KERAさんの話を聞いて、「もっとやらなきゃ」って忘れてた気持ちを思い出しました(アツシ)
──有頂天が初めてロフトに出たのは、83年6月という記録があって。同じ年の11月に『土俵王子発売記念GIG』とあったんですが、合ってますか?
KERA:合ってると思います。最初は昼の部だったんじゃないかな? ロフトはかなり背伸びして、出たんだけど。まだ子どもですから、やりたいこととやれてることのギャップがとても激しかった頃ですね。『土俵王子』の頃は、いまいるメンバーが僕とジンだけですから。まだ、本城(聡章)がいた頃ですね。
──あっちゃんはまだ、オーディエンス側だった時代ですよね?
KERA:2個下だよね? 今年、還暦?
アツシ:いや、去年ですね。昭和39年生まれなんで、学年で2個下です。
KERA:そうかそうか。センター街にあった頃の屋根裏は出た?
アツシ:出てますね。屋根裏でブルーハーツとやってます、まだドラムが梶くん(梶原徹也)じゃない頃ですね。ブルーハーツは口コミですごかったですよね、「ブルーハーツとやるの?」ってみんなに言われましたから。
KERA:ブルーハーツにも嫉妬したなぁ。ああいう真っ直ぐなものには敵わないんだよね、僕らは斜に構えてるしかなかったから(笑)。斜に構えてるからこそ、空き席が見つけられたわけで。だけど結局は真っ直ぐなもののほうが強いんですよ。大槻なんかは計算がうまいから、俺たちを反面教師にして、そこを上手く取り混ぜてやってたけどね(笑)。ニューロティカって、最初からニコニコな感じでやってたんだっけ?
アツシ:最初はハードコア系とか、いろんなバンドとやってたんで。ピエロになる前は喋りもせずにやってました。
KERA:それが何年頃?
アツシ:結成して2年くらいはそんな感じでしたね。
KERA:そうか、早いね。さっき、斜に構えることで空き席を見つけたって言ったけど。ライブハウスの世界って、厳しい顔をしてないとダメみたいなところがあったよね。笑顔を見せるなんてカッコ悪いみたいなね。
アツシ:リハーサルでも、ひと言も話さないですもんね。外で難しい顔して聴いちゃって。
KERA:東京ロッカーズの頃とか、もっとそうだったと思いますよ。客もバンドに媚びないから、アンコールとかしないし。怒ってるんだか、喜んでるんだか分からないっていう。その中に「笑顔」やら「笑い」を持ち込むのは相当リスキーだったし、「異端」だった。僕もピエロって言われたけど、最初にメイクをオーダーした時は、「スターリンとバスター・キートンを混ぜた感じ」とか言ってて。「グラムロックみたいな世界をモデルにしてもいいんだけど、目はタレ目にして」とか、そういう入り口で。ピエロって定着させたもん勝ちだなって。
アツシ:最初はピエロのメイクでパンクバンドとかと対バンする時、ちょっと度胸が要りましたけどね。「もう殴られてもしょうがないか」と思ってたら、意外とみんな好きだったみたいで。モヒカンのお客さんが飛んできたりして、「これだ!」って。
──あっちゃんは暴力沙汰からは、スルリと上手く抜けてたタイプだと思ってましたが?
KERA:でもあったよね、近くには。ロフトなんかライブの後の打ち上げで、終電超えると喧嘩は結構見ましたよ。さっきまでステージで仲良くやってたバンドが、すげぇ仲違いしてるところとか。僕はそういうところに入っていかなかったですけど、見るのは好きだったんです(笑)。だから、川田良さん(THE FOOLS)に胸ぐら掴まれたり。
──「KERAさん逃げて!」事件ですね(笑)。
KERA:俺、じゃがたらの『南蛮渡来』の頃、LPを納品するアルバイトをしてたんだよ。朝までメンバー全員で安い居酒屋で飲んだり食ったり喧嘩したりして、最後、誰もお金持ってないんだもん(笑)。そしたら、下のフロアで近田春夫さんが飲んでて。面識ないんだけど、近田さんが全部払ってくれたりね。
アツシ:ザ・昭和って感じのエピソードですね、カッコいい!
KERA:LAUGHIN' NOSEも一時期同じ事務所だったけど、マネージャーやってた能野(哲彦)が、寝てる間にバリカンで丸刈りにされちゃったりね。ひどい話だよ(笑)。やんちゃな人が多かった。それを笑って乗り越えられるか、落ち込んで溜め込んじゃうか? って、道が分かれるみたいなところもあったと思う。内心シンドいことも多かったと思うけど、ナゴムは基本、なにがあっても笑い飛ばすって感じだった。全方位ですよ。自分も含めて笑いのめす。人の悪口言って笑うけど、「自分たちも似たようなもんだ」ってことで。笑い飛ばしちゃいけないものなんてないし、俎上に乗せちゃいけないものなんかなかった。それを公平というのか分からないけど、そういう気持ちはあったと思いますよ。仲間がひどい目に遭っても、誰かが亡くなっても、すべてジョークで笑い飛ばす。いま考えるとたちの悪いものもあったと思いますけど、それもこれもひっくるめてだから。
アツシ:いまKERAさんの話聞いて、「もっとやらなきゃ」って気持ちになりました。少し守りに入ってたかな? と思ったし、そこから始めたのがバンドだったし。ちょっと忘れてた気持ちを思い出しました。
──今回の対バンに寄せてのコメントによると、あっちゃんが有頂天を始めて見たのが、1985年8月にアルタ前で行なわれた『好きよキャプテン』だったんですよね?
アツシ:アルタ前、観に行ってます。もう世界が違って、僕にとってはそこが芸能界みたいなひとつの世界で。同じバンドマンというか、バンドの先輩というよりは、ひとつの世界があって。そこに行きたいとかも思わなかったです。
──でもそこから3年後、キャプテンレコードからCDをリリースするわけですからね。
アツシ:そうだね。それまで自分たちでお金を貯めてレコーディングしてたんで、そういうのがないだけで嬉しかったですね。「え、お金出さなくていいの!?」って、それだけで肩の荷が降りたって感じでした。まぁ、いま考えるとまんまと騙されてたんですけどね。で、アルタ前の次の月に「田島ヶ原野外フリーコンサート」で有頂天と一緒にやってるんです。
KERA:懐かしいなぁ。あれは良いフェスで、観に行くのも楽しみにしてた。「フェス」というか、野外コンサートの最初だったよね。事前に平沢進さんと対談やったりもした。平沢さんの大ファンだったからとても嬉しかったんだよ。すごくいいイベントだった。
アツシ:僕らは一緒に出てた、REALってバンドと仲良かったんですけど。車で来てた修豚に「ちょっとガソリンくれ」って言って、ちょっとガソリンを抜いていって。なにするのかな? と思ってたら、ライブで日本の国旗に火を着けてたんですよ(笑)。あの頃、僕らと一緒にそんなイベントにも出ていたり。KERAさんって、すごいいろんなバンドと共演してますよね?
KERA:そうだね、いろんなジャンルのバンドとやってたかな。
──逆に有頂天みたいなバンドって、他にいないですから。対バン組むにしても、同じジャンルってことにはならないですよね?
KERA:そうなんですよ。出てきたばっかりの頃はコミックバンドって言われてたし、実際、コントとかやってたし。その反発ですごく暗くなったこともあった。“動員ゼロ”を記録したのもその時期なんですけど。陰気なバンドに一転して、メンバーがごそっと辞めた。クボブリュはいたんですけど、そこにコウとハッカイが入ってきて、現在の色になったって感じで、いろんな時期があったんですよ。ニューロティカって、音楽性は一貫してるの?
アツシ:そうですね、いまも速い曲ばかりです。速くないと僕が唄えなくて、遅い曲だとお腹が痛くなっちゃうんです(笑)。
KERA:あはは。俺たちは明らかにテンポ遅くなってるよ。曲によっては、速くてもいいんじゃない? と思う曲もあるんだけど。その頃のライブテイクは、メンバーが聴きたがらない(笑)。80年代は速くなきゃいけないみたいなのもあったし、勢力図というか、地図の中で自分たちがどこにいて、このバンドがどこにいてみたいなのも考えたんだけど。年取ってくると、その時その時で好きなことを忠実にやってる人を尊敬するというか。あぶらだこもすごいし、LAUGHIN' NOSEもすごいし、ヒロトも一貫してて、すごいなと思いますよ。