Text by ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)
一人じゃないと思えるだけで、人は生きている意味を見つけられる。それを伝えてくれたのが鉄アレイであり、KAKIちゃんだった
2026年6月23日。鉄アレイのドラマーKAKIが、亡くなった。
今年に入り、友人の訃報が続いているが、KAKIの死は受け入れ難い現実として重くのしかかる。
CHAOS U.KのGABBAのときもかなり辛く、まだGABBAの死が癒えていないところに、親友であるKAKIの危篤の報せが入った。
急いで病院に駆けつけたが、10分ほど間に合わず、死に目に会えなかった。
「あと10分ぐれぇ待てねぇのかよ……」
俺は目の前にいるKAKIが、もう目を覚まさない現実を受け入れられなかった。
最後に連絡をしたのがGABBAの訃報のときで、その後、GABBAと親しい人間だけに送られてきた葬儀中継のリンクを送り、「もうGABBAと会えねぇのか。寂しいな」と話していた。
最後に会ったのはその少し前、2月にあった友人のライブだったが、いつものKAKIのままで、くだらない話ばかりをしていた。
頻繁に連絡を取り合う仲ではない。気の置けない仲間の親友なんて、そんなものじゃないだろうか。
いちいち何を確認する必要がある? 信頼しかない間柄で、生きていれば何も問題はない。
しかし、その最低条件である「生きている」という現実が消え去った。
俺とKAKIの今生での関係が絶たれてしまった……。
初めてKAKIに会ったのはもう40年ほど前になる。原宿の竹下通りに溜まっていた俺たちの前に、直管のKAWASAKI LTDで、鉄アレイのKATSUTAとニケツで乗りつけたときだったと思う。
確か80年代の後半で、当時の竹下通りなんて人混みで歩くのもやっとな場所だった。そこへ、クソやかましいバイクで入ってきた。それだけで仲良くなれるのは想像がつくと思う。
金髪のサイドバックリーゼントで、男前なでっかい男。当時は無口で、ほとんど自分を語らず、みんなで一緒に溜まり場にいても、ひとり絵を描き、その絵を見せてくるような面も持っていた。
実際は非常に明るく、はっきりモノを言う、物怖じしない兄貴肌の人間だが、最初はそんな感じではなかった。
俺とKAKIは故郷も一緒の埼玉で、住んでいた街は離れていたが、同じ歳の同級生だった。高校生ぐらいのときに、埼玉で有名な不良の噂が回ってきていた。どこの街でもそんな人間の一人や二人はいると思うが、〇〇の柿沼(個人情報のため街の名前は伏せる)と言えば、埼玉南部から東部にかけて名の知れた不良だった。
いろんな噂が流れてきていたが、実際に会うことはなく俺は東京へ出たので、もう地元での話は忘れていた。
そこへ現れた、金髪で直管のバイクに乗った埼玉の柿沼。
「ん? まさか?」
俺はそのとき思い出した。
「KAKIちゃんって○○に住んでる?」
「ああ」
「え? んじゃ〇〇の柿沼ってKAKIちゃん?」
「ああ」
俺は驚いて、当時の噂を根掘り葉掘り聞いたのは言うまでもない。当然尾ひれが付いて、とんでもない話になっていたものもあったが、それからずいぶん打ち解けて仲良くなっていった。
地元のころのKAKIは、その強さゆえに遠ざけられ、孤立していったという。そこで出会ったのが音楽だった。
その経験があるために、俺たちに出会ったときに、昔の轍を踏まないように気を遣っていたのだろう。過去の噂を知っていたのは、当時の仲間では俺だけだったので、KAKIの心情がよくわかった。
KAKIが加入したころの鉄アレイは、初期からのメンバーチェンジがあり「MIDNIGHT TARAchan DEATH(DEATHと書いて、でしゅと読む)」という名前で活動を始めたころだ。
メンバー選考も「デカくて強いから」といった理由で、音楽のテクニック云々ではない。KAKIは元々ベーシストでフュージョンなどもやっていたが、地元のPUNKバンドでドラムもやっていたという。そこに白羽の矢が立ったということだろう。
その後、バンド名を正式に鉄アレイに戻し、俺はDEATH SIDE、FORWARDとして、KAKIとはずっと一緒に活動してきた。何十回もツアーに行き、ニューヨークで一緒にライブがやれたときの感動は今でも忘れない。
ニューヨークでは、緊張しているKAKIに「なに? 柄にもなく緊張してんの?」とからかい半分に声をかけると「あったりめぇだろ!」と、その心中を隠すことなくぶちまけていたのを思い出す。
KAKIと鉄アレイのボーカルRYOはバイクに乗っていて、PILEDRIVERのICHIROと三人で北海道ツーリングに出かけたときのことだった。
最北端から俺の家にコレクトコールで電話してきて、これでもかと煽られた。当然、俺がすぐにバイクの免許を取ったのは言うまでもないだろう。
その後はKAKIとRYOと三人で、よくツーリングに行った。いつも二週間ほどかけて北海道を巡るツーリングだったが、RYOと俺の二人で行ったときには、三人でいつも行っていた北海道のキャンプ場でKAKIと待ち合わせ、そこで別れるという、なんとも言えないいい旅もあった。
KAKIと二人で北海道ツーリングにも行っていた。二人でオフロードバイクで林道を走ったのが、今でも鮮明に蘇る。
俺とKAKIは子どもも同じ歳で、なんと誕生日が三日違いという奇跡のようなことまであった。
子どもができたとき、まだ安定期に入っていなかったのでお互い内緒にしていたのだが、どうやらKAKIが先に俺のところに子どもができたことを知ったらしく、当時、会うたびにニヤニヤしながら何か言いたそうにしていた。安定期に入り、俺からKAKIに打ち明けた。
「実は子どもできてさ」
「知ってた。実は俺も」
「マジか! 子どもまで同い歳?」
などと言いながら二人で喜んだ。その後も家族ぐるみで遊んでいたが、俺は離婚してしまい、子どもも成長して、しばらく遊ぶことはなくなってしまった……。
取り留めのない思い出話を書いてしまったかもしれない。しかし、これは俺の中でKAKIが生きた証なんだ。
KAKIという人間がこの世界に存在し、笑い、喜び、泣き、叫び、怒り、焦り、落ち込み、悲しみ、楽しんで命を全うした証なんだ。
俺の友人や先輩たちには、若くして鬼籍に入ってしまった人がたくさんいた。そのたびに感じていた。
「お前が生きていたことは絶対に忘れない」
だから俺は、書籍やこの連載など、世に残す術を持つ人間として、記憶と共に親友や先輩たちの生き様を残さなければならないと勝手に思っている。
俺の友人や先輩は、とんでもない人間たちばかりだ。大きな影響を受けたために、常識的なレールから外れた生き方を、ちゃんとしてこられた。
KAKIもまた、そうしたとんでもない人間たちの影響を一緒に受けてきた仲間だ。友人や先輩たちに影響を受け、影響を与え、くだらないことで笑い、一緒にライブをやり、バイクで走り、同じ時代を生きてきた親友だった。
俺の人生の中で、なくてはならない人物の一人であるKAKIがいなくなった現実を受け入れなくてはならないなんて……。
親友とのつながりは、そんな簡単に切ったり、軽い言葉で傷つけたりできるものではない。
どんなにムカついても、どんなに腹が立っても、本当に信頼し合えているならば、そのつながりが途切れることなどない。途切れさせようとも思わない。何をしても、何を言っても、信頼は揺るがない。
揉めても喧嘩しても、ちゃんと言い合えて、聞き合える関係だからだ。
中には平気で信頼を裏切る人間もいるが、そういう人間との関係は、結局どこかで信頼とは程遠いものだったのだろう。本当の信頼関係を築ける友人なんて多くない。
最近、友人や先輩たちが死ぬたびに思う。
「こんな世の中とは縁を切ったほうが、よっぽど楽でいられるのかもしれない」と。
だが、逃げることはしない。この寂しさを、今いる親友たちや愛する我が子に味わわせたくない。
どんなに辛くても、心の奥底にある誰にも言えないような部分に、何も言わずに寄り添ってくれたのが今いる親友たちだ。
俺は親友たちのおかげで、こう思えた。
一人じゃない。
そう思えるだけで、人は生きている意味を見つけられる。
それを言葉で伝え、態度で示してくれたのが鉄アレイなんだ。KAKIちゃんなんだ。
KAKIちゃんがいないなんて、いったいどういうことなんだ……信じたくない……。
でも、もうピクリとも動かず、冷たくなったKAKIちゃんに会ってしまった。
燃え尽きて灰になったKAKIの骨を拾ってしまった……。
KAKIちゃん。もういないのかよ。寂しいぞ……。
ひょっこり来て「おう、おめぇもよぉ」とか言って、また兄貴ぶってくれよ……。
なんでいねぇんだよ……ちくしょう……。
KAKIちゃん。あんた最高だったよ。あっちで待っててくれ。そのうち行くからよ。またな。
鉄アレイ『自由の為に』
くだらねぇ金の為に 振り回されようとしても
自分を捨てるな 自分を売るな
金では買えぬ物を 手に入れる事の方が
よほど大切さ よほど笑えるさ
自由の為に
腐った金の為に 操られようとしても
コビは売らねぇ シッポは振らねぇ
つかれきった奴等は話す
シラケきった奴等は語る
金さえあれば自由になれる
だからどうした それがどうした
自由の為に
期待を打ち砕かれ 希望を打ち砕かれ
なにも恐れるな なにも怖がるな
狂った瞬間の中に 巻き込まれようとしても
必ず立ち上がり 声を上げろ
心配いらねぇ 大丈夫だよ
一人じゃねぇ
自由の為に不自由になれるかよ!!
◉鉄アレイは1983年結成、日本では最古参かつ最重要のハードコアパンク・バンド。熱いメッセージとテンションを落とさないフルスロットルのサウンドで絶大な支持を集めている。2026年6月23日、長年バンドを支え、Blackor...のドラマーとしても活躍していたKAKI(柿沼州治)氏が逝去。「自由の為に」は1991年にSunshine Sherbet Recordsより発表されたアルバム『鉄アレイ』に収録。
【ISHIYA プロフィール】ジャパニーズ・ハードコアパンク・バンド、DEATH SIDE / FORWARDのボーカリスト。35年以上のバンド活動歴と、10代から社会をドロップアウトした視点での執筆を行なうフリーライター。


































































