バンドの魅力に取り憑かれっぱなし
── 一曲ごとに聞かせてください。図太い低音に軽快な四つ打ち、歯切れ良いギターのカッティングとのっけからドライブ感溢るる「サイキック・ハイキック」ですが、過去に在籍した従業員たちにマリアンヌさんが延髄斬りをお見舞いする画が浮かびます(笑)。その意味では「断罪ヴィールス」っぽいのかなと思いましたが。
東雲:そういう見方もできますけど、自分と関わりがなくなったのは何も過去の従業員だけじゃありませんからね。ただ、ワタクシと疎遠になった人は皆、だいたいパッとしないなと思って(笑)。それはともかく、皆さんの実生活でも必ずいると思うんですよ。ちょっと目障りで「こいつさえいなければ……」と感じるような人が。世の中の大半の人たちはそれを口に出さず、グッと堪えて生きているんでしょうけど、ワタクシの場合は遠慮なく言ってしまうのね。だからこの歌もこんなふうになっちゃって。だけど「邪魔ねあんた 退きなさいよ」という歌詞はモーセの十戒っぽいじゃないですか。モーセが海を割り、道を作って渡るという。それはマスタリングの時に気づいた後付けなんですけど。
──「こんな世の中に 未練はないわ/すべてはただ 私をやり切る為に」と、マリアンヌ東雲としてキノコホテルをやり続けていく覚悟を唄っているのは高らかな宣誓のようだし、アルバムの幕開けに相応しい一曲ですね。
東雲:この時代、ワタクシに限らず誰もが今を生きることに精一杯だと思うんです。自分の人生を生きる、それ即ち闘いですよね。どんな状況であれ自分が自分であり続けることはとても大事なことだけど、個性の意味を履き違えている人たちもいる。自分らしくある大義名分のために他人を困らせたり、民度の低いことを平気でする輩が増えてきた。その中で常に美しく自分であり続ける人生とはまさに闘いなんです。そういった思いを込めた曲なのかもしれない、強いて言うならば。でもその闘いを続けるのはワタクシだけじゃないし、胞子たちにも畜生として生きる闘いが日々あると思うので共感できるはず(笑)。
──この曲に限らず今作はとにかく音が良いんですよね。臨場感と躍動感に溢れた音の質感が鮮明で、各楽器と歌の混ざり具合が絶妙で。
東雲:今回、リズム隊の二人はナメコ班なんです。電気ベースがフローレンス鷺宮、ドラムスがヴァネッサ豊中。二人のコンビネーションが抜群で、昨年末に「レコーディングはこの二人でいけるかも」と手応えを感じたんですね。
──『〜経典』と比べてバンド感が増したのは二人の貢献が大きいと?
東雲:かもしれない。
──ギターはどなたが弾いているんですか。
東雲:ちょっと特殊なパターンで、シンディ尾道という地方在住のギタリストに全編お願いしました。『〜経典』に引き続き、今回も正規の従業員じゃないのでデモの段階でギターの音をバッキングからリードまで自分で細かく入れたんです。ワタクシはギターを弾けないので、打ち込みで凄い綿密に。それを生演奏に落とし込んでいただくんですけど、その過程で「このフレーズはこうしたほうがいいと思うのですがどうですか?」「じゃあそれでやってみましょうか」といった具合にやり取りをしながら進めていくわけです。これが普通のバンドだったら何回かスタジオに入ってああだこうだ話し合って進めていけるんですけど、今はそういうやり取りができないのでとにかく作業量が多くて自分の首を絞める一方なんです。でもそれが東雲的に性に合っていると言うか、一人で全部作り込めば良いのならそのほうがラクだし、決して嫌じゃないんです。他人と一緒に作り込んでいると逆に時間がかかるし、つくづく自分は個人プレイの人間なんだなと思いますね。
──苦心して制作したデモが生身のプレイに置き換えられ、血肉化されていく過程に大いにカタルシスを覚えるとSNSで綴られていましたが、まさにそれがレコーディングの醍醐味なんでしょうね。
東雲:そうした醍醐味があるからこそバンド名義で活動を続けているんだと思う。やっぱりバンドだよね、っていう確信が自分の中で常にありますから。その確信がなければソロのシンガーソングライターとして生きていけばいいだけの話で、ワタクシは結局、バンドの魅力に取り憑かれっぱなしなんです。
──そのバンドの魅力が如実に出ているのが、先行配信されていた「桃色吹雪」だと思うんです。2トーンのリズムに乗せて、燃ゆる色情を描いた情念系ラブソングと言いますか。「おぼこ」「紅蓮」「さかしま」といった古語を用いた雅な世界観も独特ですね。
東雲:ジャパネスク感を意識しました。先行配信したのは今回の収録曲の中で一番わかりやすいかなと思って。従来のキノコホテルらしい、たおやかでしなやかで、でも自由奔放で強い女性像みたいなものをここであらためて出してみてもいいのかしらと考えたんですね。「道を開けなさいよ」と強気に出る「サイキック・ハイキック」とは違う、表向きは可憐で奥ゆかしい女性像を。
──2拍目と4拍目という通常とは外れたところに強拍を置くオフビートのリズムも面白いし、そうした風変わりな曲を先行配信するのも大胆不敵だなと思って。
東雲:その上、乗っている歌詞は雅な感じで、他のどの音楽とも被りがないというのが自分でも気に入っています。
──イントロの電気オルガンの雅なフレーズが、桜の花が風に吹かれて舞い落ちる様を的確に表しているのも見事ですね。
東雲:ああ、そう聞こえました? 冒頭のあのオルガンのフレーズは後付けでできたもので、最初はただコードを刻んでいるようなフレーズだったんです。でもそれがあまりに地味すぎて耐えられなくて、後から土壇場で思いついたフレーズを急遽入れて差し替えてもらったんです。もうギターを入れた後だったかもしれない。イントロのフックが足りないとずっと感じていて、最後の最後にあのフレーズを入れたことによってキノコホテルらしさを出せました。
──実演会を重ねて育っていきそうな曲ですね。
東雲:そうね。アルバムのリード曲だからやる機会が多いでしょうけど、果たしてちゃんと弾けるのかしら? 他の従業員は大丈夫だけど、まず自分がね(笑)。
成熟した大人の女でも好きな男の前では女の子でいたい
──タイトルからして冴え渡る「ふしだらに誠実」は、混沌としてサイケデリックな曲調かと思いきや……という意表を突く面白い曲ですね。
東雲:イントロだけ聴くとガレージサイケっぽいんだけど、始まってみると歌謡曲の要素が色濃いですね。
──いわゆる“キノコ節”を満喫できる一曲ですが、これもまた愛する殿方に一途でいじらしい女性の一面が描かれています。性的にも奔放で表向きは強がる気質であるものの、実は誠実かつ堅実だという。
東雲:そうかもしれない。だから結局、ふしだらでいることに対して一途ということなのよね。ふしだらなことに開き直っている女ってかわいいじゃない? 良い子なフリをしてふしだらなのを隠しているより、ふしだらでいることを素直に受け入れている女のほうがワタクシは共感できる。
──いつもは男女関係にだらしなくとも、心に決めた男の前では「いつもみたいに 笑ってあげる」とチャーミングな側面を見せる。この一言だけでどんな女性かわかりますね。
東雲:普段は淫らで自堕落なんだけど、きっと本当に好きな男の前でしか笑わない女なんでしょうね。その男の前ではとてもかわいい女なんじゃないでしょうか。ワタクシのことかしら?(笑)
──今回はアルバムの中で描かれる女性像が一貫しているようにも感じますが。
東雲:ああ、一人の女の物語みたいなね。映画のサントラみたいで良いじゃないですか。
──あと、「ふしだらに誠実」は間奏で呪文のような語りが入りますよね。
東雲:はい。ディレイをかけすぎて何を言っているのかわからないという。しかもその部分は歌詞カードに記載していないので。
──意図的にそうしているんですよね?
東雲:だって別に、大した内容ではないですし。
──思いを寄せる男性にだけ伝われば良い胸の内といったところですか。
東雲:伝わる人にだけ伝われば良いということですね。日常のコミュニケーションでもそうじゃないですか。「この人にだけは伝わってほしい」と思う人にだけ伝われば良い。誰も彼もに伝わらなくたって良いの。
──なるほど。本作は個人的に何カ所か歌の萌えポイントがあるんです。「桃色吹雪」なら「もっと奥まで お招きするわ ほらほら」、この「ふしだらに誠実」なら「女の子でいさせてよ」という部分。声色が少し変わって、妖艶さがさらに増しますよね。
東雲:そうなの。「女の子でいさせてよ」のところは、ちょっとピッチも甘いのよね。当時、風邪を引いていて病み上がりだったのもあるんだけど、必死ではありましたね。でもそれが何に対して必死だったのかは覚えていない。歌の世界観を表現するのに必死だったのか、アルバムの発売を間に合わせるのに必死だったのかはわからないけど、「女の子でいさせてよ」の部分はニュアンスを持たせたかった。なぜかと言うと、もはや「女の子でいさせてよ」なんて言う年齢ではないので(笑)。そこはもう成り切ると言うか、成熟した大人の女だけど、好きな男の前では女の子でいたいというのは切実な思いなわけで、そのムードをしっかり出したかったんです。
──いつもは「美しい暴君」が「女の子でいさせてよ」と唄うのだから、グッときますね。
東雲:良いでしょ、情緒不安定で(笑)。でもそれが即ち女という生き物なんです。30代、40代、50代になっても女の子でいたいものなの。そういう面倒くさい女に振り回されて、男だってまんざらじゃないはずなんです。ちょっと手のかかる女のほうがかわいいじゃないですか。