西新宿・小滝橋通りから歌舞伎町へ移転して25周年を迎える新宿LOFTでは、『新宿LOFT歌舞伎町移転25周年記念』と称し、新旧問わずあらゆるジャンルのミュージシャンやバンドのライブが繰り広げられている。
7月17日(水)に開催される『SHINJUKU LOFT 25TH 2MAN SHOW』は、トリプルファイヤーとスカートが共演。プライベートでも交流があるというトリプルファイヤー・吉田靖直と、スカート・澤部渡の二人に今回のライブへの意気込みを聞いた。(Interview:池守りぜね)
対バンがきっかけで東京インディー三銃士誕生
──二人ともプライベートでも交流があるそうですが、いつ頃から知り合いだったのですか。
澤部:吉田個人よりもバンドとしてのほうが先ですね。友達がトリプルファイヤーの『エキサイティングフラッシュ』(2012年)を買って、「これ凄いよ!」って薦めてきた。歌詞カードを見て、「ガンダーラ」の「今ではこうしてロシア文学を嗜むことが出来る 最近で一番のガンダーラ」っていう一文が凄い衝撃的だったんですよ! すぐにその足でJET SET(下北沢にあるレコード店)に買いに行った記憶があります。
──実際に会ったのは、その後ですか?
澤部:それがよく覚えていないんです。下北沢SHELTERでイベントが飛んだかなんかしてスケジュールが空いてしまった日に、店長から「何かやろうよ」って言われて、その頃に仲良くなったミツメとトリプルファイヤーの3組で対バンをしたら面白いのじゃないかなって、そこでライブをしたんですよね。
──東京インディー三銃士(スカート、トリプルファイヤー、ミツメの3組の総称)誕生の瞬間ですね。
吉田:そのライブの前に、高円寺のドムスタ(Sound Studio DOM)で、澤部君と対バンしていたよ。
澤部:ああ!
吉田:でもその時のライブは、俺が二日酔いであまり調子が良くなかった。でもTwitter(X)見ていると、澤部君が俺らのことをよく研究してくれていて。澤部君はもうMyspaceで話題になっていたから、そんな澤部君が注目してくれるんだって思うと、対バンに呼ばれた時は嬉しかった。
澤部:僕、ひっこみ思案なんで、会うたびに飲みに誘う関係かっていうと、そうではないんですよ。たまたまどこかで会ってそのまま飲みに行ったりはするけれど。そういう意味では、得難い友人関係だと思っています。
吉田:澤部君は、常にトリプルファイヤーの音楽を肯定してくれる人。それにかなり助けられましたね。調子が悪くて停滞している時も、澤部君がいいって言ってくれているから大丈夫かもしれないって思えたよ。
──Base Ball Bearの小出さんなど、吉田さんの歌詞のセンスを褒めているのを見かけましたよ。そういう反応は吉田さんとしては、どう受け止めていますか。
吉田:めちゃくちゃ嬉しいんですけれど。褒めてもらえることもたまにあるけれど、どこかで見放されるかもなっていう危機感が常にあるんですよ。でも澤部君は、自分が本当にやばい時も、そばにいてくれるなって安心感がある。
澤部:ははは。
二人とも1987年生まれ。同い年が頑張っている姿が励みに
──二人でいる時は、どのような話題をしているのですか。
澤部:いろんな話をしますよ。お互いのバンドの状況を熱く語り合うこともあれば、どうでもいい話とか。同じ歳同志だからかもしれないけれど、見てきたものがやっぱり近い。世代的に吉田はこれを通っているけれど、僕はこれは通っていないみたいなものはもちろんありますけどね。
吉田:バンドってやっぱり特殊で。音楽を続けているとたまに「(この状況は)やばいのかな」って思う時がある。同じ歳の人が頑張っている姿って励みになるんですよ。
澤部:そうそう。僕も調子が悪い時は、ミツメやトリプルファイヤーの頑張っている姿を見ると、「今は堪え時だ」って踏ん張れる時がよくあります。
──他に同年代のバンドとかミュージシャンで交流があったりする人はいますか?
澤部:もうパーマネントに、音楽活動を続けている人は減ってきちゃったね。
吉田:そうそう。どんどんいなくなっていく。同年代で同じ頃にライブハウスに出ていた仲間は、けっこう減ってきましたね。
──そういう中で、お二人方が対バンできるのは意義がありますね。
吉田:エモいというか。
澤部:楽しみですよね。
スカート
──先ほどは、同じ歳でも違うジャンルを通ってきたと話されていましたが、澤部さんは具体的に、どのような曲を聴いてきましたか?
澤部:光GENJIやチェッカーズとかも聴いていたんですが、僕が聴きだした頃ってすでにもう後追いでした。子どもの頃から、音楽を聴くことが好きでした。他にもいろいろと聴きだして、リンドバーグやプリンセス プリンセスを好きだった時期を経てスティーヴィー・ワンダーに出会うんですよ。
──どのようにして、スティーヴィー・ワンダーに興味を持ったのですか。
澤部:たしか小3くらいの時に、CMでスティーヴィー・ワンダーの「心の愛」(I Just Called to Say I Love You)が流れてきて、「なんて良い曲なんだ!」って思った。その後に決定的な出会いだったのは、5年生か6年生の時に聴いたY.M.O.。それからナンバーガールとかはリアルタイムで聴き始めて、どんどんさかのぼって古いものしか聴かなくなっていきましたね。
吉田:俺は姉が10歳くらい上なので、姉が車のラジカセから流していたジッタリンジンの「夏祭り」とか聴いたりしていた。あとはスピッツを聴いて「凄いな」って思ったり。小5の時に、初めて自分で買ったCDはゆずの「夏色」。それからTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを聴いていました。
──吉田さんは、大学に入られてからバンドを始めたのですか。
吉田:高校の時もバンドをやっていたんですけれど、大学ではもうちょっとしっかり活動をやりたいなって思って。早稲田大学出身のミュージシャンに好きな人がたくさんいたのと、音楽サークルが活発だったので、早稲田を目指したのはありますね。
──最初からボーカルだったのですか。
吉田:最初はギターだった。ギタリストとしてやっていこうかなって思っていたんですけれど、プレイヤーとして突出するものが自分にはないなって気づいて(笑)。でもボーカルだったら、よく周りから「変な人だ」と言われることが多かったので、個性を活かせるんじゃないかなって思ってそのままボーカルになっています。
澤部:僕は友達同士でバンドを組もうみたいな、正規の手順を踏んで結成したことがない。だからバンドってどうやって成り立つのだろうって疑問があるんですよ。吉田の自伝(『持ってこなかった男』2021年、双葉社)を読むと、バンドってこうやってできていくんだっていう追体験ができて凄く良かった。たしか『エキサイティングフラッシュ』にも初期の曲が入っているんでしょ?
吉田:そう。昔作った曲だったけれど、バンドでも使えそうかなって。やっぱり意識的に、なんとなく曲を作ったらダメだって思って歌詞を書いています。ちゃんとこういう内容だって定めて、こういう感じでいこうって。