30歳過ぎて第2次ヴィジュアル系ブームが来てしまい、生活に支障を来している最近だ。なぜ、私のバンギャ魂に十年ぶりくらいに火がついたのか、これを読んでる人たちにとっては究極にどうでもいいことだがその理由を説明したい。
この3年くらい、私はプレカリアート(不安定なプロレタリアートという意味の造語)問題、貧困問題に取り組み、取材、執筆、運動してきた。その日々を1行で書くとすると、イベント・集会への出演、毎週末の講演、サウンドデモの企画と実行、取材と執筆、そして様々な政治家や文化人との交渉、といった感じである。ただの物書きだった私にとってはハードな日々で、オマケに「現実の過酷さ」にも打ちのめされていた。それは、「今日死のうと思っていた」というネットカフェ難民の告白であったり、ホームレスのオジサンのアカギレだらけの手だったり、生活保護を受けられずに餓死した人の報道だったり、そんな人たちを「自己責任」と突き放す世の中の冷たい空気だったり、だ。この人たちは特に何も悪いことなんてしてないのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのだろう・・・。そんなことが山程あったし、私自身もテレビ出演や対談などで政治家や財界人から心ない言葉を浴びせられたりしてきた。
そんな中で現実から逃げるようにしてハマっていったのがヴィジュアル系バンドである。最初は動画を観たりDVDを観たりで満足していた。が、昨年9月、行ってしまったのだ、目黒鹿鳴館で行なわれたライヴに。
思い出の場所・鹿鳴館は最後に行った十年以上前とまったく変わっていなかった。しかし扉を開けた瞬間、私は驚愕した。ステージにはあまりにも美しい「別世界」が広がっていたからだ。何かそれはライヴなのにライヴじゃないような、完璧な映像を観ているような光景だった。演奏もヴィジュアルも曲もステージングもメンバーの表情も、すべてが素晴らしかった。全員が光源となって身体中から発光しているようだった。90年代なかばまでのヴィジュアル系しか知らなかった私にとって、それは「奇跡」のような光景だった。なぜなら、当時のヴィジュアル系はバンドにもよるが演奏も荒削りで曲も難解なものが多く、メンバーに一人は「トラック運転手への転職」を勧めたくなるような人が存在したからである。しかしその時、私の目の前には「進化した理想のヴィジュアル系バンド」がいた。その「進化」に打ちのめされ、再びライヴに行くようになったのである。
ちなみに、その時観たバンドは「ALSDEAD」という名前だとあとで知った。
こうして私の第2次ヴィジュアルブームは幕を開けたのである。
(写真)私の第2次ブームに火をつけた「ALSDEAD(オルスデッド)」
雨宮処凛(あまみや かりん)プロフィール
1975年北海道生まれ。小説家、随筆家、ルポライター、社会運動家。十代の頃よりヴィジュアル系バンドのおっかけ、「ミニスカ右翼」と称しての右翼活動、パンク・バンド『維新赤誠塾』、『大日本テロル』ヴォーカル、映画『新しい神様』出演など様々な活動の後、自身のいじめ体験、リストカット体験などを赤裸々に綴った『生き地獄天国』(太田出版)で文筆家デビュー。現在は生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。反貧困ネットワーク副代表、『週刊金曜日』編集委員、日本厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員、他。師匠は作家の故・見沢知廉。自身の体験を元にビジュアル系のおっかけ少女の青春を描いた小説『バンギャル ア ゴーゴー』が講談社文庫より発売中。