朗読詩人成宮アイコの「されど、望もう」
クリスマス、お好きですか? こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。
指がピリピリするように寒い12月、スーパーに行くと季節外れのいちごの匂いがだたよってくることが増えました。家でクリスマスケーキを作る用かな、と思うと、記憶の奥がギシっと痛み、普段はなかったことにしている気持ちが動き出しそうになりました。あぶない、これは見なかったことにしよう。いそいで買い物に戻ります。
家族でクリスマス。かつて、わたしもそういった暮らしをしていた時期がありました。
小学生のころだったでしょうか。家のオーブンでクリスマスケーキを焼き、あまりうまく飾れないいちごを生クリームの間にそっと置いていくことは、非日常感であふれていて胸が高鳴るものでした。
だからといって幸せだったかと聞かれても、素直にうなづくことはできません。なぜなら、家族の体をなしていなかったからです。すでに父はわたしの前からフェードアウトしかけていたし、祖父はいつ感情が爆発して言葉あるいはその腕をどのタイミングで振り上げるかわからない運ゲーのような毎日でした。
だからといって幸せだったかと聞かれても、素直にうなづくことはできません。なぜなら、家族の体をなしていなかったからです。すでに父はわたしの前からフェードアウトしかけていたし、祖父はいつ感情が爆発して言葉あるいはその腕をどのタイミングで振り上げるかわからない運ゲーのような毎日でした。
さいきん、カルト2世の方とお話しする機会が増えました。
生まれたときから自分の好き嫌いとは関係なく信仰を強いられてきたお話しを聞いていたら、お互いに似たような心の歪みをかかえていることに気づきました。いわゆる虐待や機能不全家庭や毒親と呼ばれる環境で育ってしまい、本来なら受けなくてよかった苦痛や傷を強制的に与えられた場合、わたしたちの思考は自動的にフィルターをかけてしまうようなのです。
殴られても、
「これは異常事態ではない、だってずっとこうやって暮らしてきたのだもの。」
罵られても、
「これは異常事態ではない、だってずっとこうやって暮らしてきたのだもの。」
自己肯定感をことごとくへし折られても
「これは異常事態ではない、だってずっとこうやって暮らしてきたのだもの。」
そうやって気持ちを押し殺すことへの疑問、「もしかして、自分は正常な心の状態ではないのでは…」という気持ちは、似たような状況の他人を通してやっとわたしのなかにも降りてきました。いくらまわりが、その状況はおかしいと指摘しても、幼少期からうえつけられたフィルターはそうそう簡単にはずせないのです。
だって、いつかわたしはあなたに愛されるかもしれない。
その気持ちを消すことは、自分の望みを自分で捨てることと同じです。あきらめをつけるしかないのですが、いちばん望んでいるこの期待は、おそらく生きている間はずっと消せないのだろうと思います。
いま、わたしは、不条理に傷つけてくる相手(家族)や場所(家や学校)を、「許さなくていい」と思っています。こういった文章を書くと、ときどき、許すことであなたは癒されるなんてアドバイスをもらうことがあります。
でも、"自分のせいではないあまりに不条理なこと" を許してあげる心を目指す意味、目指させる意図がわたしはわからないのです。だからつい問いたくなってしまう。
怒りの感情をなかったことにして消化していく。
それって健全でしょうか。
自分を苦しめた相手がのうのうと生きているのに、わたしたちだけはその傷と向き合って飲み込む、あるいは消化して元気に生きていく。
それって美しいでしょうか。
許すこと。やっぱり、わたしにはそれが正しいとは思えないのです。だって、わたしは聖人ではない。
だから、わたしは毎年この時期になるとスーパーに並ぶいちごのパックを憎々しく思っていてもいい、ということにしました。そして、今日も帰り道に寄るスーパーで、きっとわたしは、あの甘いにおいをする鮮やかな棚を足早に通りすぎるのです。忌々しさと憧れを半分ずつ持ちながら。
成宮アイコ Profile
朗読詩人。「生きづらさ」や「メンタルヘルス」をテーマに文章を書いている。朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ、新潟・東京・大阪を中心に全国で興行。書籍『あなたとわたしのドキュメンタリー』(書肆侃侃房)、詩集『伝説にならないで ─ハロー言葉、あなたがひとりで打ち込んだ文字はわたしたちの目に見えている』(皓星社)。EP『伝説にならないで』の新解釈版『裏 伝説にならないで』が12/24配信リリース。