映画『犬も食わねどチャーリーは笑う』にて田村夫妻の同僚・良き理解者として作品にリアリティとドラマの深みを出した浦島店長・蓑山さんを演じる二人に的場浩司・余貴美子に制作の裏側を聞いた。
[interview:柏木 聡(LOFT/PLUS ONE)]
奥底にはみなさん深い愛がある
――市井昌秀監督はいままでコメディ作品を多く撮られていたので今回もそういう作品かなと思っていましたが、人との繋がりを描いているドラマも濃い作品でホロッとさせられました。
余貴美子:良かったです。
的場浩司:ありがとうございます。
――脚本を読まれていかがでしたか。
余:脚本はすんなりと入ってきました。ただ、的場さんの浦島店長と私の蓑山さんには下の名前がなかったんです。
――お二人とも重要な役どころなのに苗字だけだったんですか。
的場:そうなんです。苗字だけだと、いろんな店の店長の代表みたいですよね。
――物語の中では旦那デスノートというSNSの闇のような部分が作品の肝にもなっています。匿名だからこそ出来てしまう発言・発信というのは怖さもありますがいかがでしたか。
余:確かに、SNSの暴言で傷ついてしまう方もいるので怖さもあります。旦那デスノートに関して言うと、隠れて吐き出せる場所なのでそれで気が楽になるのであればいい部分もあるなと思いました。ただ、血の繋がりがない夫婦ですから、絆を深めるというのはいつの時代も変わらないんだなと今作を通して感じました。
的場:僕も旦那デスノートという場所で溜まったものを吐き出して、それによって夫婦が円満になっていくのであればいいなと思います。ただ、勘違いしてほしくないのは、旦那デスノートには旦那さんに対する文句を綴っていますが奥底にはみなさん深い愛があるんだと思います。深い愛があるうえでやっている。誹謗中傷をただ単純に書き込むのは問題ですが、今回のものに関しては愛の裏返し・息抜きのようなものだと思うのでこれはこれで面白いと思います。
――確かに相手に怒る・文句を言うというのは相手に期待している部分も大きいですね。
的場:そうですね。
大げさにやってしまうと逆に笑えない
――市井昌秀監督は今回キャストのみなさんに演技をお任せした部分が大きく、ライブ感を大事にされて撮影されたと伺ったのですがいかがでしたか。
余:それは感じていました。市井監督も「あまり作りこみすぎない、笑わそうとしてはいけない。本人たちはものすごく真剣に悩んでいてその姿を外から観ると可笑しいという風にしたい。」とおっしゃられていましたね。
――自然体でありながらどこか可笑しいということを表現するのは難しいように感じますが。
的場:そんなことはなかったです。例えば、僕がスイーツのことを熱弁している姿は周りからすると可笑しいんです。コチラは夢中になって真面目にやっているけど、はたから見ると可笑しい。なので、いかに自然に入り込んでいけるかなということを一番考えましたね。大げさにやってしまうと逆に笑えないと思いました。
――確かに、作りこんでしまうと逆に不自然になってしまいますね。だから、浦島店長の結婚式まえの失言も浮いていないで日常の1シーンのように観えながら笑えたんですね。
的場:あれは本人が失言だと思っていないんです。絶対にいるじゃないですか、結婚まえにああいうことを言ってしまう人が。あの愛らしさもあって、僕は浦島さん嫌いじゃないんですよ。
――いいキャラクターでした。予期せぬトリガーを引いてしまいましたが、あの後の落ち込んでいる浦島店長の姿が最高でした。
的場:ありがとうございます。
――蓑山さんは実は隠していたことがあります、そういう姿を演じるというのはいかがでしたか。
余:年代も近いので理解できないことではなかったです。私はSNSなどできないので、蓑山さんはそれを活用されているのでそういった役を演じることが新鮮でした。
――この場合は残ることの良さもありましたね。履歴をたどることで今までのことを思い出したりしていて。
余:蓑山さんの場合は憎まれ口ですからね。
――田村夫婦も小さなボタンの掛け違いが積み重なった結果の険悪な空気でしたから、愛情はお互いにあるんですよね。夫婦とはいえどこまで踏み込んでいいのかというのは難しいところはあります。気を使っての行動も、受け取る側のコンディションやキャラクターで良い方にも悪い方にも転んでしまいますから。
的場:そうですね。これは夫婦だけではなく万人に通じることですよね。その人たちの関係性によって変わることもありますからね。
余:発言をした側が「何でわからないの?」と思ったり、受け手側が「全然説明が足りない。」と感じたりすることも多々あるので、そこは難しいですよね。
的場:男女の永遠のテーマですよ。
余:時代が変わっても変わらないんでしょうね。そういうところは多くの人に共感してもらえると思います。今はコンプライアンスを気にする世の中になって、みんな言葉を選んでしまうのもどうなのかなと思うこともあります。私は言ってくれた方が気が楽なんです。
――気を使った結果「ちゃんと言ってよ」となったりしますから、なかなか難しいですよね。
余:そうですね。