第二次ヴィジュアルブームが到来し、10年ぶりにライヴハウスに返り咲いて早や5ヶ月。順調に人生が堕落の一途を辿っている最近だが、久々のヴィジュアル系バンドのライヴに、日々衝撃を受けている。まず驚いたのはバンギャ(ヴィジュアル系が好きな女子の総称)ちゃんたちの「ふりつけ」だ。これがびっくりするほど細かくて、曲芸師並みに素早くて、全曲完璧なふりつけができていて、何か「ものすごく早口の手話」のようでもあるのだ。それをみんなでやる様子を見ていると、北朝鮮でマスゲームを見た時のような感動が蘇ってくる。とにかくステージそっちのけになってしまうほど「面白い」のだ。
私が現役バンギャだった十数年前、ふりつけはごくシンプルなものだった。ただ拳を振り上げ、その場で跳ね、時々ヘドバン、以上。「咲く」(両手を広げ、自分を花に見立てる求愛行動?)こともなかった。それが今はどうだろう。「咲く」のはもちろん、Aメロ、Bメロ、サビとそれぞれ相当の練習が必要とされるだろう細かいふりつけが決まっていて、みんなそれを完璧にこなす。かと思えば素人にはまったくわからないタイミングでヘドバンや逆ダイが始まり、それを理解していない者はぽつんと取り残され、いたたまれない感じで悪目立ちしてしまう。また、みんなのふりつけとはまったく別に、「自分ふりつけ」みたいな、個人的に発明したのだろうふりつけで孤高に頑張ってる人もいる。
常々「一体このふりつけは、誰がいつ、どのタイミングで決めたのだろう」と激しく興味を持っていたのだが、最近、衝撃の瞬間と遭遇した。それはライブ中、ボーカルが「今からやるのは、ライブで初めてやる曲です」というMCをした直後。「ライブでやるのは初めての新曲」なのに、なぜか全員が何の疑いもなく客席でまったく同じ動きを始めたのだ。だからなんで? どうして? 誰が決めた? どうしてみんな同じ動きができるの? これってバンギャの集合無意識?
こうしてライブに行くたびにどうでもいい「謎」は深まるばかりで、バンギャちゃんからも目が離せないのだ。ああ、それにしても、「ふりつけ」が生まれる瞬間というものに立ち会いたい。新しく結成されたバンドのライブに通えば立ち会えるだろうか。だけどふりつけに限らず、ライブって「いつ誰が決めたのか謎だけどみんながやってること」の宝庫だ。別に形になったマニュアルがあるわけでもないのに、誰かの真似をすることでどんどん受け継がれていくものたち。まるで文字を持たない古代の人々が、口述継承という形で民話なんかを語り継いでいったようではないか。
個人的には最初に「Xジャンプ」をした人を表彰したい気分だが、ライブハウスにはそんなふうに、決して表に出ない「偉人」がたくさんいるのである。
(写真)アンティック一珈琲店一の武道館コンサートで。こちらのふりつけも素晴らしかったです。
雨宮処凛(あまみや かりん)プロフィール
1975年北海道生まれ。小説家、随筆家、ルポライター、社会運動家。十代の頃よりヴィジュアル系バンドのおっかけ、「ミニスカ右翼」と称しての右翼活動、パンク・バンド『維新赤誠塾』、『大日本テロル』ヴォーカル、映画『新しい神様』出演など様々な活動の後、自身のいじめ体験、リストカット体験などを赤裸々に綴った『生き地獄天国』(太田出版)で文筆家デビュー。現在は生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。反貧困ネットワーク副代表、『週刊金曜日』編集委員、日本厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員、他。師匠は作家の故・見沢知廉。自身の体験を元にビジュアル系のおっかけ少女の青春を描いた小説『バンギャル ア ゴーゴー』が講談社文庫より発売中。