再びロフトに帰ってきた、ニューロティカ×新宿ロフトによるツーマンライブシリーズ『ビッグ・ウェンズデー』も最終回。今回、「SHINJUKU LOFT 50TH ANNIVERSARY PRE-EVENT SINCE 1976」として、新宿ロフト50周年プレイベントも兼ねたゲストとして出演するのは有頂天! どちらもロフトに深い馴染みがあり、交わりそうで交わることのなかった2組。ニューロティカのことをよく知ってくれていて、一貫したロティカのスタイルを称賛するKERAさんに恐縮しっぱなしのあっちゃん。インディーズブームの時代のこともよく覚えていて、惜しげなく貴重な話をしてくれるKERAさんのトークに感心するばかり。初対バンが楽しみになる、濃厚で充実した対談を余すところなくお届けします!(Interview:フジジュン)
ニューロティカがみんなでDVD封入してるとか聞くと、「すごいな、でもそれが当たり前だよな」と思っちゃう(KERA)
KERA:ニューロティカは今年で何年目?
アツシ:41年です。
KERA:いやぁ、ノンストップでやり続けてるってのが本当にすごいね。一旦、解散なり活動休止なりして。ほとぼり冷めた頃にみんな懐かしくなって、また始めるみたいなパターンも多いじゃない? 俺はいつメンバーが変わったか知らなかったから、何年か前まで修豚って人がまだギターを弾いてると思ってたけど。いまは熱帯魚屋さんなんだよね?
アツシ:はい、熱帯魚屋(フィッシュジャパン)やってます。
KERA:死んじゃった井上(正)くんと一緒に熱帯魚屋やってたよね? 三浦俊一とやってたバンド(ケラ&ザ・シンセサイザーズ)で、16TONSの「サーフ・ダンシング」をカバーしたことがあって。その時、井上くんに電話して、話したきりなんだけど。
アツシ:井上くんは修豚の熱帯魚屋でバイトしてて、ウチの八王子の奥に住んでたんです。
KERA:そうなんだ。井上くんが亡くなって、生前残したラジオが追悼で流れてきて。俺のこととか、「カバーしてくれた」って話をしてくれてたのを知ってね。生きてるうちにもっと話したかったな。そこからFacebookを辿ったら、修豚くんのバンドとかが出てきて、「そうかそうか」って。全然勉強するつもりじゃなかったのに、勉強しちゃってた(笑)。でも、41年はスゴイと思いますよ。
──ニューロティカも有頂天も長い歴史を持つバンドですが、初めてのツーマンライブ。メンバーみなさんご多忙で、年に数回しかライブをされていない有頂天が、その貴重な機会に、なぜ『ビッグ・ウェンズデー』を選んでくれたのか? というのが疑問なんですが。
KERA:いやいや、誘われないだけですよ。有頂天でツーマンやろうって誘ってくれるのは、ロフトくらいだから。去年は(石野)卓球とやって、今年はニューロティカ。お呼びがかかれば、全然やりますよ。あと、卓球にしろニューロティカにしろ、古くから知ってるから。誘ってくれるならぜひと思って、メンバーみんな喜んでます。
アツシ:ありがとうございます、めちゃくちゃ嬉しいです! その言葉だけで充分です。
KERA:何年か前にスタジオで会ったことがあって、あの時はビデオの収録やってたんだよね? その時はメイクをしてたから、「そのメイク、何分かかるの?」って聞いたら、「10分です」っていうから、すげぇ驚いた(笑)。カタルは昔から知ってるんですよ、THE LOODSにいたから。あと、有頂天のキーボーディストと付き合ってたこともあったから(笑)。でも、THE LOODSはイカついイメージのバンドだったから、あの頃は彼の笑顔はほとんど見なかったな。
アツシ:そうですね、当時は革ジャンに白と黒みたいなファッションで。ニューロティカに入って、周りのバンドマンが「こんなキャラだったんだ!」ってすごい驚いてました。
──KERAさんはカタルさんとは面識があったけど、あっちゃんとちゃんと話すのは初めてくらいなんですよね?
KERA:初めてだよね? でも、そんなもんなんですよ。仲良しだと思われてるバンドでも、なかなか会う機会がなくて。例えば、THE WILLARDだって、“インディーズ御三家”とか言われてたけど、下手すると30年くらい会ってないし。LAUGHIN' NOSEもロフトでツーマン(2016年9月)やらせてもらったことがあるんですけど、チャーミーやポンとは5年くらい会ってないし。じゃあ、誰と仲良しなの? って言われても、卓球や(ピエール)瀧とも1年くらい平気で会わないし、大槻(ケンヂ)もXでやりとりするくらいで、還暦ライブ以来会ってないですね。
──ニューロティカはLAUGHIN' NOSEともオーケンさんとも関わりが深いのに、これまでKERAさんにたどり着く機会がなかったというのが面白いです。
KERA:独自なんですよ、俺たちが。でも、ニューロティカはすごく活発に動いてるイメージがあるな。その活発さの中には、みんなでDVDの封入をやったりというのもあって。「すごいな、でもそれが当たり前だよな」って思っちゃうんですよね。「俺も袋詰めしてたな」って、自分のことも思い出すし。メンバーが社員なんでしょう? みんな給料もらってるってこと?
アツシ:そうですね。4人で会社作って、給料渡してる感じで。
KERA:普段、リハはどれくらいやってるの?
アツシ:リハは週2回ですね。いい年齢なんで2時間だけ集中してやって、袋詰めがあると3時間やってます(笑)。
KERA:いやぁ~、バンドだね! 本当に素敵だと思います。
──有頂天が82年結成、86年メジャーデビュー。ニューロティカが84年結成、88年にキャプテンレコードからCDデビューと、結成からデビューまで2年くらいズレてて。インディーズシーンやライブハウスシーンで見た時、当時の2年って大きな変化があった時代だと思うんですが。KERAさんは2年後輩のニューロティカをどう見ていたんですか?
KERA:あの頃って1~2年違うと、全然違うんですよ。70年代終わりから80年くらいまで、東京ロッカーズとか、P-MODEL、ヒカシュー、プラスチックス。RCサクセションもそうですけど、あの辺をいちオーディエンスとして聴いていて。いま考えると、その数年後には自分でバンド組んでレーベルやってるわけじゃないですか? もの凄いスピードなんですよ。いまだったら、ボーッとしてたら1~2年くらい平気でなにもやらずに経っちゃうんで、その行動力って我ながらすごかったなと思うんです。それは世界がちっちゃかったっていうのと、情報社会じゃなかったから、伝わる時に盛って伝わるというか。『宝島』にしろ、『DOLL』にしろ、『FOOL'S MATE』にしろ、幻想が大きかったと思うんです。大きく大きく伝わるから、東京に出てきたらみんな見たくなるんだけど。僕らにしてみれば、目の前にあることをひたすらやってただけ。いまにしてみれば、よくあんな時間があったなと思うんだけどね。みんなでよく喋ったし、どうでもいい話して。冗談で言ってたことを、本当にやっちゃうのが面白かったし。みんな驚いてくれたしね、いまより。
アツシ:あはは、よく分かります。
KERA:LAUGHIN' NOSEがソノシートばら撒いたりしてさ、当時はああいうのが大事件になっちゃってたわけだからね。いまだったら「勝手に配れよ!」って話だし、「交通法どうなってるの?」って話だけど、あの頃は何やっても驚いてくれたし。インディーズブームっていうのも僕らが仕掛けたわけじゃないので、勝手に盛り上がってくれて。その直後にLÄ-PPISCHとか出てくるんだけど、年も1個くらいしか変わらないのにすごい後輩扱いしたり(笑)。内心、こっちとしても後進の連中に潰されたくなくて必死だった。敵は少ないほうがいいから(笑)、「仲良くしよう」みたいな感じはなくて、「負けてられねぇ」みたいな気持ちがあったし。
──バンド間にヒリヒリした緊張感があったんですね。
KERA:インディーズブームより、その後のバンドブームのほうが波がデカかった気がするし、「楽しくやろうぜ」って感じがしたし。バンドブームは「みんなもバンドができるよ」ってブームだったから求心力が強くて、結構焦ってたんじゃないかなぁ。で、その中にニューロティカがいて。ブルーハーツもね。周りにはジャンル関係ナシにいろんな人がいて、聖飢魔IIを始める前の(デーモン)小暮くんがスーパースランプにいて。その後、爆風銃(バップガン)とスーパースランプが一緒になって、爆風スランプになるんだけど。小暮くんは生老婆ってバンドをやってて、白塗りして着物着てライブしてた。「今度、メタルのパロディバンドでソニーからデビューするかもしれない」なんて言ってて、それが聖飢魔IIだったんだ。
アツシ:へ~~! 僕は高校生の頃、ダディ竹千代とおとぼけキャッツのライブを屋根裏に観に行って。奥野(敦士)さんがチケットのもぎりをやってて驚いたんです。
KERA:そうそう。ROUGUEのメンバーは屋根裏が送り出したバンドみたいな感じだったからね。ロフトより屋根裏のほうがいい加減で、タダで入れてくれる可能性が高かったから、屋根裏に入り浸ってたけど。屋根裏もロフトもお世話になりましたよ。ロフトに初めて出た時、秋山って店長がいてね。「どの曲もイントロが同じに聴こえる」って言われてイラッとして、その後のエッセイにすごい書いたんですよ(笑)。