the JUMPS、実に19年ぶりのニューアルバム『REBEL BANQUET』が完成!
島キクジロウは1981年スピルカを結成し、翌'82年、新宿ACBにて『JUST A BEAT SHOW』をスタート。the JUMPSとして活動を始めた'85年、渋谷・屋根裏に拠点を移して以降、2002年までビートロックからハードコアまで数多くのバンドが出演、なんと300回まで続きライブハウス・シーンの一時代を築いた。the JUMPSは活動を続けるが、島キクジロウが40代にして弁護士を目指すため、休止。見事、ロックンローヤー(Lawyer=弁護士)になりロックンローラーとしても活動再開。同じ時代を生きてきたBARBEE BOYSのベーシスト、エンリケがthe JUMPSのメンバーとなったのが2018年。約20年来のメンバー、モッキー(G)、マサ(Ds)の4ピースで作られたのが『REBEL BANQUET』。
The Clashばりのギターが痺れる「Down On The Road」から始まり、ゲストにホーン隊を招いたリトル・リチャードのカバー、4ビートやレゲエもある。だけど絶対的にパンクロック、絶対的にパンクアルバム。
ヘヴィな時代と向き合いながら、決して飲み込まれることなく、声をあげ、歌い、叫び、踊り、笑う。そして戦う。今の時代に生きているリアリティと、様々な経験を経た世代のタフネス。初めてパンクを聴いたときの興奮を手放さず、進行形のパンクロックであることが強烈に嬉しい。
島キクジロウとエンリケにインタビュー。『REBEL BANQUET』、まさにタイトル通りのアルバムだ。(interview:遠藤妙子 / 協力:銀座cafe garage Howlin')
ライブハウス・シーンの一時代を築いた『JUST A BEAT SHOW』
──19年ぶりのニューアルバム『REBEL BANQUET』が遂にリリース。ヘヴィな時代と向き合いながら、ポジティブになれるタフなパンクロックですね! 新作の話の前に、the JUMPS結成当初にスタートしたライブ企画『JUST A BEAT SHOW』についてお聞きします。どんなふうに始まったんですか?
島:高校卒業して名古屋から東京に出てきてすぐバンド作って。その年の夏に新宿JAMで大学のサークルのライブをやったの。アレルギーが一緒だったよ。宙也とは大学が一緒だから。で、デモテープ作ってあちこちのライブハウスに送って。ACBから声がかかった。当時ACBは、“Shinjuku Rock Club ACB”っていって、『Welcome To The Beat Club』っていうイベントをやってた。THE SHAKESやTHE PETSが中心になってね。
──いわゆるビート系でカッコ良かったですよね。
島:そうそう。当時の店長がACBをビートのメッカにしようとしてたんだよね。それで「1日空いてる日があるから好きにやってみないか?」って声をかけてくれたのさ。1981年、俺が19になった頃。そのライブがめちゃくちゃ盛り上がって。「毎月やってみない?」って。それで翌年4月から正式にスタートした。まだthe JUMPSじゃなく、スピルカってバンドで。
──東京に出てきてから企画ライブを始めるまで早いですね。普通、バンド結成して練習して、それからライブって感じだろうに。
島:そうだね。大学生だから動員力あったんだよ。50人ぐらいはすぐ集まった。そのへんは楽勝だった(笑)。で、その1回目はTHE SHAKES、THE SHAMROCK、ちわき(まゆみ)ちゃんのMENU。この3バンドを呼んで、うちらスピルカと4バンドで。
──凄いメンツ。
島:どうやって集めたんだっけな。自分でイベントやるには対バン探さなきゃない。ライブハウスに観に行って良かったら楽屋に行って声かけてた。「良かったよ! 俺、イベントやってるから出ない?」って。
──BARBEE BOYSとは?
島:声かけたよ。ライブの後、杏子さんがドリンクカウンターにいたんで、俺はツカツカと近づいて、「いや~、良かったよ」って(笑)。
エンリケ:俺はその頃はまだBARBEE BOYSに入ってなくて。結局、対バンはしてないんだよね。擦れ違ったままの30年間(笑)。
島:対バンした気になってたけど実はしてないんだよね。BOØWYや爆風スランプもそんな感じだった。ACBはビート系のバンドに力を入れてたのと同時に、メジャーを意識したバンド、THE STREET SLIDERSやECHOES、杉山清貴がいたバンドとかに力入れてた。で、俺たちに声かけてくれた店長がACBを辞めて、俺らもそろそろ違うとこでやるかって、渋谷の屋根裏でやるようになった。その後にthe JUMPSっていう新バンドになって。
──インディーズブームの前のバンドブームの頃ですね。当時はメジャーに行くバンドも多かったけど、『JUST A BEAT SHOW』はストリートってイメージですよね。自分たちの場所は自分たちで作るっていう。
島:渋谷の屋根裏を拠点にしたのも良かったよね。センター街、ストリートそのものだもんね。
──確かに。
エンリケ:80年代前半ってジャンル不在だったんですよ。R&Bやソウルっぽいリズムを使いながらニューウェイヴだったり。LÄ-PPISCHみたいなスカ系のバンド、THE BLUE HEARTSみたいな真っ直ぐなパンクバンド、そういうバンドが試行錯誤して自分たちのサウンドに辿り着こうとしている時代。
Photo by Miya Chikako
──わあ。面白そう。ジャンルが確立されてない、新しいものが生まれていく時代。
エンリケ:そう。そういう時代だったと思う。特に屋根裏は、階段を上がっていくと、昼の部のパンクバンドが酒とシンナーの匂いさせて降りてくるとか(笑)。文化というか火遊びというか、不思議な場所、不思議な時代で。ひとバンドひとジャンルみたいな感じはあったな。だからライバル意識も当然あったし。仲良く連帯みたいなのはなかったよね。
──私は当時、ライブハウスに行き始めた客でしたが、バンド同士が仲良しって感じより、ピリピリしてる雰囲気を感じてました。それが良かったんですけどね。
エンリケ:ですよね。
──そういう中で『JUST A BEAT SHOW』がスタート。
島:屋根裏で『JUST A BEAT SHOW』をやるにあたって考えたのは、当時、ハードコアはハードコアで、ヘヴィメタはヘヴィメタでとか、ある程度明確なシーンが出来ていたんだけど、俺らのようなビートロックはシーンとして存在してなかった。もう少し後にビートパンクってのが出てくるけど、俺はロックンロールやR&Bも含めたビートロックのシーンを作りたかったの。屋根裏で再スタートした3回目にTHE BLUE HEARTSに出てもらったんだけど、そんなことをマーシーと話して意気投合したな。
──『JUST A BEAT SHOW』はストリート感がありつついろんなバンドが出ましたよね。パンクはもちろん、ハードコアも。
島:パンクバンドだと前半はニューロティカやケンヂから始まり、後半は名古屋の先輩THE STAR CLUB、原爆オナニーズ、あとCOBRA、JUDGMENT、BRAHMANとか。THE FOOLSとTHE BLUE HEARTSが一緒にってのもあった。