ラストチャンスだな、と思ったんですよ(とだげんいちろう)
とだげん:なんか、突然少年を作らなきゃ、っていうイメージは、すごいありました。今まで、ただ高校の軽音楽部の延長線上でやっている、で、まわりの大人の人たちが、突然少年を作ってる、みたいな感じだったけれど、それじゃあお客さんはつかないな、と思って。自分らが、突然少年ってなんなのかを理解しながらやれるのが、メンバーそれぞれも楽しいし、お客さんも「バンドを観てるな!」って気持ちになるだろうな、と思って。
茜一郎:高校でバンドを組んでから、ひとときも立ち止まることなくやってきたのが、コロナ禍になって一回ストップして。で、初恋って名義にして、なんとかバンドをやろう、っていうところから立ち上がって。一回立ち止まったことで、バンドのことを考えるきっかけにもなったし。
とだげん:あと、僕は、ラストチャンスだな、と思ったんですよ。しのけんが入って、4人で話し合ってバンドをやっていける態勢になった。だから、今突然少年を形にできなかったら、一生できなそうだな、突然少年っていうものを作りたい、作るなら今だ、っていう。
とだげんいちろう(Ba.)
大武茜一郎(Gt.Vo)
──で、そんな、いいツアーだったんだけど、後半でトラブルが。
とだげん:(笑)はい。
茜一郎:ツアーのセミファイナル、山形から茨城に移動するときに……ゲストで出てくれたPine Shopというバンドと一緒に、レンタカーで東京から山形まで行って。で、山形から茨城に移動するときに、朝の4時か5時くらいに、ドーンと衝撃があって。運転席のほうを見たら、窓がなくなっちゃっていて。
とだげん:保険に入ってたから、修理代はなんとかなったんですけど、そのクルマを東京までレッカーで運ぶおカネと、事故ったのが山奥だったので、仙台までタクシーで行って、そこからみんなで鈍行で行った交通費とかで、数十万円になっちゃって。事故ったときに「これは何かやんないとヤバい」と咄嗟に思って、ツイッターで「投げ銭フリーライブをやらせてくれる場所、ありませんか」と募って。そしたらありがたいことに、全国各地から連絡をくれて。でも、全部は行けないので……東京の新代田FEVERは、茜ちゃんが働いてたりして、いちばん身近なライブハウスなので。で、大阪は、最初に連絡をくれた梅田のハードレイン。あと、京都はちょっと特殊で。次の日に『COMING KOBE』に出ることになってたんで、関西どこかでやりたいな、と。で、メシアと人人っていう、全国各地でめちゃくちゃライブやってるバンドがいて、それこそ事故も経験している先輩なので。そういう人たちと締めくくるの、いいな、と思って相談したら、会場も用意してくれて。
──おカネは集まりました?
とだげん:はい。投げ銭とグッズの売上を合わせたら、かなり集まって。そこから出演してくれたバンドにちょっとずつ返したり、ライブハウスにも、さすがに申し訳ないので、出せるだけ出したりして。その上で……ツアーファイナルのときに、チャリティのTシャツも売ったので、そういうのを入れると、トントンぐらいかな。
──ツアーの内容としては?
しのけん:慈愛を、感じましたね。
カニユウヤ(Gt.)
──(笑)
しのけん:対バンからもそうだし、ライブハウスからもそうだし、お客さんからもそうだし。みんなすごく優しかったですね。
カニ:みんな優しいから、申し訳ない気持ちになりました。普段のライブとはまた違う感じで……「感謝をこめて」みたいな感じで。明確に「ありがとう」っていう気持ちを持つ相手が目の前にいる、っていうのは、久しぶりというか。
茜一郎:投げ銭企画をやります、って発表したとき、SNSとか見てると、つっこんでくる人がいるんですよ。「事故ったの、自分らの責任なのに、なんで人にカネを求めるんだ」みたいな。まあそういう声も、間違ってないっちゃ間違ってないし。でも、その投げ銭企画で、ネガティブな空気を発したいわけじゃないから。いい空気でやれればいいな、と思ってたんですけど、実際やってみたら、全会場、どの日も、いい空気の中でライブをやらしてもらえて。それはすごくよかったです。あと、折り紙でメダルを作って、投げ銭してくれた人にあげたんですけど。それも急に「作ろう」ってなって。本番ギリギリまで、ずっと楽屋で折り紙を折ってるという。
しのけん:ゾーンに入ってくるんですよね、ずっと折ってると(笑)。
茜一郎:手伝ってくれる助っ人も、何人かいて。投げ銭用の箱を作ってくれたりとか、記念メダルを一緒に作ったりとか。今思えば、あれはけっこういい時間だったな、って。