現代に生きるバンギャちゃんたちを見ていて、つくづく羨ましいことがある。
私の第一次ヴィジュアルブームのピーク期は高校生の頃。時代は遥か遡り、90〜93年、今から20年近く前だ。
当時と今の決定的な違い。それは「携帯電話」があるかないかだ。
これは致命的である。特に私の場合、当時は北海道在住で、ツアーで札幌に来たバンドの「追っかけ」をライフワークとしていたので、その必要性を強く強く感じていた。なぜなら、追っかけにとっての最重要任務は、ライヴ後のメンバーの打ち上げ場所や泊まっているホテルを突き止めることだからである。そのためにバンギャ友達といくつものグループに分かれて捜索するのだが、一度分かれてしまうと連絡手段がないため大抵二度と会えない。運良く打ち上げ場所やホテルを突き止めても、仲間に伝える術がないのだ。その逆も然りである。
そんな20世紀のバンギャの心を鷲掴みにしていたのが、音楽雑誌の広告欄に掲載されていた「無線」である。そう、携帯電話など見たこともない私たちにとって、喉から手が出るほど欲しかったのは「無線機」だったのだ。追っかけのために無線を操る女子高生バンギャ。渋い。しかし、高価な無線など買えるはずもなく、また「そこまでするのは人としてどうか」という思いもあり、断念したのだった。
他にもなかったものはある。それは「ネットカフェ」だ。例えば私は札幌から1時間くらいの田舎に住んでいたので、ライヴ+追っかけで札幌に行く時は「野宿」だった。過酷なのは冬だ。個人的な最高記録はマイナス13度での野宿。友達と「寝たら死ぬよ」と越冬隊のように励ましあい、途中から自分は今「追っかけ」してるんだか「遭難」してるんだかわからない、という事態に陥った。
逆になくて良かったものもある。それは「ストーカー規制法」だ。当時の自分たちがやっていたことは、どう贔屓目に見てもストーカーである。今だったら思い切り規制の対象になりそうなものだが、そんな法律がまだなかったことによって、私たちはかろうじて「犯罪者」にならずに済んでいた。
インターネットがなかったこともちょっとよかった。なぜなら、他のバンギャに「ネットで叩かれる」ことがなかったからである。また、下手にネットなんてあったらブログなんかを開設し、「好きなバンドへの愛を綴る痛い詩」とかをいい気になって書きかねないわけで、数年後には立派な自殺理由になっていたかもしれない。
ということで、「なくて良かったもの」も発見できたので少し気が済んだのだった。
(写真)うちの猫が朝日新聞の取材を受ける(羨ましいだろ平野さん!)。取材後のつくし。
雨宮処凛(あまみや かりん)プロフィール
1975年北海道生まれ。小説家、随筆家、ルポライター、社会運動家。十代の頃よりヴィジュアル系バンドのおっかけ、「ミニスカ右翼」と称しての右翼活動、パンク・バンド『維新赤誠塾』、『大日本テロル』ヴォーカル、映画『新しい神様』出演など様々な活動の後、自身のいじめ体験、リストカット体験などを赤裸々に綴った『生き地獄天国』(太田出版)で文筆家デビュー。現在は生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。反貧困ネットワーク副代表、『週刊金曜日』編集委員、日本厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員、他。師匠は作家の故・見沢知廉。自身の体験を元にビジュアル系のおっかけ少女の青春を描いた小説『バンギャル ア ゴーゴー』が講談社文庫より発売中。