これが掲載されるのはもう年が明けている頃でしょうか。あけましておめでとうございます。大島薫です。
皆さまにとって昨年がどのような年であっても、平等に過ぎ去っていくのが時間ですね。ボクは去年おかげさまでツイッターのフォロワー数が10万人を越え、AV業界を引退してからもまずまず良い成果を得られたなと感じております。
数多くあるSNSサイトの中で、ボクがよく利用すると言えば、やはりツイッターでしょう。文字数制限がある中でゆるく自分の考えを発信する感じがボクに合っているようです。
さて、そんなツイッターにはリツイートという機能が付いています。誰かが発した発言を他の人にも見せたいと思った時や、他人に見てもらって意見を仰ぎたい時などに使うのがこのリツイートです。そして多くの人にリツイートをさせることを「拡散」と言ったりします。
最近、こんな発言が「拡散」されてきました。
《神奈川県海老名市議会の鶴指眞澄市議、ツイッターに「同性愛は異常なのだ」などと同性愛者を差別する書き込みを複数投稿し、批判相次ぐ》
まぁ、言ってしまえばよくある「炎上案件」なわけです(ちょうどその時、ボクは「どうしてアナルセックス中にウケの男はヨダレが垂れちゃうのか」について解説するツイートをしていましたが、それはさておき)。
リツイートされてくると、これに対して皆が各々意見を述べるわけですね。「同性愛者の人に謝れ!」とか「辞職しろ!」とかいった具合に。
そんななか気になったのが、思ったより多くの「たしかに同性愛者は異常だけど、市議がすべき発言ではないと思う」という意見でした。
昨年6月に全米で同性婚を認める判決が出され、日本でも11月に渋谷区が「同性パートナーシップを結婚に相当する関係」と認める「パートナーシップ証明書」の交付を開始しました。
ひと昔前に比べると、同性愛者や性同一性障害の方——おっと、いま性同一性障害なんて言ってはいけませんでしたね——もとい、性別違和の方に対する差別意識は減っているように見受けられます。
その一方、匿名性が保たれているネットの世界を覗けば、実際の意見はこんなものといったところでしょうか。
個人的な見解を述べると「どうでもいい」というのが正直なところです。少し乱暴な意見に聞こえてしまうでしょうが、しかし実際、LGBT当事者の中でどれほどの人数がこの市議の差別発言に対して興味を持っているのでしょうか。
セクシャルマイノリティーを配慮して取り決められた≪暗黙のルールのようなもの≫についてもそうです。病気ではないのだから「障害」ではなく「違和」と呼びましょうとか、「ホモ」は差別用語だから「ゲイ」にしましょうとか。二丁目に行けば当事者同士が互いのことを「ホモ」「オカマ」と呼び合っているというのに。
ボクにはどうしても、こういった問題の時にいつも決まって騒ぎ立てているのは、当事者ではない外野の人間のように思えてなりません。
少数派の人間は弱いのだから助けてあげなければいけない。たしかにそうかもしれません。しかし、たまにその「少数派」という言葉が強力な力を得て、多数派の人間を傷つけることもあることに、あまり多くの人が気づいていないのではないでしょうか。
理解してもらいたいと訴えるのであれば、理解できないという人の気持ちも理解してあげなければ。
今年もボクら人間はいろんな人と傷つけ合って生きていくのでしょうが、それもまた良しとしましょう。傷つけ合うその牙と爪が削れて丸くなるまで。今年もよろしくお願いいたします。