さる11月21日、東京・タワーレコード錦糸町店において『ルースターズの時代』先行発売記念トークイベント&サイン会が、ゲストに井上富雄、安藤広一を迎えて開催された。
当日は立ち見も出る盛況で筋金入りのルースターズ・ファンが集う熱気に溢れた一夜になった。司会進行は同書の編集者・田中が担当。
登壇した井上、安藤に早速「最初に二人が会ったのはいつだったか?」と興味深い質問が。
紹介の際に<ルースターズ初代ベーシスト井上富雄さん><最初はお友達、それからなぜか運転手、スタッフとなり遂にはキーボーディストになった安藤広一さん>と紹介されていただけに、答えに熱い視線が集まる。
安藤:僕の中で曖昧だったのが、さっき楽屋で話してスッキリしました。
井上:多分最初に会ったのはエルモーション(ヤマハ主催の九州地区限定のアマチュア・コンテスト)。僕が抜けたあとの「人間クラブ」が勝ち進んでいて、博多で行なわれる本選会に出るのを応援にしようと、みんなでマイクロバスで行ったんです。
安藤:僕も誘われてバスに乗って、そこで(井上さんに)初めて会った。
井上:僕は末っ子的にお兄ちゃんたちに付いて行ってたら、東京に行って(ルースターズとして)デビューしてた……っていう感じです。
冒頭に本書『ルースターズの時代』の出来上がる過程が説明された。元コロムビアのルースターズ担当ディレクター渡辺がアルバムやシングルの音源配信を仕掛け、そのプロモーションの中で、今井智子がルースターズのメンバー全員インタビューを行ない、せっかくだから本にしませんか……という提案が持ち上がり、一冊に結実したという。
──書籍化のお話をいただいた3日後には安藤さん、その2日後には井上さんの取材を行ないました。トップバッターとしていかがでした?
安藤:40年以上の前のことだけど、今になってまたみんなが注目してくれているのも嬉しかったし、ありがたかった。一生懸命思い出しました。
プロモーションの一環として安藤は昨年の配信開始時、博多でのプロモーションを行なった。2泊3日で生放送が4〜5本、収録20本弱。朝のクイズ番組や、『クイズ・タイムショック』も出演。問題は全て安藤関連のものだった(<安藤さんの家には鍋がいくつありますか>など)という。井上も音楽情報サイト『Rooftop』で“ルースターズフリーク”を自認するベーシスト城戸“ROSIE“ヒナコ(暴動クラブ)と対談した(掲載記事はこちら)。
『ルースターズの時代』ではメンバー10人以外にも数多くのスタッフがインタビューを受けている(最初のほうのページでは登場人物一覧が生年月日付きで掲載されている)。そして関わってきたスタッフの多くが現在も音楽業界の第一線で活動している。他にも中期以降のルースターズに数多くの歌詞を提供した元サンハウスの柴山俊之が、インタビューに登場している。
安藤:柴山さん、最初の印象は怖かったですよ、ルースターズのプロデュースをやっていた柏木さんがしょっちゅう柴山さんと会っていて、そこに入って話していると、怖いイメージは全くなくて、すごく博学ないいおじさんという感じでした。僕の結婚式のスピーチもやっていただきました。
井上:いやもう中学の頃は、地元のプロバンドといえばサンハウスでしたから、もう雲の上の存在。今は通ってる耳鼻科が同じです。そこの院長が勝手にCDを買って待合室に柴山さんのポスターを貼っています、柴山さん地元では有名ですよ(笑)。
続く「ルースターズ時代の思い出」コーナーでは、会場のモニターに初期のアーティスト写真を始め、ライブハウスやフェスでのレアなライブ写真や、プライベートな宴会や雑誌取材写真などが映し出され、そのたびに解説が加えられた。
安藤:高校時代は映画を撮っていて、その流れで写真も撮って、高校の一級上にロッカーズの陣内君がいて、彼らの写真も撮ってました。で、ルースターズと近しくなって友達になった時にもいろいろ撮りました。
そんな時代の「東京で最初にルースターズが住んだアパートの室内で撮影したアーティスト写真」「19〜20歳くらいの渋谷 屋根裏? 京都 磔磔でのライブ」「大江、安藤、花田、石飛、井上、池端が揃ったカット」や「音楽雑誌『ROCK SHOW』の取材写真」などが紹介された。
井上:この頃の磔磔は、トイレがステージ前の左側にあって、ライブが始まる前には行けないので、行きたい時は仕方がないから楽屋で大きな瓶にみんなでした覚えがあります。
安藤:そんなことまで話さなくても(笑)。
井上提供の「2004年のFUJI ROCKでのルースターズのオフカット」も紹介された。周知の通り16年振りに大江慎也がバンドに戻り、ラスト・ライブとして出演したステージだった。
井上:この時は僕らよりもオーディエンスがすごかった記憶がある。
安藤:多分、ルースターズを観たことがない人がほとんどでしょ。
井上:僕がいた頃もお客さんは少しだったから。
本書のインタビューでも、フジロック主催のスマッシュの石飛智紹(ルースターズ初代マネージャー)は、「あの時ルースターズだけを観に来たのは1,000人に満たなかったかもしれないけれど、このステージを1万数千人の前で展開できたことが本当に良かった」と話している。
安藤:子どもから孫じゃないけど、ルースターズ・チルドレンがいて、そのまたチルドレンがいるわけで。石飛さんは1,000人って言ってるけど、相当数は知って来ている感じでした。コロムビア・レコードと一緒にボックス・セットを出して、ここで一つケジメをつけようとしていたので、僕はプロデュース側にいて石飛さんとずっと観ていました。作業をしている時、会場ではないんだけど、いろんな人がルースターズのボックスを作り上げるためにどんどん集まって来てくれてる……と肌で感じました。僕にしてみればレコーディングのオープニングとエンディングに立ち会えたようなものでしたね。僕がやれて嬉しかったのは、2曲新たにレコーディングした楽曲をグリーンステージでのライブのオープニングSEと演奏終了後のエンディングSEとして、それぞれ使ってもらったことです。
このCD27枚+DVD5枚+Bonus DVD1枚という大容量の『Official Perfect Box “Virus Security” Sub Over Sentence.』を持っている方を場内に尋ねたところ、当日のコア度を実証するかのように相当数の方が手を挙げられた。続いて質問コーナーがスタート。
Q1:ルースターズ時代のキツかったエピソードを教えてください。
井上:いやぁキツイことばっかりですよ。楽しいことのほうが少ない気がする。みんなで住んでて悲惨な状況で。
安藤:うちに遊びに来よったよね。僕は近所に一人暮らしをしてたので、井上さんや花田さんがよく息抜きに来てた。逆にうちには風呂がなかったから、4人が住んでる家に風呂借りに行ってた。それが仲良くなるきっかけだったかも。最初東京で再会した時にメンバーは目黒区で、僕は世田谷区だったから遠いと思ったら目黒区大橋と目黒区池尻はすごく近所で(笑)。
Q2:もうすぐチバユウスケが亡くなって1年が経ちますが、思い出話はありますか?
井上:すみません、僕、全然ないです。
安藤:他のミッシェル・ガン・エレファントのメンバーは僕を「アンディさん」って呼ぶんだけど、チバだけは「先輩」って呼ぶんですよ、なぜかわからないけど。一度も「アンディさん」はなくて、いつも「先輩」って言うような人。
Q3:私はミッシェル・ガン・エレファントやイン・ザ・スープを経由してルースターズにたどり着きました。若めの世代に向けて一言。
井上:僕からはルースターズを好きな方に何も言うことはないです、だから、「今を見てくれ……」かな。
Q4:今回の本が出来上がっての率直な感想を。
安藤:「ありがとうございました」です、本当に。よくまとめてくださいました。
井上:40何年にもなってまた掘り下げてもらえるなんて感謝してます。元メンバーの中で僕が一番アンチ・ルースターズだと思うんですね。でもなぜ、こうやってプロモーションにも一生懸命参加してるかっていうと、わりともう最後だと思ってるんです。ずっとケジメはつけてきたつもりなんだけど、また流行った、また……とずっとあって。やったのは事実だからイヤとかイイとかもうないので、全部赤裸々に喋ってます。
Q5:THE ROOSTERZの時期にポップな服で少女向け雑誌に出てましたが、自発的なアイデアですか?
安藤:自発的なアイデアではないと思う。コロムビア? 多分出口がなかったんじゃない? ま、でもアパレルがついてくれた時もあるから、ちょっと不思議な感じですよね。
井上:僕、知りません、Z期は。
Q6:井上さんへ、好きなベース・アンプを教えてください。安藤さん、好きなキーボードを教えてください。
井上:最近はASHDOWNが使いやすいかな。だいぶ前からあるアメリカのメーカー。
安藤:未だにRolandのVP-330 Vocoder Plusは名器だと思っています。ストリングスの音もすごくて、使ってました。
Q7:これはどのバンドにも負けない! とルースターズが思っていたことは何ですか?
井上:やっぱりスリリングさとかタイトな演奏とか。
安藤:緊張感溢れるライブ。日本のバンドでしたけど、頭の中では洋楽の連中と横並びでやってるつもりはずっとありました。世界中に音楽は流れてるわけだから、そこと一緒にやらないとつまらない。
Q8:博多の美味しいラーメン屋さんを教えてください。
安藤:なんだかんだ言って、「居酒屋やまちゃん」。あそこのラーメンが一番美味しいと思うし、結局そこに行く。
井上:僕、博多知りません。北九州だと、やっている人が変わっちゃって残念なんですけど、ちょっと前までは「東洋軒」。
Q9:ファッション・リーダーの井上さん、コーディネイトのコツや、気をつけていることを教えてください。
井上:若い時はちょっとオシャレには気をつかっていたような気はするけど、最近はないですね。ブルー・トニックを結成した時のメンバー井嶋和男は、今売れっ子のスタイリストで、たまに彼がやってることにちょっと寄せてみたり。
Q10:ルースターズを抜けてから何か後悔したことはありますか?
井上:僕、辞めたのは84年の1月。ルースターズ自体はちょっと陰りはあったけどまだ上り調子で。辞めた次の月から皿洗いのバイトやってました。30歳くらいまではずっとバイトやってたので、そういう意味では、あのままいれば普通に食えたのかもなっていうのはあります(笑)。灘友(Dr.)とか作山くん(B.)が加入した時も、楽しそうに見えるんですよ、安藤さんも楽しそうにキーボード弾いてるし、なんか、ちょっと早く辞めちゃったかな……と。
安藤:僕はそういうのはあまりなくて、逆に辞めると言うより、ルースターズに入ったおかげですごいことが起こったというのがある。それが全てを超えてます。今まだ音楽の仕事ができてるのも、それがあったおかげで。桑田佳祐さんとも仕事をしたし……今ユニクロのCMでかかっているのは僕が制作に関わった曲で、びっくりしてます。
Q11:最近ライブハウスで2時間弱立っているのが辛いです。お二人は体力を保つのに何かやられてますか?
安藤:とにかく歩きます。それと4階までは階段を使う、電車では座らない。というのをやってます。
井上:歩いたりはしますよ、でも僕もライブを立って見るのはイヤです。長いのもイヤです。アンコールを入れて1時間半で終わってくれる、そういうのがいいライブだったなぁと。でもそのくせ自分のライブは、2時間くらいあるんですけど(笑)。
Q12:ルースターズの曲で、一番レコーディングに苦労した曲は何ですか?
安藤:ぜんぶ苦労してますよ、簡単なものはないですね。
井上:僕はリズム隊だから先に録音が終わっちゃうので、その後ああしてこうしてがなくて、先にやっちゃったもん勝ちみたいなもんだから、特に苦労はないですね。いやぁロックのギター・バンドのベースってルートしか弾かないしつまんないんですよ。ギター・ソロを延々やる人もいるし、こっちは面白くもなんともない。
安藤:でも気がついたら桑田さんのアルバムとか、いろいろ弾いてるでしょ。
この後はお知らせコーナー。ルースターズのライブ・アルバムや、お二人の活動予定が紹介され、続いてサイン会が開催された。
商品情報
ルースターズの時代 THE ROOSTERS AND THE ROOSTERZ
今井智子・著
A5判 / 320ページ / 定価:3,000円(税込)
2024年11月25日(月)発売
ISBN:978-4-401-65542-7
発行:シンコーミュージック・エンタテイメント
【内容】1979年の結成から45年。2004年の解散後もメンバーが第一線で活躍を続けるザ・ルースターズ。在籍したメンバーへの最新インタビューで綴る激動の80年代ロックシーンと、今に続く彼らの影響力をパックした一冊。マネージャーおよびスタッフ、デビュー以降の歴代ディレクター陣、九州の盟友ロッカーズ陣内孝則、多くの楽曲に作詞で参加した柴山俊之(サンハウス)、映画『爆裂都市』石井聰亙監督などからの証言も多数掲載。