解不能だったに違いない。面白かったのは、拘束された中に渋谷警察署長の娘さんがいた時のことだ。頭を抱える署長。「君たちは、左翼の革命暴力集団とは違うんだから」なんていうつまらない理由をつけ、署長は園子温監督と会談し、全員釈放を勝ち取ったりした。園子温は、その頃からちゃんとカリスマ性も持っていた。
東京ガガガ当時の園子温
「平野さん、映画撮りたいだろ?」
話を『冷たい熱帯魚』に戻そう。う〜ん一気に見た。画面が圧倒的に迫ってくる。見終わってもなかなか動けない。大勢の客が、ややうつむき加減で沈黙して映画館を後にするのを、不思議な感覚で眺めていた。これほどまで若い子を沈黙させてしまう映画を撮るとは……、参った! と思った。
22時過ぎに園子温に電話した。「よかった!」と、久しぶりにエールを送った。「平野さん、飲もうよ」ということになり、その日の深夜、下北沢で飲んだ。きっと園も、嬉しかったんだろう。「この作品は脚本が良い。あのでんでんの言葉の重みで若い子達は沈黙した。高橋ヨシキ脚本が映画を生き生きさせた」と言ったら、園はちょっとむくれていたが(笑)。
映画監督なんて、お山の孤独な大将に過ぎない。ボロボロに酔っぱらった園子温。同行の若い青年二人が、「園さん、さっきまで酔って倒れていて、そこに平野さんから電話があって。『よし! 平野さんとこれから飲むぞ!』って……もう無理なのに」というのを聞きながら、私は言葉を失った。園が、食えない頃の私との義理を忘れていないことが嬉しかった(あの頃、園にいくらタダ酒を飲ませてやったことか・笑)。
帰り際、「平野さん、映画撮りたいだろ? 脚本いつできるんだ? 俺は助監をやるから」と言われた。若者に付き添われてヨロヨロになってタクシーに乗るのを見送りながら、「園、お願いだから酒では失敗するなよ」と、どこか心細く見送った。
次の日、ふっと北風吹き抜ける下高井戸の駅から、映画の看板を見上げた。『ペルシャ猫を誰も知らない』。わ〜ぁ、この映画観たかったんだ! と思うとたまらなくなり、約束をすっ飛ばして、地元の映画を愛する青年達がやっている小さな映画館に飛び込んだ。
西洋文化への規制が厳しく、表現の自由が抑圧されているイスラム国家で、音楽を自由に演奏することを目指すミュージシャン達を描いたイランの映画だ。バフマン・ゴバディ監督は、首都・テヘランの町でゲリラ撮影。「いつだって、音楽は自由の翼なんだ」がメインコピー。日本のロッカー達に観て欲しい。「CDが売れないから、客がいないから」って、ロックへの挑戦をやめてしまう日本の若者達よ、苦難の道を進め! なんて思いながら、いつものなじみの銭湯に向かった。
音楽を演奏することの興奮とスリルがこの映画には詰まっている
今月の美女
プラスワンの企画会議に出た。ふっと後ろを振り返ると美女が……。安田ミミ、プラスワンの新人だそう。こんな美女から「ねぇ〜、私のためにイベントやって〜!」て言われたら断れないだろうな〜ァ