というわけで、本日からロフト系列5店舗では配布開始(全国の設置店は3日以降の配布になりそうです、すいません)のルーフトップ7月号、表紙巻頭は吉村さんなのです。
先月頭の編集会議のときに、編集長のやまだからも梅造さんからも「吉村さんを巻頭に据えるのがルーフトップらしいんじゃないか?」と言われて、普段は誌面の内容に口を出さない社長のシゲさんまで「次の表紙、吉村がいいんじゃない?」とやまだに話していたと後から聞いて、正直、迷った。
公私ともに心底お世話になった人だし、webにせよ誌面にせよ自分なりの感謝の気持ちを込めた文章を書かなくちゃいけないとはもちろん考えていたけど、貴重な誌面のなかでそんな大々的に扱っていいものか悩んだ。今の自分に編集の実権があるわけでもないので。
第一、その頃はケタはずれの喪失感にぐったりへこたれていたし、果たして何をどう書いていいのやら途方に暮れていた。
訃報が伝えられた直後にいろんなバンドマンやライターやファンの方々が吉村さんに対する溢れる想いを書き連ねたのを見て、みんなうまいこと書くもんだなぁ、オレはこんなスラスラと書けないなぁ、と暗澹たる気持ちにもなった。
なーんて書くと大げさかもしれないけど、人様の目にふれるものである以上、ちゃんと公共性のある内容にしなくちゃいけないし、でも書くことは極めて個人的なレベルになりそうだし、そもそもたかが一介の編集者のつたない文章に需要があるなんて思えなかったのだ。
でも、せっかくのスタッフからの提案や期待には応えたいし、けじめをつけるためにも僭越ながら文章を書くことに決めた。
あれだけ誌面を華やかに飾ってくれてた吉村さんに対して、ここはやっぱり自分なりのオトシマエをつけるべきだなと。
ただ、追悼という言葉はどうにも違和感を覚えるばかりだったので、文中には一切使ってません。
要するに、ぼくのなかではまだ死んでないんです。葬式に出させてもらったわけでもないし、実感はまるでないし、ただそういえば最近LINEの返事が来ないなっていうくらい。だから弔うなんてつもりは全くないし、みんなが吉村さんの音楽を聴き続けていく限り、吉村さんのことを語り継いでいく限り、吉村さんはずっとそこにいる。そう思ってます。
まぁ、何とか書き上げた文章はさして内容のあるものじゃないし、自分に書けるのは所詮あの程度のことですが、菊池さんにお借りした写真は言うまでもなくサイコーにシビレるので、ぜひ手に取ってやって下さい。どれも今年の4月29日、横浜F.A.Dでのライブ写真です。
あと、思うところがあって、この記事はwebには載せません。何卒ご容赦頂けると幸いです。
今日誕生日を迎えたpanicsmileの吉田さんにおめでとうメールを送ったら、折り返し電話をくれた。福岡へ戻ってからの吉田さんとゆっくり話すのは初めてだった。
吉田さんもこのひと月以上の沈み具合は尋常じゃなかったみたいで、ブログもツイッターも何も発信できなくなったらしく、それでも先週末の地元のDJイベントでブッチャーズの「mizu」を爆音でかけて何とか吹っ切れるようにしたと言ってた。
新作の準備もあるし、そろそろ強引に喪を明けなくちゃいけないみたいなことも話してた。
そうなのだ。ぼくもどうにかこうにか吉村さんに捧げる号を出したことでようやく次の場所へ行けるようになった気がする。
喪失感は絶えずあるし、それがこの先なくなることはないだろうけど、ひとまずはこれが自分にとっては小さなひと区切り。
いつまでもジメジメしてると、「いじけてんじゃねーぞ! おい!」って空枝人くんからも怒られちゃうからね。