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第42回「〇〇だから、死んでもいい?」

2023.04.14

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Text by ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)

懲役囚だから? 不法滞在外国人だから? 元プロボクサーだから? 「〇〇だから」といって生命の生きる権利を剥奪するなんて、人の行為を逸脱している

 2023年3月27日に、渋谷パルコにあるSUPER DOMMUNEにおいて、THE FOOLSのボーカルである伊藤耕さんがなぜ刑務所内で死んでしまったのか、裁判を通して見えてきた真実が明かされる記者会見が行なわれた。
 その記者会見内容の一部は、こちらで記事にしているのでご一読してもらえると、刑務所という国家機関が囚人に対してどういった対応をしているかが理解できると思う。
 上記の記事でも触れているが、この伊藤耕さんの獄中死事件は、2021年3月6日に名古屋入管によって殺されてしまったウィシュマさん事件や、2023年3月13日に高裁による再審開始が決定した袴田さん事件に通じる部分が多すぎる。
 
 ウィシュマさん事件では、入管という外国人収容施設で起きた事件で「不法滞在とされた外国人だから」としか考えられない理由によって、差別によって生きる権利が剥奪され、殺されてしまったと言っても過言ではない事件である。
 入管施設でのウィシュマさんの扱いを見ると、刑務所での伊藤耕さんへの対応となんら変わりがなく、刑務所でも入管でも国家の施設で管理の責任がある人間に対して、生命をないがしろにした扱いであるとよくわかる。
 そして袴田巖さんに関しては、1966年の事件当時の捏造による冤罪である可能性が極めて高く、48年間に及ぶ拘留によって拘禁症や心神喪失といった身体の障がいも負ってしまっている。
 
 袴田さんの事件概要を、日本弁護士連合会のホームページから引用する。
 
 1966年6月30日午前2時、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅が全焼するという火事が発生しました。焼け跡からは、専務(41)の他、妻(38)、次女(17)、長男(14)の4人が刃物でめった刺しにされた死体が発見されました。
 警察は、当初から、味噌工場の従業員であり元プロボクサーであった袴田巌氏を犯人であると決めつけて捜査を進めた上、8月17日に袴田氏を逮捕しました。
 袴田氏は、当初否認をしていましたが、警察や検察からの連日連夜の厳しい取調べにより、勾留期間の満了する直前に自白しましたが、その後公判において否認しました。
 
 この袴田さん事件に関しては、2023年3月13日の東京高裁が下した判断でも捏造の疑いが指摘されるなど、ほぼ確実に冤罪だと言える事件であり、その原因も袴田さんが「元プロボクサーだから」という理由などで最初から犯人だと決めつけ、警察という国家機関が証拠をでっち上げた可能性が極めて高い。
 伊藤耕さんは「懲役囚という犯罪者だから」、ウィシュマさんは「不法滞在外国人だから」、袴田さんは「元プロボクサーだから」という、全員「〇〇だから」という理由で、国家に生きる権利を剥奪された人たちだ。
 袴田さんは亡くなってはいない。しかしもし亡くなっていたとしたら、それは「死刑」という判決が遂行された場合であり、殺されていたら現在以上に許されない事件になっていた可能性が非常に高い。
 48年間に及ぶ無実の罪による投獄など、想像など及ばない異常な状況である。何の罪もない人が48年間も国家の捏造によって、人間らしさのかけらもない生活をさせられた事実が、果たして生きていると言えるものなのだろうか?
 そして袴田さんが収監されていた刑務所という国家施設では、伊藤耕さんが受けたような、囚人を人間とは思わない扱いがされている。
 「〇〇だから」という勝手な決めつけによる差別で、どうしてこれほどまでに生命を生命だと思わない行為を行なえるのかが、全く理解できない。
 
 しかし人間なら、誰しも「〇〇だから、こうしても構わない」といった感情はあると思う。
 実際俺も、警察だから、国家だから、自民党だから、ネトウヨだから、差別主義者だから、といった決めつけた敵愾心のある感情は持っている。どうしても受け入れられないし、同意できる理由が微塵もないものが、ひとつの括りのような形で自分の中に存在する。
 中には「死んでしまえばいいのに」といった感情すら芽生える場合もあるのは確かだ。
 しかし、実際目の前で死にそうになっているのを見てしまったら、確実に助けるだろう。たとえそれが自分とは相容れないとしても。これは俺の「当たり前」の感覚だ。
 
 今現在、日本人の大多数は、死刑制度に賛成している。「殺したのだから命で償うのは当たり前だ」「遺族感情を考えたら死んで当然だ」等々といった理由が基本だろうし、そういった話をよく見かける。
 遺族であればせめて犯人が死なないと、感情として納得できないという気持ちはよくわかる。実際、自分の子どもが殺されたらと思うと、俺もその犯人を殺してやりたいと思うだろう。しかし、自分の子どもを殺したことを全く反省もせず、殺して当然だったと思いながら死んでいったとしても、個人的には何も解決しないとも思う。
 犯人が死ねば、我が子が死んでしまった悔しさや寂しさが解決できるかと言われたら、解決するとも思えない。無念が形を変えて残るだけに思える。机上の理屈ではあるのだが……。
 一番の解決に近い形は、原因を究明し、犯人が心から反省して、後悔し、一生をかけて償い、遺族の心が少しでも癒されることだと思う。
 しかし実際にサイコパスのような犯人では、死刑という自らの生命が脅かされる現実を目の前に突きつけられて、ようやく反省の感情や感覚が芽生えるといった事例も多く、難しい問題ではある。
 個人的には、死刑という制度は国家というものが「殺人」の権利を握っている事実において、戦争と変わらないと思っている。
 死刑執行の絞首刑では、1回の死刑執行で3つから5つぐらいの執行ボタンを、選ばれた刑務官が同時に押すことによって、誰が執行ボタンを押したのかがわからないようにされているという。
 死刑を決めた裁判官や死刑を求刑した検察官、逮捕したり取り調べて起訴した警察官や被害者遺族でもなく、全く関係のない刑務官が殺人のボタンを押す。
 殺人を決めた人間の中では、法務大臣が判子をつくぐらいで誰ひとり手を下さない。何の関係もない人間に、殺人を強要している事実がある。
 
 戦争でも実際に殺人行為を行なうのは、何の関係もない一般民間人だ。殺すのも殺されるのも、戦争をやると決めた人間ではない。
 殺人行為を指示した人間は手を下さず、立場や地位が上に行けば行くほど、実際に死ぬ確率や殺す確率が低くなっていく。
 それがこの世の中の「当たり前」なのか? それは「仕方ない」ことなのか?
 
 伊藤耕さんの事件やウィシュマさんの事件、死刑問題などになると、常に「死刑囚を生かしておくために税金を使うな」「犯罪者のために税金を使うな」というような意見が出てくる。
 個人的には武器を買ったり兵器を買ったり、死刑を執行したり戦争に加担したりなど、俺が払った税金を人殺しに使って欲しくない。生命を生かすために税金を使って欲しい。
 「殺したのだから生命で償え」と言い、国家が決めた死刑という殺人を容認して、冤罪で殺される人間が出てしまうのは「仕方ない」ことなのか? それは国家だけの責任なのか?
 いつまでも手を汚さずに生命をないがしろにしているのは、いったい誰なんだ?
 そんな人間たちが集まって形成される社会が国家となれば、その国家がおかしいのは「当たり前」じゃないのか?
 国会で行なわれている政権与党のめちゃくちゃな態度が、国家の末端まで浸透しきっている。
 それを変えなければ、とてつもなく暗い未来しか待ち受けていない。
 
 あなたが人間だからと殺されたら? あなたが日本人だからと殺されたら? あなたが男だから、女だから、年寄りだから、子どもだから、ホームレスだからと殺されたら?
 「〇〇だから」といって生命の生きる権利を剥奪するなんて、人の行為を逸脱している。そんな思いが溢れる世界で生きていくのが「当たり前」だと、俺は考えてしまう。
 国家に与えられた考えではなく、生まれ育った環境での常識や、世間の多数意見に与えられたものでもなく、もう少し自分で「生命」に対して「生きる権利」という意味について考えてみないか?
 あなた「も」私「も」〇〇「も」、みんな等しく生きているのだから。

デヴィッド・ボウイ『I CAN'T GIVE EVERYTHING AWAY』

そう、何かがとても間違っている
この律動が放蕩息子達を呼び戻す
(暗黒が花で飾られた報道を愛する)
動きを止めた心臓たちと花で飾られた報道たち
そして私の靴のうえに刻まれた髑髏
 
私は全てを与えることはできない
全てを与えきることは
私は全てを与えきることはできない
 
見るほどに感覚を失い
否定を口にしつつ肯定する
これが今まで私が伝えたかった全てだ
私の送り続けた伝言だ
 
私は全てを与えることはできない
全てを与えきることは
私は全てを与えきることはできない
 
私は全てを与えることはできない
全てを与えきることは
私は全てを与えきることはできない
 
そう、何かがとても間違っている
この律動が放蕩息子達を呼び戻す
(暗黒が花で飾られた報道を愛する)
動きを止めた心臓たちと花で飾られた報道たち
そして私の靴のうえに刻まれた髑髏
 
私は全てを与えることはできない
全てを与えきることは
私は全てを与えきることはできない
 
私は全てを与えることはできない
全てを与えきることは
私は全てを与えきることはできない
 

◉デヴィッド・ボウイ(1947年1月8日 - 2016年1月10日)はグラムロックの先駆者として台頭し、ポピュラー音楽の分野で世界的名声を得たミュージシャンであり俳優。『I CAN'T GIVE EVERYTHING AWAY』は、ボウイによる28枚目にして最後のスタジオアルバム『ブラックスター(★)』(2016年1月8日=ボウイの69回目の誕生日にして、彼が亡くなる2日前に発表)に収録されている。
 
【ISHIYA プロフィール】ジャパニーズ・ハードコアパンク・バンド、DEATH SIDE / FORWARDのボーカリスト。35年以上のバンド活動歴と、10代から社会をドロップアウトした視点での執筆を行なうフリーライター。
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著者:ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)
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