山岡さんが、福島のことを唄うのは素晴らしいこと(荒井)
山岡:“音楽をやっている期間が30年”と仰ってましたけど、大学のときに一緒にコピバンしてたメンバーもバンアパが今もすごく好きで。バンアパって“メタルが好き”から始まって、それぞれが好きな音楽もやりながら出来上がっていったという噂を聞いたことがあります。それって、バンアパのファンの中での都市伝説みたいな感じですかね?
荒井:あはははは。メンバー全員、年齢は同じですけど俺以外の3人が同じ中学で、15~16歳のときに俺と原の共通の友人を介して、俺は原と知り合ったんですよ。それで川崎、木暮(栄一/Dr)とも知り合う、みたいな。原を中心に集まった4人で、バンドごっこみたいなのが始まって。その頃から数えるともう30年になるけどその頃はちゃんとやってなくて、初期衝動でバンドを組んでる、その事実だけが楽しい時期だったから。それこそ原はその頃、スラッシュ・メタルが好きで、川崎も好きだったかな。2人がメタルに詳しくて、“こういう音楽があるんだ”って俺は教えてもらっていた感じ。
山岡:へぇー!
荒井:だから遊びでコピーしたりとかは確かにやったりしたことはあっても、メタルバンドだったときはなくて。いざ、ちゃんとライブをやりますっていう19~20歳の頃はもう今っぽいthe band apartみたいなことをやり始めてた感じで、それが1998年ぐらいかな。そこをthe band apartとしてのキャリアのスタートにしようということで。だから最初がメタルバンドだったわけではないけど、メタルが好きだったというのは本当です。紆余曲折ありましたけど、要約するとそういう感じで。
山岡:なるほど、そうだったんですね!
荒井:それでthe band apartとしてのキャリアが始まり、ファーストアルバム(『K. AND HIS BIKE』)の曲は、9割ぐらい原が曲を作ってて。
山岡:えぇー! そうなんですか!!
荒井:あとの3人はリフのアイディアを出したりするぐらいで、セカンドアルバム(『quake and brook』)ぐらいから、だんだんと。メンバー皆、曲を作りたかったということなんでしょうね。20代だったし、自分でも頑張りたいみたいな、承認欲求みたいなことでもあるでしょうし。そうやって曲を作り始めていって、割合が均等ぐらいになってきて現在に至る、みたいな感じです。
山岡:聞きたいと思っていて、対談でなら聞いても良いかなと思ったので。すみません、聞けて良かったです。それで今の荒井さんの曲作りについてお尋ねすると、荒井さん本人としての曲の作り方って何から生まれるのかなぁ、と。
荒井:ソロでもバンドでも“作るぞ”ってならないと、作れないタイプではあるんですよ。バンドで音源を出そうってなったときに“1人1曲作ろうか”っていう場合は、じゃあ作らなきゃ、よし作るぞって始まっていって、あとは……途方もない作業ですよね。俺は結構、ひらめき待ちみたいなところがあって。最初の1個を掴むまでが結構、時間がかかるじゃないですか。俺の場合はちょっと掴めばそこから想像が働いていって、だんだん広がっていく感じですけど、その間にも何回も躓きながら。だからまずはひらめき待ちで、ギターを持って曲を作ろうとしてみよう、みたいなところからかな。
山岡:荒井さんのソロ音源も聴かせていただいていて、歌詞の感覚とかはちょっとだけ、近い感覚を。自分の中では勝手に、思っているところがありまして。WHITE ASHのときはギターのことしか考えてなかったので、曲を作るというのはすごく大変だなという思いが今はあって。ノリとかカッティング、歌メロの気持ち良さに、どうやって言葉や思いをはめ込んでいくか。曲と言葉のはめ方が、荒井さんはとても素敵だなと思いながら聴いております。
荒井:ありがたいですね。俺の場合かもしれないけど、ソロ(曲)だと“俺がこれを言って大丈夫なのか”みたいなことを最近、歌詞に対して思うようになって。でもそれは年齢と共に変化した気もするのかな、とも思ってて。だから(その変化は)面白いなとは思うし、“おじさんになったからこれを言うと説得力があるかもな”みたいなこととか、歌詞で良いことを言いたいわけでもないけど、何だろう……昔の昭和歌謡のような内容の歌詞でも、この年齢で唄うと説得力ある感じがするなとか、考えるようになって。それはバンドにはない感覚なんですよ。
山岡:と言いますと?
荒井:バンドの歌詞作りって、もう少しドライと言うか。もちろんバンドのほうで何も(思い等を)込めていない、ということではないけど……そうだなぁ、おじさんのバンドなんていっぱいいるけど、中年のおじさんがバンドをやっている。それだけで俺はもう、エモいと思ってるんですよ。その様(さま)がエモいから、わざわざ自分たちで(歌詞を)重くしなくても良いし。自分が中年になったことで、見てもらってカタルシスみたいな部分を感じてもらえればそれでもう良いんだろうな、みたいなことをすごく思うようになって。と同時に、バンドの場合は歌詞に乗せると言うよりは内包的にしておきたいところもあるし、俺だけが分かってるんだけど側からパッと聞いたらそうは聞こえないかもしれない言葉を選んだりしていて。でも、ソロはその逆ですね。だからソロの場合はより「俺がこれを言って大丈夫かな?」って考えたりするんですけど。俺がそう思っているだけでこれは正解でもないし、作る人それぞれのスタイルもあるけど、歌詞について俺は、そんなふうに最近は考えてますけどね。山岡さんはどうです?
山岡:僕は唄い始めたきっかけが、東日本大震災で。地元のことを思ったら唄えるんじゃないか、って。
荒井:そうでしたか。うん、それは素晴らしい。
山岡:自分の一番の根源にあって思いが強いことだったら、言葉やメロディが生まれるんじゃないかなと思って。だからまず、どうしても言葉があって、そこにメロディを乗せる作業から始まったところがありました。そういうところから始まったんですけど、ライブをやっていくことによって、目の前のお客さんがハッピーな気持ちになったり心が和やかになったり、楽しんでもらうために。そういう曲をどんどん増やしていきたいなと思っていて。僕は今、FLAMYNGSというバンドも組んでますけど、「今、バンドも楽しい!」って思える時期と言いますか。音を楽しむということがより、できてきている感じで気持ちいい感じで、キャッチーな方向性とかを考えながら踏み出しているところもありまして。バンドのお陰で(ソロでも)楽しい曲ができるようになってきたところがあります。
荒井:福島のことを唄うというのは本当に素晴らしいしですね、いろんな人に思いを馳せてもらいたいことですし。自分も震災きっかけでより弾き語りをやるようになったり、よりソロに力が入ってやるようになったところもありますから。唄うようになった人にとってはやっぱり、すごく大きなきっかけを与える出来事でしたからね。生きて普通に暮らしてる中で音楽をやっているわけだから、そういうことは当然、無視できないことの一つなので。だからそういう曲もあれば、バンドでは人をハッピーにさせるような音楽もやってるという。ちゃんとお客さんのほうを向いて、シリアスも、楽しくも。話を聞いてて素晴らしいなと思いました、って、何かすみません、上から目線みたいな感じで。偉そうに見えちゃうから、そうならないようにしないといけないんですけど(笑)。
山岡:そんな、そんな。今の最後のトークの感じ、忍さんにもそんな感じがありますよね(一同笑)。
荒井:やっぱりね、“忍イズム”がありますよ。一番弟子なんでね(笑)。まぁでも本当にありがたいですよ、今回は。世代を超えて、出させてもらえますんでね。いずれ全員、歳はとるんですけど個人として最近はもう、朝起きたときに鏡を見るとビックリするぐらいおじさんだなとか(笑)目の下のクマに“おいおい”ってなるんですけども。音楽をやっていることに関してはこれは幸せなことで、20代からやっていて中年までを見せることができている。規模感とかは変わるにせよ、「アイツ歳とったなぁ」っていうのを見せられるぐらい(ライブ等に)出続けられている。それはすごくラッキーなことであって、と最近、すごく思うので。ありがたいことだなと思ってますね。