頭脳警察のPANTAとムーンライダーズの鈴木慶一という日本のロック史の黎明期から活躍する先駆者によるデュオ、P.K.O(Panta Keiichi Organization)が最初にして最後のオリジナル・アルバムを7月16日(水)に一般発売した。
国際平和協力法(PKO法)が制定・施行された翌年の1993年に結成され、'93年と'94年に行なわれたライブから厳選した名演集を2006年に発表したきり音沙汰がなかったものの、初のオリジナル楽曲である「クリスマスの後も」と「あの日は帰らない」を2022年12月に突如デジタルリリース。PANTA & HALの傑作『マラッカ』と『1980X』を鈴木慶一がプロデュースしたことで始まったふたりの交流は半世紀近くに及ぶものの、互いの立場を対等にしたユニットによるゼロからの創作活動は意外にもこれが初。しかも全10曲中5曲の録音を残したままPANTAが2023年7月に他界するという事態に見舞われた。そこから録音エンジニアを務めたゴンドウトモヒコの助力を得て実に140時間を超えるスタジオワークの果てに鈴木がアルバムを完成させた経緯、制作に懸けた思いをこのインタビューで聞いたが、できればまず先入観を持たずに本作を聴いてみてほしい。すでに揺るぎない地位と名声を得たレジェンドと称されるふたりが曲作りにおいても表現の手法においても新たなトライアルに挑んでいることに舌を巻くはずだし、頭脳警察はもちろんのことムーンライダーズでも聴くことのできなかったポップ・ミュージックの未踏の境地に両者が達していることに感嘆するだろう。
PANTAの三回忌追善ライブを数日後に控える2025年7月某日、盟友の意志を継いで満身創痍でアルバムの完成に漕ぎ着けた鈴木慶一と、最晩年のPANTAを公私ともに支え続けたマネージャーである田原章雄にムーンライダーズのオフィスで話を聞いた。(Interview:椎名宗之)
PANTAの“スウィート路線”を私がプロデュースしていたらこうなったかもしれない
──当初はPANTAさんがご存命だった2023年6月にアルバムをリリースする予定でしたよね。
鈴木:最初は「クリスマスの後も」と「あの日は帰らない」を配信リリースした後に5曲入りのミニ・アルバムを出すつもりだった。その配信の2曲はライブ会場限定でCDとしても売っていたんだけど。まずふたりで4曲(「クリスマスの後も」「あの日は帰らない」「エルザ」「逢魔刻はキミと」)を作ったら、5曲目に「虹のかなたに」がサラッとできたんだよ。それで欲が出てきたと言うのかな。曲がどんどんできそうだったから、いっそのことミニよりもフルにして出そうかという話になった。ところが残りの曲を作っていこうとした頃にPANTAが入院したり、いろいろあってね。このアルバムの出だしから言うと、2022年の春頃に抗がん剤治療を乗り越えたPANTAに「食事をしよう」と誘われた。最初はただ会食しながら雑談していただけだったんだけど、そういえばP.K.Oにはオリジナル曲を収めたアルバムがないよなという話になり、じゃあやってみようよということで始まった。
──今回のプロジェクトの嚆矢となった「クリスマスの後も」は、ムーンライダーズのライブで一度披露されたことがあったそうですね。
鈴木:そうだよ。ただ他のメンバーからすると、ちょっとポップすぎるんじゃない? ということで寝かせておいた。でもそれをPANTAに唄ってもらったらぴったりじゃないかと思い直したんだ。彼の病状も聞いていたし、歌詞も含めてすぐ唄いたかった。
──まずそれが大胆ですよね。「クリスチャンでもないのに騒いでるんじゃねぇよ!」という意向で『UNTI X'mas』を定期開催していたPANTAさんにクリスマス・ソングを唄ってもらうなんて(笑)。
鈴木:だからPANTAも最初は戸惑っていたけど、私の家のスタジオで趣旨を説明してちゃんと聴いてもらったら、「凄くポップな曲だけどいいね」と言ってくれた。それともう1曲、「あの日は帰らない」。そのデモの“パーン、パン、パパーパパーン”というイントロを聴いた途端、PANTAが「わかるよ。これはライチャス・ブラザーズの『ふられた気持』(You've Lost That Lovin' Feelin')でしょ?」って(笑)。ほぼ同世代だし、聴いてきた音楽も似ているからそういうのが言わなくても伝わるんだ。で、どういう経緯でそうなったかは忘れてしまったけれど、曲は私が全部作り、歌詞はPANTAが全部書くことになった(「クリスマスの後も」の作詞のみ鈴木慶一)。そして歌も全部PANTAが唄う予定だった。その形でミニ・アルバムを作ろうとスタートしたんだけど、PANTAとしては頭脳警察を始めいろんな形態がある中で、このP.K.Oでは歌に専念して歌詞を専業で書きたいと。よしわかった、それなら私はPANTAに合う曲を作っていくよと。そうしてアルバムの制作が始まった。
──「不思議な愛の物語」というタイトルの曲があるように、本作には純真なラブソングが意外にも数多く収録されています。PANTA & HAL以降、“スウィート路線”と揶揄された『KISS』と『唇にスパーク』といった作品をもし慶一さんがプロデュースしていたらこんな感じになっていたのかもしれないという楽しみ方もできると思うんです。
鈴木:いいこと言うね。PANTAが“スウィート路線”に走って不買運動が起きたのは有名な話だけど、それは私がプロデュースをしたからだと勘違いしている人たちがけっこういたんだよ(笑)。当時、「鈴木慶一のせいであんなことになった」という人たちがなぜかいっぱいいた。そんな話もPANTAとしていて、もし私が“スウィート路線”をプロデュースしていたらこういうものになっただろうなというのも意識しながら作っていたのは確か。「キミが 好きだよ」(「あの日は帰らない」)なんて、自分で作っておきながらPANTAはだいぶ照れていたね。
──慶一さんの作った純朴なメロディに呼ばれた歌詞だったのかもしれませんね。
鈴木:そうなのかな。もしくはこれは想像だけど、PANTAも50年以上、いろんなことを歌詞にして唄ってきたわけでしょう。そのときは病のこともあったし、「昨日よりも 明日よりも/いまのキミが 好きなんだ」という素直なことを唄う境地に辿り着いたんじゃないかとも思う。
──唄い方もとても素直ですし。
鈴木:素直にしようと決めたんだ。声を張り上げず、力の抜けた感じにしようと。体調のこともあったから。