私がもっともライヴハウスに通ったのは高校生の頃だ。そして今も通っているわけだが、その頃と当時との圧倒的な違いは「弾圧」があるかないか、である。
弾圧。それは「ライヴに行くことを妨害する」モロモロである。例えば私の場合、もっともやっかいな弾圧者は「親」だった。親はとにかく「ライヴなど行くな」「勉強しろ」「追っかけなどするな」と口うるさく言う。バンギャになってからの私は成績がガタ落ちし、追っかけと称して数日家を開けるなどしていたのだからまあ当然と言えば当然なのだが、そんなことから親との関係は最悪で私には厳重な「ライヴ禁止令」が出ていたのだ。
しかし、なんと言われようともライヴは行きたい。ということで、「友達の家に遊びに行く」などと嘘をつき、前夜から駅のロッカーに仕込んでおいた「ライヴに行く用の服」に着替えてそのままライヴへ、などという面倒な手を使っていた。
しかし、そうなってくると敵は敵で姑息な手段を使ってくる。それは「兵糧攻め」だ。おこづかいをゼロ円にすれば身動きできまいと、子どもの生殺与奪のすべてを握る親ならではの卑怯な手段に打って出てきたのである。それに対してこちらは「親の財布から金を盗む」というスタンダードな技で反撃。それに気づいた親は毎日財布の置き場所を変えて防御と、とにかく大変な攻防戦が繰り広げられていたのである。
しかし、この「弾圧」は私の燃え盛る「バンギャ魂」に油を注ぐだけの結果となった。障害があればあるほど恋愛が盛り上がるように、「オカンの弾圧」によって、私は更にバンドに深くハマっていったのだ。もはやライヴハウス通いはただ「ライヴに行く」という次元を超え、「様々な障害を乗り越えた果てに自分の信仰の本気度を確かめるための儀式」と化し、好きなバンドは「教祖」のような「帰依」する対象となっていった。周りの友達もそうだった。そして彼女たちも「親の弾圧」に苦しめられていた。みんな親と盛大に喧嘩し、時にはブン殴られ、「ライヴに行けないんなら死んでやる!」と親の前でリストカットするなどというパフォーマンスを使ってまでもライヴハウスに集まっていたのだ。そんな私たちにとって、生々しい手首の傷跡は「名誉の負傷」だった。
あの頃、どうしてあそこまでライヴに行きたかったのだろう。今思うと、ミュージシャンにとっては重すぎるファンで、自分の立場だったら若干迷惑だが、そうだったのだから仕方ない。
そして今、35歳になった私のライヴハウス通いを止める人は誰もいない。呆れられ、諦められてはいるが、誰も正面から「弾圧」はしない。時々、そんな環境がちょっと物足りなくなるのは贅沢な悩みだろうか。
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雨宮処凛(あまみや かりん)プロフィール
1975年北海道生まれ。小説家、随筆家、ルポライター、社会運動家。十代の頃よりヴィジュアル系バンドのおっかけ、「ミニスカ右翼」と称しての右翼活動、パンク・バンド『維新赤誠塾』、『大日本テロル』ヴォーカル、映画『新しい神様』出演など様々な活動の後、自身のいじめ体験、リストカット体験などを赤裸々に綴った『生き地獄天国』(太田出版)で文筆家デビュー。現在は生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。反貧困ネットワーク副代表、『週刊金曜日』編集委員、日本厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員、他。師匠は作家の故・見沢知廉。自身の体験を元にビジュアル系のおっかけ少女の青春を描いた小説『バンギャル ア ゴーゴー』が講談社文庫より発売中。