英会話教室に通い始めることにした。
4月からの新たな挑戦というやつだ。実は英会話を始めたいという想い自体は何年も前からあったのだが、なかなかきっかけもなく敷居が非常に高く感じていた。しかし、一緒に通う友人を見つけたのを機にこの度めでたく入会にいたったわけだ。
2人の予定を擦り合わせると初レッスンは四月からとなってしまったので、その間の予習として英会話カフェや、外国人の多くいるバーなどに数日通っていた。
そもそも英語に興味を持ったきっかけも、バーで外国人観光客に話しかけられたことがきっかけだ。その際に相手の口から出てきた単語は、正直中学生でもわかる内容だったと思う。
しかし、外国人に話しかけられ、初めて聞く流暢な日本語にひどく戸惑ってしまった。
「ノーノー、アイ、キャント、スピーク、イングリッシュ」
英語が喋れませんという、その言葉自体が英語なのだが、外国人は肩をすくめて去っていった。
ボクは恥ずかしいと感じた。こうして、書籍やコラムを執筆している身の上なので、わりと自国語については理解しているつもりでいた。しかし、実際のところ本当にそうだろうか。どこからどこまでが自国語であり、自国語の特色とは一体なんなのか。それは他国語を知らないものには語れないものではないだろうか。
そう、『他国語を知らない者は自国語についてもなにも知らない』というやつだ。
英会話のレッスンの予習がてら入った外国人だらけのバーで、隣の客から話しかけられる。今回はカタコトでもいいから、なんとかコミュニケーションを図ろうと試みた。
すると、驚いたことに自分でもこんなに知っていたのかというくらい英単語が口を突いて出てくる。そういえば、意外と日常的に日本人はカタカナ英語で英単語を目にしていると聞いたことがあった。
そう、話せないのではない。『話そうとしなかった』だけなのだ。その苦手意識の柵を一歩飛び越えてしまえば、我々はもっとより多くの可能性を秘めているのかもしれない。